・10―11 第207話:「意外な再会:1」

(夜が、明けたのぅ……)


 朝日が昇るのを、珠穂は、森の木々の間から見上げていた。

 背後には、数メートルの高さがある切り立った崖。

 足元には、低い姿勢で、威嚇いかくする体勢を取っている小夜風。

 そして、目の前には槍をかまえた、兵士たち……。

 セシリアとフィーナを逃がすために囮となった巫女と善狐は、一晩中森の中を捜索する相手を翻弄した後、とうとう、追い詰められてしまっていた。

 みな、疲れ切り、汚れきっている。

 半日ほども逃げたり、追ったりしていたのだ。珠穂の巫女服の白かった部分はもうほとんど残っておらず、あちこちがほつれ、切れ込みが入り、その下に見える白い肌からはうっすらと血がにじんでいる。小夜風もその黄金色の毛並みはすっかりくすんで、葉っぱや細かい枝の破片など、様々なものがくっついている。兵士たちも息を切らしていて、身に着けている甲冑を酷く重く感じている様子だった。

 それでも、突きつけている槍の穂先は、下がることはない。


「いい加減、降参しろ。王国の法にのっとり、正当な裁判を行うと約束する」


 ここにいる中ではもっとも立場が上らしい壮年の髭面の兵士が、落ち着いた声で言う。

 互いに、殺気は放ってはいなかった。

 巫女とアカギツネはただ追手たちの注意を引きつけたかっただけで害意などそもそもなく、夜の間ずっと彼女たちと渡り合って来た兵士たちにも、その意志ははっきりと伝わっていたからだ。


「さて……、どうしたものか、のぅ」


 珠穂は肩で息をしながら、大太刀を上段にかまえ、悩ましそうに顔をしかめる。

 ここで降参したとしても、兵士たちは手荒なことをしないだろうと信じることはできた。

 しかし、彼らのことはともかくとして、シュリュード男爵のことは信用ならない。

 きっと人質にされて源九郎に情報を吐かせるために使われるか、逆に、サムライを殺すぞとこちらが脅されて、セシリアとフィーナの行先についてしゃべらされることになってしまうかもしれない。

 それだけなら、まだいい。巫女は二人の少女が具体的にどこに向かうのかは、敢えて聞かずにここにいる。だから、致命的な情報漏洩は、どうあっても起こらない。

 ただ、その場合、有用な情報を得られなかったと逆上して、そうでなくてもなんだかんだ理由をつけて、男爵は珠穂の身体カラダをもてあそぼうとするかもしれなかった。

 アレはそういう、強欲な人間だ。

 信用ならない。


「すまぬな、お主ら。仕事なのはわかっておるが、やはり、わらわも捕まるわけにはいかぬのじゃ」


 自分にはまだ、果たすべき使命が残っている。

 遠くの故郷を離れ、三年以上もの年月をかけて大陸を横断して来た辛い旅の日々のことを思い起こした巫女は、結局はそういう結論を下していた。

 兵士たちが一斉に姿勢を低くし、いつでも槍を突き出せるように身構える。

 降伏を拒否された以上、危害を加えることもやむを得ない。

 険しい視線が、そう告げている。


「たァァァッ!! 」


 そんな彼らに向かって、珠穂は残っている体力を振り絞って大太刀を振り下ろした。

 振る、というのは、正しい表現ではなかったかもしれない。

 より正確なのは、[振られる]というものだろう。

 彼女が絶えず背負って来た大太刀は、その刃渡りだけでも、その身長と並ぶほどもある。柄まで含めれば優に二メートルを超える。

 そんな長大な剣だ。

 当然、それなりの重量がある。

 大柄で筋骨たくましい源九郎のような人物が振るうのならまだしも、珠穂のような小柄な女性が振るうには、あまりにも重すぎるのだ。

 だからこそ普段は鉄扇を使い、大太刀を抜くとしても小夜風の術に頼っていたのだが、長柄武器を持った兵士たちと戦うためにはそのリーチがどうしても必要だったから止むを得ず彼女自身の手で振るっている。

 ブオン、と鈍い音と共に振り下ろされた大太刀は結局何も斬ることはなかったが、一時的に兵士たちに距離を取らせることには成功していた。

 彼らは源九郎が振るった刀の切れ味をすでに知っている。だから、大きさは違うが日本刀の一種である大太刀のことを警戒しているのだ。


(このまま、押し通れれば! )


 わずかな希望と共に、気力を振り絞って珠穂は大太刀をとにかく振り回す。

 そうして相手を威嚇いかくし、道を開かせる以外に、この窮地を抜け出す方法を思いつくことができなかったからだ。

 まさに、[つけ焼き刃]。

 ———そんな攻撃は、普段から十分に訓練を積んでいる、真面目な兵士たちには脅威とはならなかった。


「セィアッ! 」


 降伏勧告を述べた壮年の兵士が、かけ声とともに鋭く槍を振るう。

 それは巫女が大太刀の重さに引きずられて体勢を崩している瞬間に刀身の横腹を捉え、彼女のかまえを決定的に打ち崩していた。


「くっ! 」


 しまった、と思いつつも、なんとか立て直そうと試みる。

 だが、兵士たちの動きの方が速かった。

 彼らは「ギャウ! 」と吠えた小夜風の放った狐火にもひるむことなく一斉に前進し、ふらついている珠穂に向かって槍を突き入れる。

 もっともそれは、殺傷を狙ったものではなかった。

 あくまで、動きを押さえつけるためのもの。左右、そして前方から迫って来た槍は巫女の身体を捉えることはなく、柄の部分で肩を上から押さえつけてくる。

 抵抗は、できなかった。

 一晩中森の中を駆け回り、不慣れな大太刀を振り回して体力を消耗していたのだ。

 珠穂はあっさりと膝を折り、そして、その場で身動きを取れなくさせられてしまっていた。

 兵士たちはこういう捕りものの訓練も積んでいたのだろう。その所作は手慣れていて、隙がなかった。

 ———ようやく、捕らえることもできた。それも、おそらくは無傷で。

 その事実を実感した兵士たちは、一様にほっとしたような表情を浮かべる。


「これまで、じゃの……」


 珠穂も小夜風も、観念する他はない。

 残念ではあったが、達成感はあった。ここまで時間を稼げば、おそらく、セシリアとフィーナは無事に逃げおおせただろう。

 自分の役割は果たせた。

 そんな思いと、もう逃げ回らずに済むという安心感から、珠穂は深々と溜息を吐く。


「おっと。諦めるのはまだ早いぜ、珠穂さん! 」


 だが頭上から聞き覚えのある声が聞こえてきて、彼女は心底から驚いた、きょとんとした顔になっていた。

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