・8-12 第186話:「活路」

 シュリュード男爵は大勢の部下を従えていた。

 彼はケストバレーの統治を中央から委任された行政官であり、相応の権限が付与されている。王国から派遣されている数千の正規兵はみな彼の指揮に従わねばならなかったし、それ以外にも、私的に傭兵を雇用してもいる。

 しかし彼は、前線に立って戦えるようなタイプではなかった。

 上から指示だけを出し、自身は安全で快適な後方で悠々としている。

 そういう、典型的な[イヤな上官]が、シュリュード男爵であった。

 そもそも彼はそういう後ろから指図だけていればいい立場になりたいからこそ成り上がろうと志し、様々な悪事に手を染めることも躊躇しなかったのだ。

 だが、男爵は今、この場にいる。

 サムライの目の前に立っている。


「ウオォォォォォッ!!! 」


 源九郎が刀を振り上げ、雄叫びをあげながら突進を始めると、そこでシュリュード男爵は初めて、自分が相手の刃の及ぶ範囲にいるのだと気づいた様子だった。

 みるみるうちに顔が青ざめ、恐怖で引きつり、冷や汗が浮かぶ。

 男爵は、腰に剣を吊っていた。

 なかなか立派な剣だ。鞘にはその地位と権力を誇張するかのように金と宝石で装飾がされている。外からは分からなかったが、刀身もドワーフの名工に命じて鍛えさせたもので、もしも相応の技量を持った者が扱えば恐ろしい武器となったはずだった。

 しかし、男爵はその剣を抜いて反撃したり、身を守ろうとしたりしなかった。

 柄に手をかけることもなかった。


「ひっ、ひぃぃぃっ!!! 」


 あからさまに怯え、震えた声で後ずさり、そして腰を抜かしてへたり込む。

 迫って来るサムライの迫力にすっかり気を飲まれてしまっていた。

 ———もし、兵士の一人が慌てて盾をかまえながら前に出て来なければ、男爵は容易に切り捨てられていたことだろう。

 源九郎にシュリュードを斬るつもりはなかった。彼はきっと多くの悪事を働いてきているはずで、殺す前に尋問してどんな罪を犯したのかをすっかり白状させ、調査して証拠を集めて罪を確定させ、それから然るべき償いをさせるべきだと考えているからだ。

 だから進路が塞がれた時、すぐに刀を振り下ろすという考えは捨てた。

 突進した勢いそのまま、兵士がかまえた丸い盾、木の板の上に薄い鋼鈑を張りつけ鋲を打ったものに向かって思いきり当て身をぶちかます。

 身長百八十センチを超える、ガタイの良いサムライの体当たりを受けて兵士は立っていることが出来なかった。よろめき体勢を崩したところで、腰を抜かしてへたり込んでいたシュリュード男爵につまずき、その上に覆いかぶさるように倒れこんでしまったのだ。


「ごげっ!? 」


 太ったカエルが圧し潰されたような悲鳴をあげる男爵の姿を見て(ざまァ! )と内心で思いつつ、源九郎はブンブンと遮二無二刀を振り回し、周囲にいる兵士たちを威嚇いかくする。

 すでに彼らは、その切れ味の鋭さをよく知っている。下手に攻めて行けば反撃を受けて返り討ちにされると怖れ、焦りの表情を浮かべながら兵士たちは距離を取ろうとした。


「お前たち! なにをしておるかっ! 早く、ワシを守らぬかっ!! 」


 そんな部下たちに向かって、自身の上に覆いかぶさっていた兵士の下から這い出して来たシュリュード男爵が裏返った声で叫んだ。


「ワシは、男爵だぞ!? 貴様ら凡俗とは違うのだ! 身を挺してでもワシを守るのが貴様ら兵士の役目であろうが!? 」


 あまりにも見下した言葉。

 追い詰められて余裕がないとはいえ、暴言としか思えないその言い分に、兵士たちの表情に一様にうんざりとした不快そうな表情が浮かぶ。

 しかし、彼らは正規兵であった。

 訓練を受け、王国に忠誠を誓っている身。そしていくら不愉快な相手であろうとも男爵はその王国から権限を委任されてこの地にやってきている存在であり、彼の命令に従わなければそれは、間接的に王国に背いたことになってしまう。

 かといってこんな無様をさらしている相手のために命をかけたいとは微塵も思わない。

 兵士たちは、消極的な選択をした。

 つまり、盾を持っている兵士たちが束となってシュリュード男爵と源九郎との間に壁を作り、防御する体勢を取ったのだ。

 サムライの腕前と刀の鋭い切れ味を警戒して攻めかかっては来ない。しかしこれで、男爵に手を出すことはできなくなってしまった。


(これで、いい)


 数歩前に踏み込まなければ互いに相手を斬ることのできない、どう状況が動いても対応できるだけの空間的な余裕のある距離を保ち、八双のかまえを取りながら、源九郎はニヤリとした笑みを浮かべていた。

 兵士たちの動きは、こちらの狙った通りだった。

 彼らは嫌々ながらもシュリュード男爵を守るためにその周囲に集結し、盾をかまえて壁を作っている。

 鉄壁の守り。———しかしそれは、他の部分が手薄になっている、ということでもあった。


「今だ! 珠穂さん! 」


 サムライは振り返ることもなく、チャンスができあがったことを知らせる。

 具体的な行動の指示は、一切ない。

 しかし巫女は、その一言だけですべてを理解していた。


小夜風さよかぜ! 」


 珠穂が命じると、その足元で低い姿勢を作ってうなり声をあげ、周囲の兵士たちを威嚇いかくしていた善狐が駆け出し、跳躍。足に青い狐火をまといながら高く、五、六メートルほども飛びあがった時、アカギツネはしなやかに身体を丸め、くるん、と一回転する。

 小夜風が生み出した巨大な狐火が、一瞬で辺りを覆い尽くし、固唾をのんでこの出来事を見守っていた人々から無数の悲鳴があがった。

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