・10-4 第200話:「二人:1」

 珠穂と小夜風が洞窟から出て行ってしまうと、残されたセシリアとフィーナ、二人の少女の間にはしばしの間、沈黙だけがあった。

 お姫様は、去って行った巫女の背中に伸ばそうとした腕を空中に差し出したまま、心細そうに。

 元村娘は、無力な自分を呪いながら、唇を左右に引き結び、うつむいたままだ。

 長く放置されていた薪木で起こされた焚火は、よく乾燥していたおかげか爆ぜることもなく静かに燃えている。そのせいで、お互いの呼吸の音が聞こえてきそうなほどだった。


「……わたくしが、やらないといけないんですのね」


 やがて小さく嘆息したセシリアがそう呟く。

 その言葉は心細そうではあったが、震えてはいない。

 どうやら、彼女は自身がどう行動するべきかを決心した様子だった。


「おねーさん、どうするつもりなんだべ? 」


 なにが正解かはわからないが、とにかく、自分が最善と信じたことをする。

 お姫様の様子からそういう覚悟を固めた気配を察した元村娘は顔をあげ、じっと、横目で見つめている。


「フィーナ。足は、もうよろしいですか? 」


 その問いかけにセシリアは答えなかった。

 代わりに、いったん広げた荷物を再びまとめながら、逃げている途中でひねってしまった元村娘の足首の心配をする。


「ん~、多分、歩けると思うだよ。おら、田舎育ちで、体力はあるだから。けんど、走るのは無理そうだっぺ」

「なら、頑張って歩いてくださいまし。……朝まで歩き続けることにあんりますが、うまく男爵の手下たちの目をかいくぐれば、助けになってくださる方のいる場所までたどり着けますわ。そこなら、もっとしっかりとした手当てもできるし、安静にすることもできます」

「助けになってくれる人? 」

「アルクス伯爵という方ですわ」


 足首を手で軽くさすり、その状態を確かめていたフィーナに、セシリアは荷物を背負い、立ち上がりながらそう言っていた。


「アルクス伯爵は、ケストバレーの、王国の直轄地の近くに領地を持っておられる貴族の一人。ここから夜通し歩き通しになりますが、伯爵の城館まで行けばきっと助けになってくださいますわ! 」

「けんど、シュリュード男爵は悪者だったんだっぺ? その、伯爵さまは、大丈夫なんだべか? 」

「伯爵はお父様とはずいぶん親しい方ですわ。わたくしも何度かお会いしたことがありますが、温厚で親切な方でした。あの男爵のように、裏切ることはないと信じております。……それに、今は他に手立てが思い浮かばないのです。王都にまで戻っていては、シュリュードに逃げられてしまいますし、源九郎も危なくなってしまいます」

「……んだな。おらたちにできることをするしかねぇべか」


 いまいち、頼もしさは感じられない。

 それでもセシリアが彼女なりに精一杯考えて最善を選んだのだと理解したフィーナは納得してうなずくと、自身も荷物をまとめ始める。

 すると、その荷物をひょい、とお姫様が横からさらっていった。


「ちょ、おねーさん、おらの荷物、どうするつもりなんだべか? 」

わたくしが運びますわ! フィーナ、貴方は怪我をしているのですから、歩くことに専念してくださいまし」


 怪訝そうな顔でこちらを見上げて来る元村娘に、お姫様はウインクをして見せる。


「いいんだべか? おら、そのくらいなら、別に……」

「ええ、かまいませんわ! ……そのくらいは、させてくださいまし」


 自分にできることをやり抜く。

 そう覚悟は定まったものの、やはり自責の念は消えない様子でポツリと呟かれたその言葉を聞くと、フィーナはそれ以上なにも言わなかった。

 ただ、ばさばさと土を焚火にかけて火を消し、短時間でできる精一杯の隠滅いんめつを終えると、「いつでも、行けるだよ」と気合のこもった声で告げながら立ち上がる。


「参りましょう、フィーナ! 」


 暗がりの中で、お姫様の双眸そうぼうが力強くきらめく。

 自ら率先して二人分の荷物を背負った彼女は、もう迷うことなくズンズンと歩き出していた。

 だが、洞窟から出た辺りで急に立ち止まる。


「兵隊さんが近くにいるんだか? 」


 追手が近づいてきていることを想像した元村娘が声を潜めながらたずねると、「いいえ」という返事。

 振り返ったセシリアの表情は、一瞬浮かべられていた頼もしいものではなく、どうしよう、と途方に暮れた困り顔になっていた。


「た、大変ですわっ、フィーナ! どっちの方向に進めばよいのか、分かりませんっ」

「あんなぁ、おねーさん……」


 せっかく、少し見直した気持ちになっていたのに。

 ハシゴを外されたような心地になったフィーナはガックリとうなだれ、呆れた声をらす。


「方向がわからねーって……。おねーさん、ナビール族なんだっぺ? そんなの、魔法でちゃちゃっと、できねーんだか? 」

「そ、それが……」


 お姫様はすっかりしおれて、身体の前で両手の人差し指をツンツンと突き合わせている。


わたくし、魔法は、ほとんど使えませんの……」

「えっ? ナビール族なのに、魔法、だめなんだっぺか? 」

「ひ、人による、のですわ! わたくしは主に、この、美貌びぼうと、明晰めいせきな頭脳を引き継いでいるのです! 」


 エルフの血を引くナビール族ならば誰でも魔法が使える。

 そう信じ切っていた元村娘があからさまに驚いた様子を見せると、悔しそうに憮然とした表情で睨みつけられる。

 どうやら彼女にとって魔法の素養がないことは大きなコンプレックスとなっているようだ。


「むぅ。しかたねーっぺ」


 事情を理解したフィーナは、じっと空を観察して、星の姿を探す。


「なにをしているんですの? 」

「星座を探してるんだっぺ。どっかにあの星座が……。あ、あったっぺ」

「星座を見つけると、方向がわかるんですの? 」

「わかるのは北の方だけだべ。けんどそれで、大体の方角はわかるっぺよ」


 双眸そうぼうを細めて夜空を見つめていた元村娘はやがて、北、東、南、西、の順に、割り出した大体の方角を指差していく。


「で? どっちに行けばいいんだっぺ? 」

「こ、こっち、ですわ」


 するとお姫様は、おおよそ北東の方角に向かって進み始めるのだった。

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