第8話
「何を買ってきたの?」
休憩を終えバスが走り出すと和香子が将平に声をかけた。
「ホットドッグだよ」
「ああ、そっちもいいわねえ。私はねえ、これ」
和香子は買ってきたフランクフルトを高らかに見せる。
「ついつい、買ってしまうよね」
「そうなの、家では食べないくせにね」
和香子と将平以外の声は聞こえてこなかった。裕太は相変わらず不愛想で、茉莉は今になって眠りについたようだ。太一は真剣に車窓を眺めている。時折、「あっ」という声が聞こえる。何かを発見し興奮しているようだった。留美はというと、物思いに沈んでいるように見えた。和香子から聞かされた後では、留美への見る目が変わってしまうのは当然のことだった。どんな事件だったのか、どんな風にネットで騒がれていたのか、詳しい話を検索できないもどかしさについ、イライラしてしまう。でも、ネットで検索をしたとして、真実が書かれているかはわからないのだ。検索ができないことは良いことなのかもしれないと、陽介は思い直していた。
いつの間にか高速道路から降りたバスの窓からは大きな駐車場を完備したスーパーやドラッグストアが見えてくる。見知った看板、初めて見るマーク、それらを漠然と眺めていると再び睡魔が襲ってきた。今度は何の夢も見なかった。短い睡眠だったはずが、何時間も寝た後のような爽快感があった。それにしてもどうしてこんなにすぐに眠れるのか、我ながら呆れてくる。
後ろの席からは、太一の嬉々とした様子が伝わる。都心から離れるにつれ、太一の表情は生き生きとしてくる。本来の太一がどういう子だったかは知らないが、子どもらしさを取り戻しているのは明らかだった。
「畑が好きなの?」
留美が優しく太一に話しかける。
「あっ、はい」
太一は小さくだが嬉しそうにはっきりと答えていた。
「田舎の景色は癒されるわね。私は田舎出身者だからこういった田園風景にはホッとするものがあるわ」
太一は何も答えないが、同意しているようだった。
「あっ、トウモロコシ」
「えっ、どこ?どこ?あら、本当ね」
二人のやり取りに陽介の心も癒されてくる。こんな些細なことに感動している自分自身に驚いていた。
「あっちは、ナス。あっ、あのビニールハウスでは何を作っているのだろう」
太一の口数が増える。留美も嬉しそうだった。
「お野菜が好きなのね」
「はい、色々な種類の野菜に興味があります」
「えらいわね」
「いいえ、……家では野菜の話をすると叱られるから……」
「あら、そうなのね」
「ママからは野菜のことより学校や塾の勉強をしなさいってばかり言われています」
「そうねえ、私も子どもたちには学校の勉強が一番だって言っていたかも……」
留美の声のトーンが沈んでいく。それに反応してなのか、しばらくは誰も何も発言しなくなっていた。それにしても、行く先のわからないミステリツアーとはいえ、誰も何も質問すらしてこないし、どこに行くのだろうかと話題にものぼらないのは、陽介にとっては不思議なことだった。以前、知り合いの中年女性がミステリツアーに参加をして、バスの中でどこに行くのか明かされなかったことに不満を言っていたことがあり、ミステリツアーに参加をするような人でも、どこに行くのか確認したくなるのが、人というものなのだと思っていたのだが、このミステリツアーの参加者たちは全くもって自分の行き先に関心がないように見える。死をも考えてしまうような切羽詰まった人たちにとっては、どこに連れていかれるのか、これから自分はどうなるのか、あまり考えないものなのかもしれない。陽介は死を考えたことはなかったが、何となくだが彼らの心情が理解できてくる。行き先のわからないことがだんだんと心地よくなってきていた。
「えっそうなのですか?いいなあ」
和香子の声が聞こえてくる。将平と和香子が話し始めると、それに追随するように留美も茉莉も会話に加わる。賑やかになった車内には穏やかで優しい空気が流れていた。裕太はいつまでも不愛想だが、初めに感じた敵意はなくなり、この状況を楽しんでいるように陽介には感じられた。
バスはどんどんと山道を進んでいく。時折見える渓流に涼しさを得て、参加者たちは歓声を上げていた。
「こんな景色を見るの、本当に久しぶり」
「気持ちいいなあ」
「最高の景色ね」
「天然のワサビ畑がありそう」
「マイナスイオンを沢山浴びなくちゃ」
和香子の無邪気な声を皮切りに、みんなそれぞれ思い思いの言葉を口に出す。裕太は声にこそ出してはいなかったが、嬉しそうな顔を見せ始めている。そんなバスの中の光景に心癒されている自分自身を、陽介は受け入れ始めていた。
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