第24話

 ツアー客たちがいる家に太一を送っていくと、そこにクマと多英子も来ていた。

「鈴ちゃん、無事で良かった。別荘まで一人で行ったのね、偉かったわね」

 鈴は多英子を見つけると車から降りて多英子に抱きついた。

「ママが待っているから、早く家に帰りなさい」

 クマに促されて鈴は再び車に乗り込んだ。

「咲はここで一緒にお昼ご飯をたべましょう。家に帰っても何も用意をしていなから」

 そう多英子に言われて、車から降りる咲だった。車を降りる口実ができ、ホッとしている自分と多英子と顔を合わせるのが憂鬱な自分とが一瞬だけせめぎ合っていたが、身体は勝手にドアを開けていた。


 ツアー客の人たちとお昼ごはんを食べ終わり、咲は帰るタイミングを見計らっていた。多英子が食事の後片付けを始めたので、手伝わないわけにもいかず、台所で洗い物を始めた。そこに和臣が太一を迎いに来ると、話を聞いた将平が一緒に行くと言い出した。陽介もそれに賛同し、裕太も一緒についてくことになった。男性四人が出かけ、後片付けが済むと、お茶を飲もうということになり、結局、今朝の四人に多英子とクマが加わり、お茶飲み話が始まったので、咲はもう帰るタイミングを失くしてしまった。無理やり帰ることができないわけではなかった。だが、心のどこかでこの状況を望んでいたような気もしてくる。ただ、座布団に座る姿勢がぎこちないのは明らかだった。

「この村に住んだら、農作業とかやらないといけませんか?」

 和香子が遠慮なくクマに話しかける。

「そんなことはないよ。私だって若い頃は庭いじりだってしなかったものだよ。それにうちは土地を貸してはいるけれど、本格的な野菜作りはしていないからね」

「そうなのですね。それを聞いて安心した」

「それぞれの役割とか、向き不向きっていうものがあるのだから、できることをすればいいのよ」

 クマが咲に常に言っていることだった。

「まだ、数日しかこの村で過ごしていませんが、思っていたより自由というか解放感みたいなものを感じます。もっと監視されているとか、人の目を気にしないといけないとか、勝手な思い込みがあったので」

「いやいや、この村にだって他人のことをあれこれ好き勝手に言う人はいるさ。でも生きていれば、良いことも悪いことも自分の身に降りかかってくるからね。それを知ると他の人のことをとやかく言う暇はなくなるだろう」

「さすが、村長さんの言葉はためになる」

 歯の浮くようなセリフがスラッと出て、しかも嫌味に聞こえない和香子を尊敬の眼差しで咲は見ていた。

「その村長さんという呼び方は止めてくれ。おばあちゃんでいいよ」

 そう言えば、最近クマを『村長さん』と呼ぶ人が減っていた。クマ自身が嫌がっていたのかもしれないと、今になって気付く咲だった。

「この村にも噂話とか人の悪口とかが好きな人はいるんですね」

 茉莉の顔は真剣そのものだった。

「そりゃあ、ねえ」

 クマは多英子を見ながら言った。

「噂好きの人や悪口が好きない人だっているわよ。だけど、おばあちゃんの言う通り、それを真に受けないというか、受け流せれば、それほど問題はないかな。まあ、私の場合、よく咲にも言われてしまうけれど、少し前のことでもすぐに忘れるからね」

「そうなの?」

 和香子が咲を見ながら言ったので、咲もしぶしぶ発言をする。

「私の子ども時代のことだって、覚えていないことが多いですし、自分で言ったことだってすぐに忘れるから、こっちが困ることがよくあります」

「咲の子ども時代のことはちゃんと覚えているわよ。でも、そうね、忘れたことも多いかしら」

 多英子が大笑いをしたので、咲もつられて笑うのだが、自分でも顔が引き攣るのがのがわかるのだった。

「ねえ、咲ちゃん、ここで今朝の話をしてもいいかな」

 和香子が咲の目を見つめて言う。

「えっ?」

 一瞬、頭の中に靄がかかる。ここで話すのがチャンスだとわかっていても、すぐには心がついてこなかった。

「もし、私たちがいない方がいいのなら、どこかに行くけれど……」

 話題を振られた以上、逃げるわけにはいかないと咲は思った。多英子もクマも覚悟をしている気配がある。咲は深呼吸をして心と身体を整えた。

「皆さんもここにいてください。どうせ、お話ししてしまったことですし」

咲はボソボソと話を始めた。要領を得ないという顔をしていたクマもだんだんと理解をしてくれたようで、咲が同級生から何を聞かされたのかは伝わったようだった。

「和臣さんが咲の父親だということは本当よ。もっと早くに伝えないといけないとは思っていたのだけれど、あそこの家も次々に子どもが生まれて、その子たちへの影響を考えてしまって……。でも、咲にはちゃんと話すべきだったわね。ごめんなさい」

「そうだね。黙っていて申し訳なかったね」

咲は多英子とクマの謝罪でほんの少しだけ心が落ち着く。

「そして、心中という話だけれど、それは全くの嘘よ。咲のお母さんが交通事故で亡くなった時、一緒にいたのはこの村の出身でペンションを始めたばかりの人だったの。その人と咲のお母さんとの間には恋愛関係なんてなかったのよ。あなたのお母さんは確かに若い頃、東京に好きな人がいたようだけれども、それは咲を産む前の話なのよ。一緒に亡くなった人とは別人で、私も一度だけ東京で会ったことがあるからそれは確かよ。それに交通事故の原因は対向車の無謀運転だとはっきりしているの。だけれども、そんな作り話を吹聴する人がいたのよね。私も昔、聞かされたことがあって、その時は笑い飛ばしたけれども、まだ、それを言いふらしている人がいるなんて、その人がかわいそうね」

「その人がかわいそうって?」

「ええ、だって、そんな昔の、それも作り話を未だにしているなんて、自分の今を生きていないも同じゃないの」

「いますよね、そういう人。誰かを貶めることでしかプライドを保てないのよ。人の不幸は蜜の味ってな具合にね。最近のマスコミなんてそれを逆手にとって、ある事ないこと書きたてて人を傷つける」

和香子の言葉に全員が頷く。


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