・10―16 第212話:「悪党の末路:2」

 降参するように呼びかけられたシュリュード男爵だったが、悔しそうな表情を浮かべていたのはほんの一瞬のことだけだった。


「……くはっ! ふはははは! なにが、ここまで、だ! お主らは、たった二人しかおらんではないか! 」


 どうやら彼は、人数の差を頼みにしているらしい。

 二十対二なのだから、普通に考えればそれは、もっともなことではあった。


「ここまで来たのだ! 今さら、邪魔はさせぬぞ! 」


 これまでに見たこともない、気迫のこもった表情。

 今まで他の影に隠れて決して矢面に立とうとして来なかったシュリュードだったが、自ら率先して剣を抜き、かまえていた。

 その仕草に、従っていた傭兵たちは一瞬、驚きを隠せずにいたが、慌てて自分たちも鞘から剣を引き抜いてかまえを取る。


「へぇ。ようやく自分で戦うつもりになったのか」


 源九郎も驚いて目を丸くしていたのだが、すぐに嬉しそうな顔になると、背中の大太刀の柄に手をのばしていた。

 力強い腕でグッとつかみ、長大な刀身を鞘の中から引きずり出していく。

 小柄な体格の珠穂では一苦労だった抜刀も、源九郎ほどの大男になると、難しくはない。

 引き抜くのに少しコツが必要だったが、サムライはスムーズな動きで大太刀を解き放つと、顔の横の位置にまで持ち上げ、八双にかまえて見せていた。


「いいぜ、相手してやらァ! かかって来な! 」

「流民風情が! 貴様ごときに、邪魔されてたまるものか! 」


 顔を真っ赤に怒らせ、剣をかまえた男爵が突っ込んで来る。

 金銀財宝で彩られた、贅沢な宝剣。

 だが、その刀身は紛れもない、ドワーフ族の名工が鍛えた名品だ。使い手が鍛錬を積んだ剣士であれば、恐ろしい威力を発揮する。

 そして、意外なことに、———男爵の剣筋はなかなかのものだった。


「どけェいッ!!! 」


 腹の底から雄叫びをあげ、吶喊とっかんしながら剣を振り上げ、思いきり斬りつけて来る。

 その、気合い。

 雑念の無さ。

 剣を振るう動機が、たとえ自身の栄達のためという利己的なものであろうとも、シュリュード男爵の本気がこもったそれは、鋭い。


「うおっ、とと! 」


 源九郎は数歩後ずさりして剣の切っ先をかわす。


(まぁ、お役人だし、こんなもんだよなぁ)


 意外な剣の冴えに驚かされつつも、彼はすでに見切ってしまっていた。

 剣の道は、一生モノだ。

 鍛錬に限りはなく、至高の一閃を振るうためにはひたすら己を研磨し、経験を蓄積し、勘を鋭敏にしていかなければならない。

 気迫がこもっている分、シュリュード男爵の剣筋は見るべきものとなっていたが、それでも彼は、どちらかといえば文官だ。

 行政の実務が得意であり、普段はそちらに熱心に取り組んでいる。歴史上、武術に長けた文官、というのが存在しないわけではないのだが、日頃からきちんと鍛えていなければ自ずと、その腕前も底の知れたものとなってしまう。

 正直なところ、最初の突撃を受けた際に、一刀の下に斬り捨てるのは容易だった。

 大太刀は、[大]とつく通り、リーチの長い得物だ。だから男爵の剣の間合いに入る前に攻撃することができたし、むしろ、取り回しが悪い分、こうして接近されると不利なほどだ。

