・10-3 第199話:「悔いるより」

 一行が洞窟にたどり着いてから、数十分ほどが経過しようとしている。

 その間、必要なこと以外の会話はなにもなかった。

 追われているから、できるだけ静かに、息を潜めなければならない。そういう理由もあったが、彼女たちの口数を少なくさせているのは、仲間が敵に捕らわれてしまっているからだった。

 あの、シュリュード男爵。

 人々をあざむき、己の栄達のために、これまで彼を引き立ててくれた恩があるはずのメイファ王国を裏切り、その王女でさえ弑逆しいぎゃくしようとした奸臣。

 大罪人だ。王族に危害を加えようとすれば大抵の場合その罪は死刑であり、それはこの国でも変わらない。

 刃を向けられたお姫様は、膝を抱えこんでうつむいている。

 フィーナの手当てを不器用ながらもどうにか終え、珠穂に言われるまま数口だけ食べ物を飲み込んだ後はずっとそうしている。

 蝶よ花よと、周囲から愛され、丁重に扱われて来た彼女は、こうして明確に敵意を向けられたことがなかったのだろう。

 王族だろうと、必要だから危害を加える。

 信頼されて任用されていた人物がそこまでしようとしたことにショックを受け、そこからまだ立ち直れていない。

 それに、自責の念も強くある様子だ。

 自分がしゃべり過ぎてしまったから、シュリュード男爵に反抗する隙を与えてしまった。

 そしてそれが原因で、源九郎が捕らわれの身となり、自分たちはこうして人目を忍んで隠れなければならなくなってしまっている。

 ああしていれば、こうしていれば、と、後悔をすればキリがないだろう。


「さて。……休息は、そろそろ終わりとせねばならぬな」


 そんなセシリアのことを(危ういのぅ……)と心配しながら、いつまでもここにいることはできないと、珠穂は立ち上がっていた。


「巫女さま。どうするつもりだべ? 」


 何度か手当てしてもらった足首の様子を確認しながら火の加減を調整していたフィーナが顔をあげ、心細そうにたずねて来る。


小夜風さよかぜ、手伝ってくれぬか? 」


 その問いかけには答えず、巫女は大きく前屈した姿勢を取りながら相棒にそう声をかけていた。

 すると火の近くで丸まっていたアカギツネも立ち上がり、すべて心得ている様子で珠穂の前方へと回り込む。

 それから彼は、そのふさふさとした尻尾を、前屈姿勢を取ったおかげで低い位置に来ている、巫女がこれまでずっと背負い続けていた大太刀の柄に器用に巻きつけていた。


「いよっ、はっ! 」


 相棒の準備が良いことを確認すると、そうかけ声を発しながら素早く手を動かし、前に向かって物を投げつけるような手つきで珠穂は鞘から大太刀を引き抜いて行った。

 身長百五十センチもない、小柄な体格の彼女には似つかわしくない長大な刀。

 刀身だけでも身長と同じ百五十センチにもなるそれを引き抜くのは、巫女にとっては大仕事で、小夜風に前から引っ張ってもらわなければならないことだった。

 やがて引き抜きを終えると、焚火の光を受けて剣呑な輝きを放つ大太刀を細い指がつかんでいた。


「セシリア! 」


 重い刀を安定させるために肩に担ぐと、珠穂は短く、鋭い声でお姫様のことを呼んだ。

 するとセシリアはビクリ、と肩を震わせ、驚いて顔をあげる。


「そなた、自責の念に駆られておるのであろう。……しかし、そう落ち込んでいるばかりではどうしようもないのだぞ? 」

「で、ですが……。わたくしのせいで、源九郎が……」

「わらわは別に、そなたを心配してやっているのでは、ない」


 ツンと突き放した、冷徹な言葉。

 ———こんな時はそっと寄りそって、優しく慰めてやる方がいいのかもしれない。

 しかし今はそうしている時間はなく、厳しくとも、なんとか立ち直らせなければならない。

 だから厳然とした物言いを選ぶ。


「そなたは、王族なのであろう? 」


 編み笠の下からじっと見つめられたお姫様は、その言葉にまた、ビクリと肩を震わせる。

