・10―14 第210話:「裏切り者のすること」
シュリュード男爵は、明晰な頭脳を持った人物であった。
おそらく、不正など働かなくとも相応に評価され、現在の男爵という地位も得られたのに違いない。
だが、彼はそうしなかった。
[男爵]程度の地位では、到底、彼の野心を満足させることはできなかったからだ。
———真面目に、コツコツと働いたところで、なれるのは貴族といってもその末端に過ぎない。周囲から評価されてそれなりに尊敬もされるのには違いなかったが、すっかり年を取るまで懸命になった結果が、その程度。
生まれながらに貴族としての地位を持っているナビール族が、恨めしかった。
彼らの多くはエルフの血脈がいかに濃いかだけを評価基準にし、普段は偉ぶっているのに、実務面ではシュリュードのような人間を登用しなければ、なにもできない存在なのだ。
それなのに、生まれの違いだけで一方的に人々をこき使える立場にいる。
そんな、男爵からすれば実力もない肩書だけで生きている者たちに指図されるだけの人生など、まっぴらごめんであった。
(ワシは、出世してみせるぞ! 出来得る限り! )
ナビール族にひたすら頭を下げる大人たちの姿を目にして育ったシュリュードは、あらゆる手段を惜しまずに今日の出世街道を
地方の役人から、中央の役人、幹部として取り立てられ、男爵に。
やがては、伯爵にだってなってやろうと思っていた。
書類を偽造して元々他人がやるよりも良好だった成果をさらに水増しし、横領して得た資金を
それが[悪]であることなど、百も承知。
シュリュードにだって、人並みの良心くらいは存在している。自身の出世の邪魔にならないような相手や、管轄になって治めることになった民衆の暮らしについては細心の注意をはらって来たし、その配慮がさらに彼の実績となって上積みされて来た。
そうまでして、自分が突き進んできた立身出世の道。
なにを犠牲にしてここまで来たのか、男爵は一時たりとも忘れたことはなかった。
———だからこそ、こんなところで終わりにさせられてたまるか、という思いがある。
ふらりとあらわれた集団。その中にいた、本物のお姫様。
王宮の中で蝶よ花よと育てられ、世の中の後ろ暗いところなど知らない、[光の世界]だけを生きて来た純粋培養された[小娘]。
そう、小娘だ。
自分の力ではなんにもできないし、実務のことなどまるでわからないクセに、高飛車で指図だけして来る、典型的な[お貴族サマ]。
(あんな奴に、終わらせられてたまるものかよ! )
絶対に、認めない。
王族としての[責任]をまるで勘違いして出しゃばって来るような、世間知らずの少女に、自分がこれまでどれほどの辛酸を舐めながら、どれほどのものを犠牲にして現在の地位を築き上げたのかなど、わかりはしないだろう。
そんな相手に、自身の野望を潰えさせられるなど、考えたくもない!
だが、状況はシュリュードにとって悪かった。
なんとか逮捕される危機は脱したものの、逃げ出したセシリア王女を捕縛し、口封じすることができなかっただけでなく、捕虜にしたはずの取り巻きの大男も、いつの間にか姿を消してしまっていた。
その上、周囲の情勢を探らせるために放っていた
この辺り一帯を統括する立場にある伯爵が動いた、とうことは、なにか緊急事態が起こったのか、王都から急な命令でも入ったのか。
間者たちからは特段、辺りで災害や戦などが起こったという知らせは入っていない。ケストバレーでの騒動があったくらいで、平穏無事といっていい。
だとすれば、王都からの命令でアルクス伯爵はにわかに動き始めたのに違いない。
いったい、なんのために?
別に確証があるわけではなかったが、シュリュード男爵の危険察知能力は、自身を逮捕するために動き始めたのだと判断していた。
逃げ出したセシリアから要請を受けたにしては話が速すぎるから、王都で、誰かが保身と引きかえにこれまで男爵が行って来た不正のことを証言したか、あるいは、決定的な証拠をなんらかの方法で得たのかもしれない。
深手を負わせたはずの王女様の手下、鉱山の内部にまで贋金作りの証拠を探りに来た[ネズミ]の行方が未だに知れない、ということもある。
なんらかの証拠を持ち帰られ、アルクス伯爵領に逃れて、男爵の悪事を暴露されたのかもしれない……。
事実とはやや異なってはいたが、おおむね、シュリュードの懸念は当たっていた。
(それにしても、間一髪であったな……)
アルクス伯爵が軍勢を率いて自身を逮捕する前にさっさと逃走することを選んだシュリュード男爵は、鉱山の暗闇の中を二十名ほどの傭兵を率いて進みながら、自身の判断の正しさを確信していた。
私兵たちも、男爵自身も、大きな荷物を背負っている。
中に入っているのは、これまでシュリュードが貯め込んで来た、不正に蓄財された財産。
莫大な数のプリーム金貨。それも、贋金ではない本物だった。
本当は、もっとたくさんの財宝を持っていた。それらを馬車に積み込み、何台もの車列を連ねて国外に高跳びする、というのが本来の計画ではあったが、止むを得ずこうして、持てるだけのものを持って逃げ出している。
ただし、これだけでも再起を図るのには十分過ぎる金額になる。
すっかり追い詰められてしまってはいたが、男爵の出世の道はまだ、閉ざされてはいなかった。
(この金貨を使って、ワシは、さらにのし上がって見せるわい! )
軽く息を切らして進みながら、男爵はニヤリ、と不敵な笑みを浮かべ、地上へと続く光を見すえていた。
ケストバレーの鉱山は、長く掘り進める間にいつの間にか、山脈の反対側まで掘り抜いてしまっていた。
そしてそこから外に出れば、メイファ王国とは対立関係にある西の隣国、アセスター王国は目と鼻の先。
主君を裏切った奸臣は、持てるだけのカネをかき集めて寝返り、そこで新たな栄達を成し遂げようと目論んでいた。
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