第7話

 バスが発車するとしばらくの間、車内は比較的静かだった。中学生の太一からは規則的な寝息が聞こえてくる。時折響く大きないびきは留美からだった。将平と和香子は目を閉じているだけのようだ。茉莉と裕太は物思いにふけりながら車窓を眺めている。陽介は裕太のことを考えずにはいられなかった。サバイバルナイフで誰かを殺めようとしていたのは明らかだった。ニュースで見たことのある『通り魔殺人』の文字が頭を過る。考えれば考えるほどゾッとしてくる。裕太が何に悩み、あんな大それたことをしようとしてしまったのか、気になるところだが、そのことを敢えてなのか、聞こうとしない将平のことにも興味が湧いてくる陽介だった。

 ふいに隣に人の気配がした。横に座った和香子が陽介をじっと見る。

「何かあった?」

 ひそめた声が陽介を必要以上に動揺させる。

「えっと……」

「何それ?」

 預かっていたサバイバルナイフをいつの間にか手に握りしめていたことに気が付く。無意識の行為だった。

「ええと、これは……」

「彼、通り摩殺人でも計画していた?」

 ズバリ的中され、顔から血の気がひくのを自覚する陽介だった。

「やっぱりねえ。そうなると思っていたのよ」

「えっ?」

 和香子の声は小さかった。明らかに他の人への配慮が見られる。

「でも、未然に防げて良かったわ」

「ええ」

 二人して同時にため息を吐く。

「留美さんは最初から見抜いていたのよね。母親だし、息子さんがあんなことをしたから余計にそういうことに敏感になっているのね」

「えっ?どういうことですか?」

「気付いていないの?私と将平さんは気付いたわよ。留美さんはこの間の通り魔事件の犯人の母親よ」

「えっ、駅前でナイフを持って数人に切り付けたという、あの事件ですか?」

「そう、幸い誰も亡くなってはいないけれど、ネットでは家族のことまであることないこと書かれていたでしょう」

「ああぁ、そういえば……」

 父親が有名なワイドショーのコメンテーターであったことが災いしてか、家族写真がネットでは流出していた。陽介も見ていたはずだった。

「まあ、みんな色々あるからねえ。私だってこんな風になっちゃうし。親なんて泣くに泣けないって感じよ。大学院まで出しておいてこうだから」

「えっ、ええ……」

 返答に困る陽介を面白がっている和香子だった。

「こう見えて、研究者だったのよ、昔は。だけれど途中で何だか嫌になってしまってね。お金儲けが絡んできたり、人間関係が複雑だったり、まあ、色々とあってさ」

「そうですか。大変でしたね」

 自分で言っていてとてもおざなりな発言だと反省している陽介だったが、和香子はそんな陽介を無視して話を続けた。

「大学辞めてキャバクラで働いていたの。あの時が一番楽しかったかな。お金も生活には困らず、そんなに豪勢ではなかったけれども毎晩ワイワイと飲んで歌って、でも、もっと贅沢がしたくなってジジイの愛人話に乗っかって……。帝国ホテルのスイートルームに慣れてしまうとなかなかそこから抜け出せなくなって、ふと我に返って怖くなって、とうとう飛び出してきてしまったってわけ。わかる?」

「ええ、まあ……」

「嘘つけ。わからないわよねえ。自分でもわからないのよ。私ってどうしてこうなってしまうのだろう。だからさ、死んだ方がいいのかなって」

「死ぬのは……良くないと思います」

 心無い発言に、薄っぺらな自分を発見し情けなくなる陽介だったが、それをまたしても和香子は無視した。陽介はそんな和香子に安堵する。

「SNSで出会った優斗君からこのツアーに招待されて、死ぬのを少しだけ先延ばしにしてみたの。まあ、優斗君に命を預けたって感じかな」

「優斗にですか。それなら自分も一緒かな。自分の場合は今朝の電話で無理やり添乗員をやらされていますけど」

「今朝の電話?そうなの?面白い」

「優斗は昔から強引だから。でも、そのおかげで自分は何度も救われています」

「昔からの知り合いか。いいわね。私にも優斗君が学生の頃近くにいてくれたら、今とは違った人生を送れていたかもしれないわね」

 和香子の顔を陽介はじっと見てしまった。明るさの裏にある影は思いのほか濃いことを知った。

「じゃあ、またね」

 和香子が席を移動し、陽介の周りに静けさが戻った。陽介と和香子の会話が聞こえていたと思われる運転手の二渡は何も言ってはこなかった。二時間ほど高速道路を走るとさっきより規模の小さなサービスエリアで短い休憩をとった。

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