 少し、怯えているように。

 その様子に気づきながらも、無視して珠穂は続ける。


「ならば、そのようにメソメソと、情けなく嘆いている暇などあるまい? 悔いるよりも、そなたには成すべきことがあるはずじゃ」

「悔いるよりも……、わたくしが、成すべきこと……? 」

「そうじゃ。そなたは王族であり、この国を統治する側にいる。ならば、不埒ふらちにも贋金を作り、世をだまし混乱させ、あまつさえ、隠蔽いんぺいのために歯向かって来た臣下に、然るべき裁きを与えねばなるまい」

「で、ですが……っ! 」


 巫女の言うことは、分かる。

 自分だって、そう思っている。

 しかしこの状況でできることなどありはしないではないかと、お姫様は途方に暮れた視線を向けて来る。


「シュリュード男爵は、わたくしが実の王女だと知っていながら、反旗を翻して来たのですわっ! それを、どうやって裁けと言うのです……っ!? 」

「左様。今のそなたは、無力な小娘と変わらぬ」


 その言葉には、軽蔑するようなニュアンスは少しもなかった。

 ただ淡々と、冷静に、一切の容赦なく事実だけを指摘するものだ。


「だが、そなたはそれでも、王族なのじゃ。……己の力が足らぬ、というのならば、他人の力を用いよ。それが、そなたにできることであり、そなたにしか出来ぬことなのじゃ。なんでも、そなた一人でやる必要はない。能力を見極め、適性のある者に頼ればよい」

「そ、そうおっしゃられましても……っ。ここから王都までは、何日も時間がかかってしまいますし……っ」

「なー、おねーさん? 」


 まだ動揺から抜け切れずにいて、まともに思考が働いていない様子のセシリアに、フィーナがおずおずと助け船を出す。


「わざわざ王都まで戻らねーでも、他に、もっと近くに、頼れる人はいねーんだか? たとえば、近くの街のお役人さま、とか」

「近くの、街の……? あっ! 」


 すると、思い当たるものがあったらしい。

 ハッとして顔をあげたお姫様は、すっかり自信を失っていた瞳に輝きを取り戻していく。

 自分にはまだ、できることがあると、そう理解した顔だった。


「そなたは、王族としての義務を果たすのじゃ。それは、セシリア、お主と、フィーナに任せる。二人で力を合わせ、なんとしてもシュリュードに相応の代償を支払わせるのじゃ」

「わ、わかりましたわ! ですが、珠穂さん。貴方は、どうされるのですか……? 」

「もちろん、わらわは、わらわにしかできぬことをする」


 どうやらセシリアはまた、動けるようになった様子だ。

 そのことを確かめた珠穂は、わずかに笑みを浮かべつつ、自身がこれからすることを告げる。


「そなたらには、戦う術はなかろう。じゃが、逃げるだけでは、逃げきれぬ。……よって、わらわはこれから、囮として追手たちの目を引きつけに参る」

「し、しかし、それでは! 貴方まで捕まってしまいますわ! 」

「案ずるでない。わらわは、あんな捕まり方をする源九郎ほど、要領は悪くないからの」


 血相を変えたお姫様にそう言い残すと、巫女はそれ以上の問答は不要と、さっさと歩き出してしまう。

 危険など百も承知だが、囮という役目を果たせる者は、自分と小夜風以外には残っていないのだ。

 そうであるのだから議論などもはや時間の無駄にしかならなかったし、それになにより、セシリアのことを信じてやりたかった。

 未熟で、不器用で、なんにもできないけれども、必死に[何か]になろうとし、責任を感じて苦しみ、あがいている、仲間のことを。


「さて、小夜風。参るかの! 」


 我ながら、すっかり情を持ってしまったものだ。

 もしかすると、あのお人好しで下手な生き方しかできない、少し間の抜けた迂闊うかつなところもあるが、芯は通っているサムライの影響もあるのかもしれない。

 そう自嘲しつつも不敵な表情を浮かべると、珠穂は、相棒と共に駆け出していた。

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