第13話 自殺

繁華街を構成する雑居ビルの屋上に結衣は立っていた。

背後にはフェンス。

目の前には地上から30mほどの高さがある何もない空間。

遠くにはここよりも高い高層ビルの明かりが見える。

視線を下に落とすと狭い路地がある。だが外灯もないその路地は地獄まで続く

かのような深淵に思えた。

何もかも失った自分に、その深淵は相応しい場所のように結衣は思えた。あとは体を少し前に傾けるだけである。



SOSアプリが起動されて録画と通話モードに切り替わる。ゴクアク警備会社事務室ではリュウがその様子を遠隔で受け取った。

「ねえ。聞こえているんでしょ。私は別に助けて欲しくてSOSボタンを押したんじゃないんだ。最後に聞いて欲しかっただけ。親にも友達にも言えないこと。これも人助けだと思ってよね。ちゃんと会費を払ってきたんだからさ」

若い女性の独り言のような呼びかけが聞こえてくる。リュウはすぐに近くにいる社員たちに共有するよう指示を出した。


ルカも指示を受け画面を開いた。動画には夜景しか写っていないのだが、手に持っている為にその景色は横向きでぶれまくっている。

どうやらどこかの屋上からの景色のようだ。そんなことを思っていると次々と情報がスマホに入ってきた。

GPSで場所が特定できる。新宿二丁目だ。通話の相手は結衣ゆい。19歳の女性。

ルカは彼女のもとへ向かいながら、更なる情報をチェックしていく。

彼女のSNSの内容も入ってくる。ホストクラブにお気に入りの男性がいるようだ。そしてそのお金を捻出するために風俗で働いていることも分かってきた。


勢いよく扉を開けた目の前に結衣はいた。派手な色をした髪。短いスカートがビル風に煽られて揺れている。

「結衣さんね。私がお話を聞いてあげるよ」

一刻を争う事態だから無駄なやり取りをせず告げた。


「へえ。女の子もいるんだ。ヤクザみたいな男が来るんだと思った」

「あっ、ヤクザみたいな男は多分この後来るとは思うんだけど」

ルカはこれから駆けつけてくるであろう先輩たちを思い出して少し戸惑ってみた。ただこのやり取りが面白かったのか結衣は笑った。これで少し空気が和らいだ気がした。

「ねえ。ヤクザみたいな人が来る前に私と少し話さない?」

ルカが扉の前から呼びかけた。下手に近付いて刺激することを避けるために彼女の姿を見たところから動かずにいた。

「いいよ」

結衣はそう言うと、ホストに惚れて散々貢いで、風俗で無理して働いて体も精神もボロボロになって、そしてホストに捨てられたことを話した。

想像した通りの内容であった。

想像はしてきたけど、だからどうやって彼女の自殺を思いとどまらせたらいいのか、ルカには思い付かなかった。


「最後にお姉さんに話せて良かったよ。クソみたいな人生だった私が、クソみたいに死ぬだけ」

結衣は正面を向いた。

ビル風に吹き付けられた彼女は上昇気流に乗ってこれから空を飛ぶのではないかと思わせる。

「あっ、えっとクソなんかじゃないよ。私の方が・・・」

ルカが取りあえず話しを繋ごうとした横を、凄い勢いでカズチ先輩が駆け抜けていった。

それと同時に結衣の足がビルから離れる。


「浮いた」と思ったのも束の間。すぐに凄い勢いで視界から消えていった。

そして駆け抜けていったカズチ先輩も、そのまま一緒になってビルの上から飛び降りた。

「キャアアーーー」

ルカは悲鳴を揚げて、その場にしゃがみ込んでしまった。


きっと1分も経っていなかった。でもルカにはその場に何十分も座っていた気がした。

かろうじて残っていた仕事への責任感から、恐る恐るフェンスまで掛けより下を見た。

真っ暗で何も見えなかったが、僅かに点のように白い物が窓の明かりに反射している。

その白い物の上にカズチ先輩に全身を抱きしめられた結衣が見えた。


二人とも死んでしまったのではないかと急いで階段を降りて入り口の扉を出たルカは、目の前にあった巨体に顔面を打ち付けた。

「いたーい」

思わずあげた声に野太い声で返答が返ってくる。

「痛いのはこっちだよ。いきなりぶつかって来やがって」

ケイジ先輩だ。ケースケ先輩も奥にいた。

そして二人が両手で持っていた布団の上にカズチ先輩と結衣がいる。

「はっ、まさか布団で受け止めたの?」

「いやあ、マットを用意する時間が無かったからよ。本当は上の階でカラス避けのネットで受け止めようとしたんだけど、突き破って落ちてきてさ。一応布団も用意してよかったよ」

その言葉を聞いて上を見上げると4階部分で破けたネットと、それを支えようとしていたシンヤ先輩が見えた。

「なんて滅茶苦茶な」

ルカは半べそ状態になりながらも笑みを浮かべた。


あれから結衣はもう自殺をすることはなかった。

ただカズチ先輩にやたらと懐いているようだ。どうやら落ちている時に抱きしめられたことが影響しているらしかった。

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