・10-7 第203話:「ゆけ! お嬢様! :1」
セシリアは歩き続けた。
足首を痛めてしまったフィーナを背負い、息を切らし、それでも歯を食いしばりながら、必死に。
履いていた靴は、すでにボロボロになっていた。暗い森の中を抜ける間に木の根や石など、いろいろなものにぶつかり、泥の中に突っ込まれたそれは、元々の色が何だったのかわからないほどに汚れ、穴が空いている。
その内側にある足も、ずいぶんと酷い有様だ。
今まで王宮で大切に育てられてきた、傷一つなく、輝くような美しい肌を持っていた足。数週間も旅を続けてくる中で皮が厚くなり、長時間の歩行にも耐えられる強靭さを獲得したはずだったが、今夜の酷使によってマメができ、潰れて、血がにじんでいる。しかも容赦なく入り込んで来た泥で汚れ、ドロドロだった。
足首に怪我をして、腫れてしまっているフィーナに比べればだいぶマシではあるが、正直なところ痛くてたまらない。
それでも、セシリアは弱音を吐かなかった。
絶対に連れて行くと決めた少女を背負い続け、ひたすら、東へ。
(
うつむきそうになる顔をあげ、止まりそうになる脚を無理やり前に出し続ける。
———王都において、蝶よ、花よと育てられてきた、自分。
しかし、王女でありながら、多くのコンプレックスも抱えて生きて来た。
ナビール族らしい、エルフの血脈由来の美しい美貌。
エルフとの混血種族であることを誇り、貴族階級としての特権意識を育んできたナビール族の間では、[いかにエルフの血が濃いか]は重要なステータスとなっていた。
より美しく、そして、より強い魔法の力が使える者ほど、ナビール族の社会の間では尊敬される。
美しさ、という点ならば、それなりに自信はあった。
だが、セシリアはどういうわけか、魔法に関してはからっきし。
簡単な魔法さえもほとんど使えないという有様で、それは、時に嘲笑の対象とされるほどだった。
時々、あるのだ。
魔法の才能をまったく受け継がずに生まれて来る、ナビール族というものが。
———魔法も使えない小娘に、いったい、なにができるのか。
人々はセシリアに対して王族にふさわしい礼節を持ち、丁重に接してくれていたが、そうした中にも時折、
魔法など使えずとも、自分は、王女としてふさわしい力量を備えている。
それを示すためには、自らの力だけで[なにか]を成し遂げなければならないと思っていた。
そんな悩みを内に抱えていた時、偶然に知ったのが、ケストバレーの調査の件だ。
王都・パテラスノープルの市場に、贋金が出回っているらしい。そしてその出所は、ケストバレーであるらしい。
これは、なんとしてでも調査し、事件を解決せねばならない。
昔馴染みのラウルとトパスが話し合っているのを偶然耳にしてしまったセシリアは、(これですわ! )と思った。
この調査に自分も参加し、事件をズバッと解決してみせれば、誰もが見直すのに違いないと、そう考えたのだ。
だが、そんなことをするつもりだと知られれば当然、止められる。
危ないマネなどせず、マナーの練習や、もっと美しく可憐な仕草ができるように修行をしろと、うるさく言われてしまう。
だから誰にも内緒で王宮を抜け出し、昔から律儀で忠誠心の厚いラウルに無理を言ってこの旅に同行したのだ。
必ず、証明してみせる。
魔法など使えずとも、自分は立派な王女なのだと、人々にわからせる。
そのために懸命になった。
———だがそれは、とんだ思い違いだったのだ。
こんなところに、王女がいるはずがない。
王女の名を騙るこ奴らを、ひっ捕らえよ!
そうシュリュード男爵に言われた時に、セシリアは気づかされたのだ。
自分には、[王女]という肩書以外、なにもないのだと。
ひとたびその肩書を無視されてしまえば、もう何もできない、無力でか弱い少女に過ぎないのだと。
そう、実感せずにはいられなかった。
悔しかった。
情けなかった。
魔法など使えなくとも、自分は立派な王族であるのだと示すはずが、王女という身分がなければどうすることもできないのだという事実を、突きつけられた。
これまで人々から向けられてきた、笑顔。
そっらは、セシリア自身に向けられたものではない。
彼女が背負っている[王女]という肩書に向けられたものだったのだ。
そう理解した時、
今までの自分がどれほど愚かで、能天気であったのかを思い知らされた。
根本的な思い違いをしていたのだ。
セシリアは王女であって、それ以外の何者でもない。
その力の源は、その生まれ持った血筋にあり、魔法が使えるとか使えないとか、優れた美貌を持っているとかいないとか、そういうのはまったく、関係のないことだった。
自分の力で、何かをできることを示す。
そんなことをする必要はなかったし、誰も、そんなことをセシリアに期待などしていなかった。
それは当然だ。王女という肩書を外してしまえば、彼女はただの[小娘]に過ぎないからだ。
恥ずかしい。
本当に、恥ずかしい。
自分が何者なのかということを理解せず、出しゃばってしまった。現場を余計に引っかき回し、状況を酷く悪化させてしまった。
自分は、王女。
その役割は、こうして現場に出て、何かをやって見せることではないのだ。
その肩書が持つ力を駆使して、人々を動かし、より良い方向にこの国を導いて、民たちの暮らしを守っていく。
それが、自身の成すべきことであり、王女として果たさねばならない責務であったのだ。
(
本当に、骨身に染みた。
後悔しか、湧き上がって来ない。
———だからこそ、セシリアは前を向き、歩き続ける。
自分がしでかしてしまった、不始末。
もう取り返しがつかないかもしれないという不安にさいなまれながら、それでも、ここで投げ出してしまってはいけない、それこそ無責任だという気持ちが、彼女を進ませる。
この旅の間、フィーナは、良い友人だった。
世間知らずなお姫様に文句を垂れながらも、いろいろ面倒を見てくれたし、様々なことを教えてくれた。
その元村娘が、自分の愚行のせいで怪我をして、苦しんでいる。
守らねばならないはずだった民が、自身の失敗のせいで。
(必ず、やりきってみせますわ! )
フィーナはまだ成長しきっていない少女で、体重もそれほど重くはなかったが、今は全身が鉛でできているのかと思えるほどだった。
疲労が蓄積されてしまっている。
もうすべて投げ出してしまいたいという衝動が、喉元までせりあがってきている。
だがこれはすべて、セシリアの行動の結果なのだ。
ならば、彼女を置いて、無責任になることなど、許されるはずがない。
そんなことをしたら、自分で自分を許すことができない。
前へ。
とにかく、前へ。
お姫様は元村娘を背負ったまま、ひたすら、前へ、ゆく。
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