第23話

「咲ちゃんいる?」

 唐突に玄関先から和臣の声がした。互いに顔を見合わせる。茉莉は口を押えていた。

「咲ちゃん、おお、皆さんもいらしていたのですね」

 明らかに動揺している四人に対して、それ以上に慌てている和臣には、こちらの状況なんて全く関係なかった。

「どうしたのですか?」

 留美が聞く。

「鈴は来ていませんか?」

「鈴ちゃん、ああ、一番下の子ですね」

「はい、今朝どこかへ行ったきり戻ってこなくて……」

 時刻は十一時になろうとしていた。

「パパ、ここじゃないよ、きっと」

 愛未が大声で叫びながら和臣を追って部屋に入ってくる。

「鈴が咲ちゃん家に行くって言うのを、私が止めたから。咲ちゃん、咲ちゃんってばかり言っていたから、ちょっと私怒っちゃって……」

 愛未は半泣きになって咲を見た。その目が自分を咎めていると咲は感じた。咲も分かっている、咲の態度が理由なのだと。でも、それをここで素直に認めることはできなかった。

「お友だちのところは?」

 留美が落ち着いた声で問う。

「家内が思いつく先に電話をかけたのですが、どこにもいなくて」

「鈴ちゃんの好きな場所は?」

「あっ、別荘」

 愛未と咲が同時に言った。二人はすぐに駆け出していた。その後を和臣が追い、車で三人は別荘へと向かった。

 

 別荘は車で十分以内のところにある。咲は乗り慣れた和臣の車に居心地の悪さを感じていた。和臣と愛未との三人というのも気まずさしかない。その空気を愛未は薄々感じ取っている。それが咲には伝わり、より一層、咲の気持ちは沈んでくるのだった。だが、幸い、というか、今はそんなことより鈴の無事を確認することの方が重要だった。この重たい空気の本当の意味をとやかく言っている暇はないし、咲自身、鈴が心配で自分のことなんてどうでもよかった。

「車で行くより歩いた方が早かったかなあ」

 和臣が後悔を口にした。一昨日の雨で車が通れる道が一部通行止めになっているため、遠回りをしないといけなかった。

「ここから歩く」

 愛未が叫ぶ。

「私が行くわ」

 咲も負けじと大声を出す。

「二人とも待って。ここまできたら車の方が早いよ」

「でも……」

「それに、鈴がいるかわからないし」

 和臣の言葉に二人とも黙ってしまう。確かに別荘にいる保証はない。ただ、鈴が好きな場所で咲とも何度も遊びに来ていた。この夏休みには別荘に泊まる約束もしている。

 別荘に到着すると咲は愛未より先に車から降りた。鍵がかかっているはずのドアが開いているのを確認して、咲は大声で叫んだ。

「鈴ちゃん、咲だよ。いるのでしょう?」

 返事はなかった。靴を乱暴に脱ぐ。多英子に叱られそうな有様だった。それでも構わず部屋の中に入ると、ソファで寝ている鈴を発見できた。

「鈴ちゃん。良かった」

「咲ちゃん?何?まだ眠い」

 鈴は寝ぼけていた。服も靴下も泥だらけだった。顔にも泥が付いている。途中で転んだのだろう。

「もう、鈴ったら心配かけて」

 安心した愛未はわざと怒り顔を見せる。咲は愛未と鈴を黙って抱きしめていた。


 車に四人が乗り込んでから、咲は気が付いた。家族のような顔で無意識に車に乗っている自分に。降りることの不自然さの方が勝り、咲はそのまま黙って車のシートに身を預けた。隣には手をつないだ鈴が嬉しそうにしている。その手の温もりが意味する大切な何かを自分は見失っていたのかもしれない。事実はどうかなんてどうでもよくなってくる。和臣の運転する車に乗って妹たちと過ごしている現実を少しずつ受け入れようとしていた。

「おや、あれは太一君かな」

 山から出て農道を走っているとそこにしゃがんでいる少年を和臣が発見した。

「ちょっと、待っていて」

 和臣は車を止めて太一に話しかけた。窓を開けると会話が聞こえてきた。

「太一君、どうしたの?」

「畑を見ていました」

「もう、お昼だからこの車でみんなのところに行こう」

「はい」

 太一が車に乗り込む。緊張している様子が離れた席に座る咲にも伝わってくる。それをわかってだか、親しい口調で愛未は自分より年下の太一に質問を始めた。

「どうしてこの村に来たの?」

「優斗君のブログで色々な野菜や果物を育てているのを見たから」

「野菜や果物が好きなの?」

「はい、育ててみたくて」

「そうなのか。それで畑を見ていたのだね」

 太一と愛未との会話に和臣も加わる。

「はい」

「じゃあ、午後になったら野菜を育てている人のところに案内するよ」

「この村のほとんどの人が野菜を育てているけれどね」

 愛未の皮肉に太一が笑った。緊張の糸がほぐれてくるのがわかる。

「そうだけれど、野菜作りを体験させてくれるところだよ」

 優斗の発案で昨年から野菜作りや稲作の体験などができる場所ができていた。畑を貸すシステムもでき東京から毎週やってくる人たちも増えている。咲にはまだそれらの良さがわからなかった。草取りは大変だし、真夏の炎天下での農作業なんて、できることならやりたくない。爪が泥で汚れるのも嫌でしようがなかった。

「好き好んで畑に出る人の心理が私には理解できない」

 愛未の言葉はそっくり咲の言葉でもあったが、さすがに声に出したことはないし、これからも言うことはないだろう。素直に思ったまま口に出せる愛未が、羨ましかった。

「愛未、そんなことを言うもんじゃない。野菜やお米がなかったら何を食べるんだい?」

「そうよ。作ってくれる人がいるから美味しい野菜やご飯が食べられるんじゃない」

「鈴、うるさい。生意気ね」

 姉妹のやり取りに太一も微笑んでいる。つられた咲も思わず笑みを漏らしていた。




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