・10-2 第198話:「三人と一匹:2」

 街道から少し外れた森の中にある洞窟どうくつは、幸いなことにひっそりと静まり返っていた。

 ケストバレーへと向かう途中、最後の休息を取った場所。

 街道の位置を見失わないくらいの距離感で森を駆け続け、ようやくそこにたどり着いた三人と一匹は、見覚えのある場所、そしてそこがどうやら安全であることを見て、それぞれ適当な場所を見つけて崩れ落ちるようにへたり込んだ。

 しばらくの間は荒くなった呼吸がくり返される音だけしか聞こえない。出入口の方からわずかに月明かりが差し込んできているが、中は暗く、それほど離れてもいないのにお互いのシルエットがぼんやりと見えるだけだ。

 やがて息が整って来ると、すぐさま珠穂が口を開いた。


「ひとまず、ここは安全なようじゃ。じゃが、あまり長居もできぬ。すぐに出発せねばなるまい」


 恐れていた騎兵の姿はまだ見かけてはいなかった。しかし、確実に追手として放たれていうはずだ。

 もしかするとこちらを先回りして網を張るために、今にも街道を駆け抜けていく最中なのかもしれない。そうして封鎖線を敷かれてしまってからだと、さらに遠くまで逃げることは難しくなる。

 ずっと、森の中を逃げ続けることはできなかった。ここまではなんとか迷わずにたどり着くことが出来たが、基本的には不慣れな土地だ。姿を隠せるからと言ってずっと森の中を進んでは、迷ってしまうかもしれない。

 それに足場も悪く、時間あたりに進める距離も限られてしまうだろう。


「フィーナ。さっき転んだ時に、怪我などせなんだか? 」

「ん……、う~ん……、少し捻ったみてぇだけど、大丈夫そうだ」


 珠穂がむき出しになった洞窟の岩肌にもたれかかりながら視線だけを向けてたずねると、足首を手で数回撫でまわして確かめたフィーナが明るい声でそう答えた。


(こ奴、無理をしておるな)


 巫女は編み笠の下でスッ、と双眸を細めていた。———今の元村娘の答えは、平気ではないのに、大丈夫そうなフリをしている声だったからだ。


「フィーナ。出発する前に少し休まねばならぬ。さすがに小夜風もくたびれて、すぐには走り出せぬ様子じゃ。……それにしても、ここは寒いのぅ。火を起こしてはもらえぬか? 」

「わかっただ」


 ああいう風に無理をしている、気丈に振る舞ってしまう者は、気づかってやっても素直に言う通りにはしないものだ。

 だから珠穂はそうだと気づかれないように休憩時間を作ることにする。すると、彼女の足元で息を整えていた小夜風が、「自分はまだ走れるけれど……? 」と、不思議そうに首を傾げた様子だった。

 フィーナは、痛む方の脚をかばいながらしばらくガサゴソと周囲を漁り、「あ、あっただ」と、以前ここを利用した時に帰りでまた使うかもと残しておいたたきぎを探り当て、愛用している火打石で火をつけ始める。

 すぐに炎が燃え上がり、お互いの様子が見えるようになった。

 ———酷い有様だ。

 森の中を一心不乱に逃げてきたためにみなすっかり薄汚れ、葉っぱや木の枝でできた細かな擦り傷まであちこちにある。

 なにより、表情が暗かった。

 すっかり意気消沈して、空元気さえもない。

 中でもセシリアは一際状態が悪かった。顔色が青白く、目の焦点もなかなか定まらない様子で、うわごとのように何かをぶつぶつと呟いている。


「セシリア。……おい、セシリア! 」

わたくしのせいで……、わたくしの……、って、は、はい!? な、なんですの……? 」


 それでも珠穂が強めに呼びかけると、お姫様はうつむけていた顔をこちらへと向けた。

 切羽詰まってはいるが、まだ完全に擦り切れてはいない。そういうギリギリの状態で踏みとどまっているらしい。


(これは、骨が折れそうじゃの)


 全員で無事にこの状況を切り抜けるためには、なんとかセシリアを立ち直らせる必要があるだろう。

 いったいどうすればいいのか。頬を引っぱたいてやるか、ウソでも何でもいいから口先で丸め込むか。

 そのことに頭を痛めつつ、巫女は持ち出して来た荷物を漁り、布で包んでひとまとめにしておいた外傷の応急治療セットを取り出してセシリアに放り投げる。


「お主、フィーナの足を見てやれ。今は何ともなくとも、また長い距離を逃げねばならぬのじゃ。できるだけ手当てをしておけ。水で冷やして、怪我をしたあたりを清潔にしてよく確かめ、傷があれば止血をせよ。なにも無ければ、包帯でしっかりと固定してやるのじゃ。添え木のようなモノがあればなおよい。……本来ならしばらく動かさずに様子を見るべきじゃが、そうも言っておられぬからな。なんとか歩けるようにせよ」

「わ、わかりましたわ! できるだけ、やってみます」

「それと二人とも。無理にでも何か食べておけ。これから大変じゃからな、今のうちに食べておかねば、身が持たぬ。わらわも少し食事をしておく」


 この三人と一匹の中で、もとも年長であるのは珠穂だった。

 そして彼女は遥か東から大陸を横断して、何年もかけて旅をしてきている。経験も豊富で、なにより一番、冷静さを保てている。


(わらわが、導いてやらねばな……)


 フィーナに近寄り、不慣れな手つきで手当てを始めるセシリアと、不安な様子でひねってしまった足首を見せる元村娘。

 その二人の様子を焚火のか細い炎越しに見つめながら、荷物の中から取り出した食料を口へと運んだ。

 と言っても、たいしたものは残っていない。ケストバレーを出発することが急に決まったため、食料を十分に調達しておく時間がなかったために、残り物のパンくずとか、チーズの破片とか、ドライフルーツとナッツ類が少々あるだけだ。

 それらを小夜風と分け合いつつ、ゆっくりと噛みしめながら、珠穂は真剣に、どうすればこの状況から全員で抜け出すことが出来るのかを思考し続けていた。

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