・10―13 第209話:「討伐隊」

 この窮地を抜け出すことのできる、唯一の可能性としてセシリアが信じ、会おうとしたアルクス伯爵。

 彼は、過去の印象を裏切らない人物であった。

 全身泥まみれ、擦り傷だらけ。衣服は麻布の粗末なチュニック。

 およそ、一国の王女とは思えない姿であらわれた少女の正体に伯爵はすぐに気づくと、その言葉を真摯しんしに聞き入れ、そして手厚く保護してくれた。

 足首に怪我をしてしまっていたフィーナは城館に迎え入れられ、信頼のおける女中たちの手によって適切な手当てが施され、今は安静にしている。

 そしてセシリアは、馬上の人となった。

 伯爵の馬に一緒に乗せてもらった彼女は、二百騎からなる騎士団と共に、ケストバレーに向かっていた。

 それは、討伐隊だ。

 シュリュード男爵の悪事を暴き、彼を捕えるために差し向けられた尖兵せんぺいだった。


「昨夜、王都より緊急の魔力通信があったのです」


 最短経路となる道を選んで馬を速歩はやあしで進ませながら、アルクス伯爵はどうして自身が臨戦態勢を整え、こうして男爵を糾弾するために急いでいるのかを教えてくれた。

 魔力通信というのは、遠距離同士で連絡を取り合うための高度な魔法のことだ。何人かの魔法使いが協力し、必要な道具を整えてようやく数百キロも離れた先と交信することが可能になるという魔術で、なかなか準備するのが大変なことから、戦争や、緊急時以外にはあまり使われない。


「王都から? 」

「はい。わたくしも詳しいことは分かっていないのですが、シュリュード男爵が裏切りを働いているという動かぬ証拠を手に入れたから、男爵を直ちに逮捕せよとのことでございました。……そして、セシリア様が窮地にある、とも。それで、急ぎ救出に参上しようとしていたのです」


 いったい、どうやって証拠の品を手に入れることができたのか。

 ラウルがいろいろあって王都にいるということを知らないセシリアとしては疑問を禁じえなかったが、しかし、とにかく伯爵が味方である、ということは頼もしかった。

 周囲を固めているのは、精鋭とはいえわずかに二百。

 城下に駐屯していて昨夜の命令に即応することのできた歩兵一千が後続しているが、王国にとっての重要拠点であるケストバレーに駐留している守備兵力に比べるとどうしても見劣りがしてしまう。

 だが、これで十分だった。

 アルクス伯爵はシュリュード男爵よりも爵位が上である、というだけではなく、この辺り一帯の王国軍を統率する権限を国王より与えられている。

 つまり、戦時になればケストバレーにいる兵力も彼の指揮下に置かれることになっているのだ。

 そんな伯爵が自らおもむくのだから、兵士たちも男爵に盲従することはしないだろう。

 しかも今度は、セシリアは本物の王女として認められるのに違いなかった。

 相変わらず薄汚れた、いや、谷でその正体を明らかにした時よりもさらに酷い姿となってはいたが、その身分はアルクス伯爵が保証してくれるし、なにより一緒の馬に乗せてくれている。

 誰もが、お姫様のことを信じざるを得ないはずだった。


(源九郎! それに、珠穂さんに、小夜風! ラウルも……、待っていてくださいませ! )


 一晩中、元村娘を背負ったまま歩き続け、疲れ切って、空腹で、喉が渇き、今にも意識を失ってしまいそうなほどに眠かったが、セシリアは奥歯で頬の内側の肉を噛みしめ、必死に意識を保って伯爵の背中につかまっている。

 そんな彼女のことをちらりと振り返って、馬を駆けさせていたアルクス伯爵が愉快そうな笑い声をあげた。


「はっはっは! それにしても、姫様。こうしておりますと、昔を思い出しますな! 」

「ええ、なつかしいですわね! 幼い頃、こうしてよくお馬に乗せていただきましたわ! 」


 見るからに疲労困憊ひろうこんぱいしているだけでなく、仲間たちへの心配から沈痛そうにしているのを気づかって、励まそうとしてくれたのだろう。

 長いつき合いからそのことが分かったお姫様は気丈に笑みを浮かべると、伯爵の誠実さに心から感謝していた。

 ———やがて、一行はケストバレーにまでたどり着いた。

 煙が見えない。すっかりボヤは鎮火されている様子だった。

 しかし、門は固く閉ざされている。


「アルクス伯爵の名において命ずる! ただちに開門せよ! 王都より火急の知らせがあり、シュリュード男爵に大きな罪があることが明らかとなった! 我々は、彼を逮捕せよとの王名を授かっているのだ! 兵士たちよ、もはや男爵に従う必要はない! ただちに我が指揮下に入り、そして、大逆人シュリュードを捕えるのだ! 」


 自身の身分を示すための旗持ちの騎士と警護の五人の騎士を従え前に出たアルクス伯爵は、下馬する手間も惜しみ、声を張り上げる。


「さぁ、門を開くのだ! 王女殿下もおいでであるのだぞ! 」

「そうですわ! 身分を隠していたとはいえ、わたくしを害そうとした男爵の罪、許してはおけません! 貴方たちも同罪とされたくなければ、直ちに門を開き、そして、シュリュードの下へわたくしたちを案内なさい! 」


 なかなか門が開かれないことに焦り、セシリアも伯爵と一緒になって声を張り上げる。

 城門の上で警戒していた門番たちは、戸惑っている様子だった。

 「あれ、昨日の、偽王女だよな? 」「いやまさか、本物だったの……? 」「あれ、アルクス伯爵の旗で間違いないし、ほ、本当に……? 」

 互いに顔を見合わせている彼らはきっと、そんなことを話し合っているのだろう。


「早くなさい! 我が命は、お父様の、国王ニコラウスの言葉と思いなさい! 」


 ダメ押しに王の名を出したことで、ようやく、門番たちは城門を開くことを決意したらしい。

 ほどなくして重苦しくきしみながら分厚い門が開かれ、部隊長を筆頭に整列した兵士たちがセシリアとアルクス伯爵を出迎えた。


「ご苦労様です。さ、早く、シュリュード男爵のところまで案内なさい」

「そ、それが……」


 いよいよ奸臣を捕えることができる。

 そう思って案内を命じたお姫様だったが、しかし、部隊長から聞かされた言葉に驚きを隠すことができなかった。


「実は、シュリュード男爵は今朝から、行方が分からなくなっているのです」

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