・9-8 第196話:「曲げない」
自分は、帰らない。
その源九郎からの返答を聞いた時、エルフのルーンは少し不思議そうな顔をした。
「どう……し、て? 貴方……は、今……、とって、も、後悔……、して、い……る、よう、に、見え、る……の、に? 」
「ああ、そりゃ、たっぷりと後悔しているさ。自分が情けなくて、たまらねぇ」
思えば、この異世界に転生してからずっと、しくじってばかりでいるような気がする。
最初に訪れたフィーナの村。そこでは長老を救うことが出来なかったし、村も野盗たちによって
旅に出て、ようやく目的地である王都・パテラスノープルにたどり着いたものの、目的を果たす前にトラブルに巻き込まれ、どういうわけかケストバレーという山中の谷にまでやってきている。
そこで、己の相棒である刀がどんな状態なのかも気づかないまま戦い、調子に乗っている内に折ってしまった。
その結果、こうして地下深くの牢獄に捕らわれの身となり、拷問を受けて、全身をズタボロにされているという有様だ。
今も、体中が痛みを訴えかけている。
汗と血が混じったぬめった液体で覆われた肌は気持ち悪かったし、じっとりとした、湿ったかび臭い空気に包まれているこの空間は、居心地が悪すぎる。
令和の日本では、異世界転生モノというジャンルの物語が根強い人気を持っていた。
しかしながら、こんな転生をしたいなどと思う者は、誰もいないだろう。
源九郎だって、こうなると知っていたら
「できるなら、元の世界に戻りてぇ。そう思っちゃいるさ。けどな、ルーンさん。俺は、他のどこでもねぇ。[ここ]にいるんだ。惨めでみっともなくても、これが、俺が生きている[人生]なのさ」
日本での暮らしを、故郷を懐かしく思う。
それは間違いなく本音だ。
それでもサムライは、[ここ]から逃げ出すつもりはなかった。
———思ったように物事が運ばないから。自分の好きなようにならないから。
だからといってもう嫌だ! と、どこかへ去ってしまうのは、この、囚人となった現状よりも、さらにみっともないと思うのだ。
まさに、恥の上塗り。
こんはずじゃなかったと嘆き、逃げ出す。
泣き寝入りしてしまう。
そんなのは、絶対に[サムライ]の、己の剣ですべての運命を切り開いていくヒーロー、[立花 源九郎]の姿ではない。
断じて、違う。
「俺は、[サムライ]なのさ、ルーンさん」
ズキズキと熱く痛みを発する身体を動かし、顔をあげて、源九郎はルーンに向かって不敵な笑みを浮かべて見せる。
「一所懸命って言葉がある。サムライはな、その一所のために、命張るモノなんだ。……そして、今の俺にとっての[一所]ってのは、日本にはねぇ。ここに、この世界にこそ、あるんだ」
村を守るために、命を懸けて野盗たちの前に立ちはだかった長老の姿を思い出す。
ほんの一時、共に過ごしただけの相手。何の変哲もない、田舎の老人に過ぎない存在。
だが、彼の生き方には勇気が、信念があった。
たとえ無力な老いぼれであろうとも、彼は自身の愛した村を、娘を守るために命を張ったのだ。
あの老人のために。
あの人の思いを、願いを、叶えたい。
源九郎は心の底からそう思った。
そして、彼に約束し、決意した。
———十人以上もの人間を、自身の刀で斬り捨てる。
演技ではない。本物の刃で肉を、骨を絶ち、物言わぬ骸へと変える。
その感触は今でも覚えている。恐ろしいことだ。
だが、もし斬らねばならない相手があらわれたとしたら、その時はもう、
なぜなら源九郎は、あの老人の死に様を通して、自身の思い描いてきた[サムライ]という存在の本質を学んだからだ。
一所懸命に、生きる。
自身の大切なものを、信じるものを守るために命がけで。ありとあらゆる努力を惜しまず、すべてを振り絞って、———戦い続ける。
それが、源九郎の[
それなのに、ここで易々とルーンの提案に乗り、元の世界に戻ってしまったのでは、失笑しかない。
守ると決めた[一所]を捨てて、逃げ帰るなど、あり得ない。
「だから、俺は元の世界に戻るつもりはねぇ。……せっかくの親切、感謝はするけどよ、断らせてもらうぜ」
迷いのないその言葉を聞いたエルフは、しばらく興味深そうに源九郎のことを観察していた。
あまりにも無遠慮に見つめられるので、ドギマギしてしまう。
「な、なんだよ……? そんなにジロジロと……」
「すご、く……、興味、深い」
いつの間にか、ルーンはその口元に微笑みを浮かべていた。
「貴方、たち……、短命、種、は、すぐ……に、いなく、なる……。だか、ら、短……い、命、は、儚く……て、限られ……、た、時間、は、とて……、も、貴重。それ……、なの、に……、時々、その、命……、を、自分、意外の……、何、か……に、捧げ……る、人……が、いる」
エルフには理解できない様子だった。
目的を持ち、何かのために生きる。
自身の命をそのために、自分以外のもののために[使う]。
そしてルーンは、その理解できないことについて強く関心を抱いているらしい。
「私……、貴方、の、こと……、気に……、入った」
そっと、ローブの下から白く細く、繊細な指先を持つ手が伸びてきて、源九郎の頬に優しく触れる。
形の良いあごのラインが、驚く間もなくすっと、自然な動作で寄って来る。
まるでこれから、口づけでも交わすような距離感。
サムライが戸惑い、あまり近づかないでくれ、と言うよりも早く、エルフはささやいていた。
「いい……よ? なん……で、も。貴方……、の、願、い……、私、の……、力、で、なん……で、も、でき、る……だ、け、叶え、て……、あげ、る。貴方……、が、生き……、て、諦め……な、い、限り……に、ね? 」
それは、ゾクゾクと背筋が震えるような、
源九郎はその時、自分は、とんでもない相手に気に入られてしまったのではないかと思っていた。
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