・10-10 第206話:「アルクス伯爵:2」

 戦の準備を進めている。

 その印象は、間違ってはいなかった。

 アルクス伯爵の城館に近づき、朝日が昇り、よりはっきりと状況を確認できるようになると、事実として認めざるを得ない。

 城館だけでなく、城下全体が騒然となっていた。

 早朝の静寂を打ち消すような、慌ただしく動き回る人々の喧騒けんそうと馬のいななく声が、盛んに聞こえてきている。

 街を防衛するために設けられている城壁の城門も、固く閉ざされていた。

 メイファ王国の規定によれば、いくつかの例外を除いて、門は日が暮れると閉じられ、日が明けると開かれることになっている。

 すでに太陽は東の空にしっかりと顔を見せ、輝いている。本来ならば城門を開いて旅人や住人の通行を許すはずの時間には、とっくになっているはずだった。

 それでも門を閉じているということは、やはり、臨戦態勢にあるか、あるいは、街の中でなにか事件でも起こっているか、ということに違いなかった。


「誰か! 誰か、おりませんの!? 」


 なんとかここまでたどり着いたセシリアは、城門前の水堀を横切るようにかけられた木橋の上で立ち往生し、必死に声を振り絞っていた。

 中でなにが起こっているのにしろ、ここでアルクス伯爵からの助力を得ることができなければ、自分は仲間を助けることも、悪を制裁することもできない。

 だからその声は切実で、よく通った。


「もう、太陽はすっかり昇っておりますわ! 朝になれば門を開くのが、この国の決まりとなっているはず! どうか、門を開いて下さいまし! わたくしたちは一晩中歩き続けて、ヘトヘトで、それに、一人は怪我もしているんですのよ!? 」


 返答はない。


「ちょっと! まさか、誰もいらっしゃいませんの!? そんなの、職務怠慢ですわーっ!! アルクス伯爵と言えば、王国でも武勇と忠誠心の誉れ高いお方。それなのに部下の方は門番をさぼっているなんて、情けないですわーっ! 」

「うるさいぞっ! 」


 なんとか誰かと話をしたいセシリアが大声でなじり始めると、ようやく、城壁の上に兵士が姿をあらわした。


「あら、ちゃんと門番がいらっしゃるじゃないですか! ねぇ、あなた! 門を開いて下さいませんか!? もう開かなければならない時間でしょう!? 」

「事情があるらしいが、こちらは、伯爵さまの命令で厳戒態勢を敷いている。すまないが、引き返してくれ! 」

「そんな! それではわたくしたち、困ってしまいますわ! 」

「困ると言われても、こっちも命令なんだ。どうしようもない! 」

「もう、意地悪な方! ……では、アルクス伯爵とお話させていただけませんか!? 」

「はぁ? そんなの、できるわけがないだろう!? お前たちのような、薄汚い小娘が……」

「アルクス伯爵は、セシリアが参りましたと聞けば、そのようなことをおっしゃらないはずですわ! 」

「なんと言われようと、取次はできない! 伯爵様は昨日、王都よりの緊急の魔力通信を受けてからずっと、お忙しいんだ! とにかく、いったん引き返しなさい! そこにいると危ないぞ!? 」


