大脳皮質はガトーショコラを食べるか
十余一
大脳皮質はガトーショコラを食べるか
麗らかな陽気の午後、カシャカシャと生クリームを泡立てる音が部屋に響いている。外はまだ少し肌寒いが、大きな窓から光が差し込むリビングは暖かい。
「できた!」
「
そのリビングに面したキッチンで、僕は妹と苺を切っていた。苺を上手に飾り切りできた妹を褒め、一緒に赤いハートを量産していく。切れ端はパクっと食べちゃったりして。そんな様子を、母さんは泡だて器を片手に微笑ましく見守っていた。
「さぁ、飾りつけしましょう」
「はーい!」
「可愛く切ってくれてありがとう」と母さんが僕たちの頭を撫でる。嬉しいけど僕はお兄ちゃんだから「……ん」とだけ返して、冷蔵庫から母さんが焼いてくれたガトーショコラを取り出した。
粉砂糖を被ったガトーショコラにたっぷりのホイップクリーム、そしてたくさんの甘酸っぱいハート。最後にミントの葉を乗せたら完成だ。
日当たりの良い部屋で三人揃って机を囲む。今か今かと落ち着かない様子の小春がちょっとフライング気味に「いただきます」と言うのを聞いて、母さんと顔を見合わせて笑う。大きな一口で頬張った小春の頬を人差し指でぷにっと
僕もフォークで控えめな一口サイズに切ったガトーショコラを頬張る。ひんやり、しっとり、そしてチョコレートの甘さが口いっぱいに広がった。
興奮した様子でガトーショコラの美味しさを伝える小春。一つ一つの言葉を零さないように耳を傾けている母さん。僕はなんだか心が暖かくなるような気がした。
なかなか外に遊びに行くことは出来ないけど、こうして家でお菓子を作るのだって楽しい。そして何より、母さんの作るケーキは美味しいから大好きだ。
「次はね、イチゴでチューリップつくりたい!」
「じゃあケーキは何にしようか。チーズケーキ? それともムースが良いかしら」
「ガトーショコラがいい!」
「本当に小春はガトーショコラが好きだなぁ」
「うん、大好き!」
そうやって話していたら、急に視界が霞がかり黒く欠けていく。母さんと小春の声もどんどん遠のいていく。そこで僕は悟った。
「ああ、これは夢だったのか」
子どもの頃の懐かしい夢。楽しかったあの頃の優しくて暖かい記憶。
食べかけのガトーショコラは夢と共に消えた。
少しだけ、眠ってしまったようだ。意識が覚醒した僕は、遅れを取り戻すべく今日の務めにとりかかる。
任務内容は、環境が悪化し住めなくなった母星の代わりに定住できる新たな星を探すこと。僕を含めた探査チームはそれぞれ小型の探査機に乗り込み広大な宇宙へ飛び出した。そして気が遠くなるほどの航行を続け、来る日も来る日も観測し、データを分析して新天地を探している。
母艦でコールドスリープしている母さんと小春のためにも、一刻も早く任務を成功させなくては。焦る気持ちとは裏腹に何の成果も得られないまま時間だけが過ぎていく。たった一人で焦燥と郷愁と親愛と悲哀と、それから虚無に塗れている。
そういうときに僕は家族のことを考えた。培養液に浸かり何本もの管に繋がれた僕の脳みそが、遠い地で眠る家族に想いを馳せる。
暖かな日差しも冷たい風も、ガトーショコラの美味しさも苺の甘酸っぱい香りも、妹の柔らかい頬も母の優しい手も何もかも、もう感じることは出来ない。ただ家族の幸福を願う気持ちだけが僕の脳内に存在している。どうか僕が見つけた星で二人が幸せな日々を過ごせますように。
大脳皮質はガトーショコラを食べるか 十余一 @0hm1t0y01
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