 サムライが不利を承知でシュリュードの攻撃を許したのは、彼を生きたまま捕えたいからだった。

 メイファ王国の当局に引き渡し、然るべき捜査を受けさせ、これまでの悪事の数々をすべて明るみに出し、正当な裁判によって、ふさわしい罰を与える。

 斬り捨てるのは、容易い。だがそれでは、男爵は本当にすべての罪をつぐなった、ということにはならない。

 だから源九郎は、敢えてシュリュードの好きなようにさせたのだ。

 もっとも、せっかくやる気を出した彼の本気、というのを見てみたい、という気持ちも、かなり強くあったのだが。


「このっ! どうした!? 逃げてばかりではないかっ!! 散々ワシのことをバカにしておいて、この程度か!? 」


 ビュンビュンと剣を振り回しつつ、男爵は怒りの声をあげ、ひらりひらりと切っ先をかわし続けるサムライを激しくののしる。

 予想もしなかった善戦に、傭兵たちは呆気に取られていた。中にはこのまま勝ってしまうのではないかと思う者まで出てくるほどの戦いぶり。

 だが、すぐに終わりを迎えた。


「ぜぇ……っ! ハァ……っ! お、おのれ……っ、逃げる……なっ!! 」


 日頃の運動不足と、ぜいを凝らした豪華な食生活による肥満がたたったのだろう。

 五分もしないうちにシュリュード男爵はすっかり息を切らし、全身汗まみれになり、苦しそうに振るう剣もすっかり鈍くなる。


「ていっ」


 源九郎はその隙を見逃さなかった。

 せっかく珠穂が貸してくれた大太刀だったが、使わない。

 ただ、へろへろになった男爵に向かって自身の足を出し、軽くひっかけてやる。


「ぬわぁっ!!!? 」


 シュリュードは、面白いように引っかかった。

 背中に重い金貨を背負っていた、というのもあるのだろう。思いきり前のめりに倒れこむと、彼はそのままびたん! と地面に叩きつけられ、そして、ゴロゴロと斜面を転がり落ちていき、ゴツン! と木の根っこにぶつかってやっと停止する。

 途中で豪華な剣も手放してしまい、すっかり泥まみれになったその姿は、少し滑稽だった。


「勝負ありだな、男爵さんよ! 健康を意識して、もっと運動をしておくべきだったな! 」

「うぐぐ……っ! おのれぇ……っ、コケにしおって……っ!!! 」


 上から見おろしてくる源九郎を悔しそうに歯ぎしりしながら見上げながら、男爵は何度も立ち上がろうとする。

 しかし疲労と、背中の金貨の重みのせいでうまくいかない。足元も悪いから、なおさらだ。


「お前たち! なにをしておる! こ奴を討ち取れッ!! 」


 仕方なくシュリュードは、戦いの行く末を見守っていた傭兵たちに助けを求めた。

 すると我に返った彼らは、あらためて剣をかまえ直し、サムライと対峙する。

 尾根線上で一列の隊形になっていたのだから、必然的に最前にいた者が雄叫びをあげて突っ込んで来る。


「だりゃあッ!!! 」


 源九郎は素早く大太刀を振り下ろしていた。

 重苦しい風切り音と共に打ち下ろされた刀は、傭兵が渾身こんしんの力を込めて振るおうとしていた剣の横腹を叩く。

 たまらず、手から剣が落ちる。

 そこへすかさず、前に出たサムライは肩から当て身を加えていた。

 果敢に戦いを挑んで来た男爵の私兵はバランスを崩し、斜面を転がり落ちていく。

 続いて、二人、三人と、次々と同じ目に遭わせると、残った者たちは怯んで、身構えたまま間合いを計り始めた。


「アンタら。契約ってのは大事なんだろうけどよ、よぉ~く、考えてくれよな」


 そんな彼らを睨みつけながら、悠然と大太刀をかまえた源九郎は言い放つ。


「アンタたち、カネのために、本当に命、捨てられるワケ? 」


 問われた傭兵たちは、ゴクリ、と固唾を飲みこみ、思案する。

 確かに、カネは大事だ。通貨がその役割を果たしている限り、十分な金額があればそれだけで生きていくことができるし、楽しい思いだって、贅沢だってできる。

 だが、目の前に絶対に勝てそうにない部芸達者なサムライという存在を突きつけられては、考えざるを得ない。

 普段なら支払いが続く限りは裏切ったりしない、プロの雇われ兵士である彼らだったが、これは緊急事態だった。

 相手は今までに出会ったこともないほどの手練れ。

 しかも道が尾根線に沿った一本道しかなく、数の有利をまったく生かすことができない。

 弓や弩といった飛び道具でもあればまた状況は変わったのだろうが、生憎、それらの持ち合わせはなかった。金貨を背負うために荷物を最低限にして来たからだ。

 背中に背負った金貨の重みと、自分の命。

 しばらくの間傭兵たちはそれらを天秤にかけて思い悩んでいたのだが、結局は源九郎からの威圧に屈して、武器を捨てた。

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