 自分だって、寝ていない。

 兵士の声音にはそんないら立ちと、彼自身も理由を知らないまま臨戦態勢を敷いている緊張も含まれていた。


「こ、困りましたわ……」


 兵士が、話はこれで終わりだ、とばかりに一方的に頭を引っ込めてしまったのを見上げながら、セシリアは途方に暮れる。

 ———城門前の跳ね橋が下り、鉄で補強された厚い木製の門扉が重そうにきしみながら、ゆっくりと開き始めたのはその時だった。


「あ、あら? あの兵隊さん、存外、物わかりの良いお方だったのかしら? 」


 拍子抜けした気持ちだったが、これで街の中に入れる、アルクス伯爵に会える、と思うと、自然と表情がほころんでしまう。


「お、おねーさん! あ、アレっ!! 」


 直後、背負ったフィーナの緊迫した声で我に返っていた。

 なぜなら、開いた門の向こう側には、完全武装を整えた騎士たちの姿があったからだ。

 四列に並んだ、騎兵の集団。

 様々な毛並みを持った馬たち。みなたくましく精悍で、馬鎧を身に着けている。

 その背中に乗っているのは、甲冑を身に着けた騎士だ。衝撃を受け止めるための綿入れ、くさび帷子、部分的な板金鎧、どこの家の所属かを示す、紋章入りの外套がいとう。頭にはバケツをひっくり返したような兜を被り、手には騎槍ランス、腰には剣を差している。

 朝日を受けて鋼が緋色に輝き、かかげられた隊旗が誇らしげに風になびいて緩くひるがえっている。


「おい、娘! 伯爵様のご出馬なんだ! 早く道をあけろ! 」


 一度は顔を引っ込めた兵士がまた姿をあらわし、まだ二人の少女が木橋の前にいるのを見つけて、血相を変えて叫んだ。

 セシリアは咄嗟とっさに、身体が動かない。

 極度の疲労もあったし、なにより、目の前に姿をあらわした勇壮な騎士たちの姿に圧倒されてしまっていたからだ。


「おねーさん、避けた方がいいっぺ! 」


 自分のような貧民が軍隊の行軍を遮れば、どうなるのか。

 軍事行動は一刻の猶予を争う、という理由で、慈悲もなくき殺されることだってあり得ないことではない。

 それを知っているフィーナが警告するが、その声にも、セシリアは微動もしなかった。

 彼女は目の前にあらわれた騎士たちの中に、アルクス伯爵がそこにいることを示す将旗がかかげられているのを見つけていたからだ。


「アルクス伯爵! わたくしです! 王女、セシリアです! ……どうか、話を! わたくしの話を、聞いて下さいませ! 」


 ぎゅっ、と脚を踏ん張り、騎士たちが放つ威圧感に耐えながらありったけの空気を肺から吐き出して叫ぶ。


「お、おい、お前たち! 何をしてるんだ、早くどくんだ! 」


 血相を変えた門番が手ぶりでどけ、どけ、としながら急かして来るが、無視する。


「ここから南西の、ケストバレー! そこのシュリュード男爵が、王国に対して謀反を企てたのです! 贋金を作り、王女であるわたくしを害しようとしたその罪、償わせなければなりません! アルクス伯爵、どうか、わたくしにお力添えを! 」


 門番は「なんてこった……」と顔を青ざめさせ、背中のフィーナは、もうどうなっても知らないっペ、と恐怖からセシリアの髪の中に顔をうずめて、小刻みに震える。

 しかしそれでもその場に仁王立ちしていると、騎士たちの隊列が左右に割れ、鹿毛かげの馬にまたがった男性が一人で前に進み出て来る。


(アルクス伯爵……! )


 顔の見えるタイプの兜の下にある髭面を目にして、お姫さまは固唾を飲んでいた。

 彼が、自分にとっての味方なのか。あるいは、敵なのか。

 これからの一瞬で、それがはっきりとする。


(おじさま……! どうか、お願い! )


 セシリアは唇を左右に引き結び、逃げ出したい衝動に耐えながら、ただ、祈った。

 ———そして彼女は、賭けに勝利した。

 ゆっくりと進み出て来たアルクス伯爵は馬を止めると、ガシャリ、と甲冑の重そうな音を響かせながら下馬し、さらに一歩進み出ると、二人の少女に向かってひざまずき、深々とこうべを垂れたのだ。


「ご無沙汰しております、セシリア姫。臣、アルクス伯、なんなりと命を承りましょう」


 これで、仲間を助けに、そして悪を滅ぼしに向かうことができる。

 そう理解した瞬間、根性を見せて突き進んできたお姫さまは、へなへな、とその場に崩れ落ちてしまっていた。

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