・9-7 第195話:「エルフは知っている」

 元の世界に戻りたいか。

 そう緑髪のエルフ、ルーンに問われて、源九郎は戸惑わずにはいられなかった。

 彼女は、サムライが異世界から転生してきたことを知っている口ぶりだったからだ。

 旅している間、自分がこの世界から見た場合の[異世界]、すなわち令和の時代の日本からやって来た転生者だということはずっと、秘密にしてきていた。

 それは特に深い理由があったわけではなく、なんとなく、こちらの世界でも転生者というのは一般的ではなさそうな雰囲気があったためだ。

 誰も異なる世界の存在について話題の端にすらのぼらせなかったし、多種多様な異種族が混在している中でも、別の世界からやって来たと思われる相手とは会ったことがない。

 もしも自分が、「こことは違う世界からやって来たのだ」などと大っぴらに言い出せば、冗談か、気でも狂ってしまったのかと思われてしまうだろう。


「えっと……、ルーン、さん? なんで、俺がこの世界の人間じゃないと……? 」

「だって、貴方……から、は……。神、様、の……、力、の、気配……が、す、る、から」


 驚きを隠せないまま源九郎がたずねると、ルーンは、自分がそれを知っているのは当然だ、とでも言う風に、平然とうなずいてみせる。


「神、様……、この、世界、に、干渉……、しない。だけ、ど、なにか、したい、変え、たい、時……、他、の、世界……か、ら、誰……か、を、連れて……、来る、こと、ある。昔……、も、あっ……た」

「昔って、どれくらい? 」

「ずっと、昔……。どの、くらい……か、は、忘れ……た。け、ど……、確、か、まだ……、プリーム、王国……、が、あった、時代」


 この世界の創造主、[神]。

 それは、自身が無制限に力を行使し、人々を手助けし続けていると、いつしかみな無気力となるか、神の恩寵を得ることを争い合い、結果として滅びに至るという考えから、どれほど困窮した者がいようと、介入はしないということを絶対のルールとして定めている。

 だが、それでも何か変化を加えたい時には、この世界の者でなければ自分が手を加えても良いという例外的なルールを適用し、転生者を呼び寄せて誘導し、思惑を果たす。

 そうして源九郎は呼び寄せられたのだが、過去にも同様の人々がいた、ということらしい。


「神、様……、は、プリーム、王国……の、分、裂、と……、内乱、を、とても……、とて、も、悲しん、で……た。だか……、ら、なんとか、しよう……と、した、の。けれ、ど……、うま、く、行かなか……った。王国……、は、滅ん……で、国、は、分裂……、し、た。けれ、ど、多分……、命、を、失……った、人、は、ず……っと、少な、く、できた」


 以前の転生者は、古王国、プリーム王国と呼ばれていた大国が動乱に陥った際に、人々が傷つき、多くが死んでいくのをなんとかしようと呼ばれた者であったらしい。

 しかし、その誰かは目的を一部しか果たすことはできなかった。犠牲者は減らすことが出来たようだが結局、古王国はメイファ王国とアセスター王国に分裂し、現在でも両国の間では緊張状態が続いている。


「神……様、の、使命。果たす……、の、とて……も、大変。捕ま……って、拷、問……に、かけ、られ……たり」


 ルーンの言っていることを理解しようと源九郎が知恵熱を出す勢いで思考をフル回転させているのにかまわず、エルフは言葉を続け、そして、重ねて問いかけて来る。


「帰り……た、い? 元……、の、世界……、に。私……な、ら、して……、あげ……られる……よ? 」


 サムライは、ゴクリ、と唾を飲み込んでいた。

 ———それは、魅力的な提案であったからだ。

 令和の、日本。

 今はもう、なにもかもが懐かしく感じる。

 撮影中の[事故]によって障害を負い、役者生命を絶たれ、交通誘導員として糊口ここうをしのいでいた[田中 賢二]。

 少しの脚色も誇張もない、素のままの自分。

 慎ましく、順風満帆ではなかったが、小さくとも確かに幸せを感じることのできる日々だった。

 単調で退屈な仕事。しかし、きちんと給料をもらうこともでき、時折少しだけ贅沢をして、うまい酒と料理を堪能することが出来る。酔いどれても、帰宅すればしっかりとした壁と屋根がある、しかも清潔で、水もガスも、電気だって使うことのできる場所でゆっくりと休み、余韻よいんを楽しみ、惰眠だみんを貪ることのできる生活。

 それは平凡な生活で、サムライ、[立花 源九郎]としての[華]はない。

 それでも、こんな場所でこうして捕まり、拷問され、体中をズタボロにされ、惨めに吊るされているのよりも、遥かにマシなのではないか。

 そもそも転生など、するべきではなかったのだ。

 そんな思いが、確かにある。

 否定することなどできない。今の自分自身の状況は不本意であったし、なにより、他人から見たらなんとも間抜けで、滑稽で、哀れで、そしてなにより、[カッコ悪い]からだ。

 ルーンは、じっと、こちらを見つめている。

 長い前髪の隙間から微かにのぞく双眸そうぼうで、源九郎の後悔を、望郷の念を見透かしているかのように、真っ直ぐと。

 ———元の世界に帰す。

 彼女であれば、本当にできるのだろう。それだけの力を持っているのだろう。

 エルフという種族がどれほどのものなのかはまだ知らなかったが、その言葉にウソや偽りはなさそうに思えた。


(帰りたい……)


 口をついて出そうになるその言葉を、しかし、サムライは飲み込んでいた。

 真一文字に唇を引き結び、歯を食いしばって耐える。


「ありがたい申し出だけど、よ……。でも、断らせてもらうぜ」


 そして代わりに、はっきりとした口調でそう答えていた。

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