・10-6 第202話:「自覚」
本音を言えば、こんなボロ小屋でもいいからこのまま横になって、朝になるまで休みたい。
暗く、足元の悪い森の中を歩き続けてきたせいで体力を余計に使ってしまっていたし、全身が汚れてドロドロになっている。
(ああ……、お風呂が、恋しいですわ)
セシリアはふと、王都での何不自由ない生活を思い起こし、暖かなお湯につかっている際の心地よさに思いを
———しかしすぐに彼女は、現実に戻って来る。
ここまで背負って来た荷物を下ろし、フィーナとわずかに残っていた最後の食料と水筒の水を分け合うと、乾燥させた数粒のナッツを口の中で
追手の姿は遠くにあるが、こちらから松明の揺らめきが見えている、ということは、ここで明かりを使えば相手にも見つかってしまう。
光を使えないので月明りを頼りに地図を眺め、必死に、自分たちのいる場所を推測する。
抽象的な書き方をされた地図だ。メイファ王国の王都と主要な街、それらを結ぶ街道、そして山脈や目印になる特徴的な地形が図案化され、見る者を楽しませ地図に格式を持たせるために様々な動植物、そして神話に出て来る怪物たちの絵が散りばめられている。
明るい時間帯に街道を進むような、日常的な旅行や交易であれば十分すぎるほどに有用な地図ではあったが、今のこの状況では心もとない。自分たちが正確にはどこにいて、どの方角に向かえばいいのかは、大まかにしか分からない。
この田園がどの辺りで、目的地からどれほど離れているのかなど、測ることは不可能だ。
それでも、手元にあるものはこれだけであり、他に頼れるものはなかった。
「うぅん……、多分、アルクス伯爵の城館は、こちらに進んで行けばいいはずなのですが」
それでも、ケストバレーという地図に記載のある場所から北東に進んで来たということから現在位置の見当をつけると、セシリアは次にどの方角へ進めばいいのかを決めた。
ここからは北東ではなく、東へ。
アルクス伯爵の治めている領地は出発した地点からは北東に真っ直ぐに向かった先にあるはずだったが、暗い森の中を逃げてきたために、おそらくは相当、狂いが生じているはずだった。なんとかその狂いを修正する必要がある。
あてずっぽうで北東に進み続けてもいいが、それでぴったり目的地に着くことは難しいから、最悪の場合、目的地を通り過ぎてもそれに気づかず、いつまでも当てもなくさまようこととなってしまう。
このまま真っ直ぐに東へ進んで行けば、やがて大きな街道に出る。整備された主要な幹線道路だから石畳でしっかりと舗装もされているし、旅人を日差しから守るための街路樹なども植えられているから、はっきりと分かるはずだ。
そこからまた針路を変え、今度は北に進む。そうすると、街道はアルクス伯爵の城館の近くを通っているから、自分たちがここまでデタラメな方角に進んで来てしまっていたのだとしても、ちゃんとたどり着けるはずだった。
「フィーナ。行けますか? 」
「うん、大丈夫……、あ、いだだだっ」
地図を折りたたみ、取り出しやすい胸元にしまいこんだセシリアがたずねると、フィーナは立ちあがろうとする。
だが、その表情が苦痛に歪み、小さな悲鳴が
「だ、だいじょうぶですの!? 」
「ううう……。ちょっと、やっぱり……、足首が痛むっぺ」
慌てて駆けよると、元村娘は痛みに顔をしかめ目に涙を浮かべながら、足首の辺りを手でかばう様にさすっている。
「見せてくださいまし! 」
セシリアはフィーナの具合を確認しようとしゃがみこみ、思いきり患部に顔を近づける。こうでもしなければ暗くてよく見えないのだ。
それから、自分の手で巻いた、明らかに不器用さが滲み出ている包帯をそっと解いてやる。
「なっ!? こ、こんなに、
ちゃんと添え木もして固定しておいたはずだったが、元村娘の足首は赤黒く
どうやらここまでの道中で症状をずいぶん悪化させてしまったらしい。
(
セシリアは自身の未熟さをあらためて思い知らされたような気持ちだった。
きっとフィーナは、激痛をこらえていたのに違いない。
だが、痛むのを我慢して弱音を吐くこともなく、そして余計な手をわずらわせないようにと必死に耐えて、ここまで歩き続けてきたのだ。
そんなことに少しも気づかなかった自分が、情けなかった。
「ごめん、おねーさん……。おら、このままここに、置いていってくんろ」
患部を少しでも冷やそうと包帯を残っていた水筒の水で濡らし、すっかり変色した肌に当てると、すっかり弱々しくなった苦しそうな口調で元村娘はそう言った。
「おねーさんだけでも、行ってくんろ? その方が、アルクス伯爵さまのところにまで、早く、確実にたどり着けるっぺ。……おらのことは、後でまた、迎えに来てくれればいいべさ。ここなら、なんとか隠れていられそうだしな」
痛々しい傷に血の気を引かせていたセシリアは、ギリギリ、と、外に音が聞こえる程に強く、歯を食いしばっていた。
そして彼女は、フィーナの置いて行ってくれという提案には答えず、ビリビリ、と自身の服のすそを割いく。
腫れた部分を冷やし、少しでも負担を小さくするために固定する。
そのためにお姫様は必死に、真剣に、足首に包帯を巻きなおし始めた。
「おねーさん? そんな、大丈夫だっぺ。おら一人なら、別に……」
「嫌ですわ! 」
明確に発せられる、拒絶の言葉。
その強さに気圧されている間に足首は包帯で何重にも、過剰なほどぐるぐる巻きにされてしまっていた。
「さ、行きますわよ! しっかりつかまりなさい! つかまりにくければ、
「え? けんど、おねーさん……? 」
「いいから! 早く! 」
そしてセシリアは、有無を言わさずにフィーナを背負い、立ち上がっていた。
どうやらこのままおんぶして連れて行くつもりらしい。
「おら、重いんじゃねぇべか? 」
「重くなんて、ありませんわ! 」
あまりにも決意の固い、有無を言わさぬ剣幕のお姫様に気圧されながらも元村娘がたずねると、ぴしゃり、と跳ねのけられる。
「
凛とした言葉。
しかし、絶対に無理をしているのに違いなかった。フィーナのように足首をくじいているわけではなかったが、セシリアだってここまでの逃避行ですっかり疲れ果てているし、足の皮がすりむけて血が滲み、痛くてたまらないはずなのだ。
だが、それでも王女様は、元村娘を背負ったまま歩き始める。
「絶対に、置いて行ったりしません。……そんなことをしたら、珠穂さんや、源九郎に、笑われてしまいますもの! 」
「……んだな」
どんなに追い詰められたとしても、たとえ命を奪われることになっても、この決意だけは変わらない。
言葉から、態度から、強固なその本心を知ると、自身の村の窮状を訴え、辺境の村のことなど気にもかけてくれない国王に文句を言ってやろうというつもりで旅に出た、この国の王族を恨んでさえいたはずの褐色肌の少女は、自身が何者なのかを自覚した仲間の背中に大人しくその全身を預けていた。
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