・8-13 第187話:「別れ」

 兵士たちに取り囲まれてしまっていた源九郎たちを中心に広がった青白い炎。

 狐火は、善狐が用いる幻術の一種だった。

 実際には熱くなく、誰かを害することはない。

 しかしそういうものだと知らない人々はみな、自分が一瞬で炎にまかれてしまったと勘違いし、パニックに陥った。

 自身の身体にまとわりついた狐火を消そうと必死に身体を叩く者。あるいは地面の上をゴロゴロと転がる者。炎から逃れようときびすを返し、我先にと押し合いながら逃れようとする人々。


「二人とも、こっちじゃ! 」


 一気に拡大した混乱の中、珠穂はフィーナとセシリアの手を引いて駆け出していた。

 城門に向かって、左の方向。おそらくはAプラン、当初の予定で脱出経路に使うつもりであった抜け道のある方角へと。

 巫女は小さな身体で素早く飛びあがると、幻の炎を消そうと必死に踊り狂っている兵士に飛び蹴りをかまして突破口を確保し、手薄になった囲みを貫いて脱出に成功する。


「おさむれーさま! 」「源九郎! 貴方も早くっ!! 」


 自分自身も戸惑いながら、とにかく巫女に指示されるまま駆け出し、逃げようとする人混みの中に駆けこんだフィーナとセシリアはまだ兵士たちの囲みの中に残っている源九郎を一度振り返ったが、後から続いてきた小夜風に「早く! 」と急かされるように吠えられ、急いで珠穂の後を追っていった。


(まだ、行けねぇ)


 本音を言えば、自分もすぐにこんなところから逃げ出したい。

 しかしサムライはまだ、ここを動くわけにはいかなかった。

 他の仲間たちが安全にこの谷から逃げ出す時間を稼ぐために。

 守ると約束した少女たちを、確実に逃がすために。

 まだもうしばらく、ここで敵を引きつけておく必要があった。


「ええい! うろたえるな、バカ者どもがっ! 少しも熱くないではないかっ! これはただの幻術だ! 」


 まだ燃え残っている狐火の中で、自分自身も必死に火を消そうともがき苦しんでいたシュリュード男爵。

 しかし彼は自分でこれが幻術であることに気づくと、周囲の兵士たちを激しく叱責し、時には拳で殴りつけて強制的に正気に戻していった。


「なにをぼさっとしておるかっ!! 逃げた者たちを追えっ! 金髪の小娘をっ! 王女の名を騙った不届き者を、必ずひっ捕らえるのだっ!! 」


 口角から泡を飛ばし、男爵は兵士たちの背中を叩いて走り出させようとする。

 彼としては、気が気ではなかっただろう。

 ここでセシリアたちを捕えることが出来れば、自分の悪事が露見することをひとまず防ぐことはできる。そうすれば、どうせ捜査の手がおよぶことにはなるだろうが、私財をまとめてここから逃亡するための時間を稼ぐことが出来るのだ。

 取り逃がすわけにはいかない。たとえば近くの軍の駐屯地などに王女様が駆け込み、王都に事の次第を伝える早馬を出すのと同時に、男爵を討伐するために軍勢を動かしでもしたら、財産を抱えて逃げ出す時間は絶対に得られないからだ。

 あの金髪の少女は、本物の王女である。

 そう知っているシュリュードは焦り、必死だった。


「へっ、行かせねぇよっ!! 」


 命じられるまま逃げ出した三人と一匹を追いかけ始める兵士たちの前に立ちはだかったのは、源九郎だった。

 彼は素早く追手たちの進路に駆けこんで塞ぐと、数回右手だけで刀を大きく振り回し、ビュン、と大きな風切り音を立てながら威嚇いかくして足を止めさせる。


(後はどこまで粘るか、だな)


 たじろぎ、こちらを警戒してかまえを取る兵士たちに向かって自信ありげな笑みを浮かべて見せながら、サムライも内心ではヒヤヒヤしていた。

 時間を稼ぐつもりだったが、できれば自分だって捕まりたくはない。

 いつきびすを返して逃走に移るか。そのタイミングの見極めは難しい。


「この、のろまどもめがっ! さっさとあの小娘どもを追え! 追えと言っておろうがっ! 」


 足止めを食らっている兵士たちの背後で、シュリュード男爵がいら立って叫んでいる。


「はっ! 男爵サマよ、そんなにお嬢ちゃんたちを追いかけたいのなら、そんな後ろからえばってないで、自分が前に出てきたらどうだい!? 」

「くっ……! 下郎が、ほざきおって! 」


 源九郎が嘲笑すると、男爵は顔を真っ赤にしたまま額に筋を立てた。

 しかし彼は、前に出てくることはない。

 どうあっても、自らが剣を抜いて戦うつもりはないらしかった。


「弓兵っ! 矢を射かけよっ! あの罪人の一味の男を射抜いてしまえっ!! 」


 自分で戦う代わりに、男爵は城壁の上に向かってそう叫ぶ。

 そこにいた兵士たちは、いつでも矢を放つことが出来るように準備を整えて待機していた。———しかし、先ほどから男爵の醜態しゅうたいを見せつけられて辟易へきえきとしていたし、安全な場所から一方的に矢を射かけるのは卑怯なのではないか、と互いに顔を見合わせて迷い、なかなか矢を放とうとしない。


「ばか者っ、さっさと撃たぬか! もしあの偽王女を取り逃がしたら、貴様らに責任を取らせるぞっ!! 」


 だが結局は、そう脅されると止むを得ず狙いを定め、次々と源九郎に向かって攻撃を開始した。


(うっ、うおおおおおおっ!!? )


 風切り音を立てながら飛来する矢。それに貫かれてはたまらないと、サムライは必死に、だが余裕のありそうな態度は崩さぬように気をつけながら、刀を振るって矢を叩き落とす。

 内心ではビビりまくりではあったが、それでも見た目には平然と攻撃を防いだその腕前に、人々から「おぉっ! 」と歓声があがった。

 その瞬間、かつて役者だったころの本能がうずく。

 ここでカッコイイ決めポーズを取るのが、[お約束]なのだ。

 空中で矢を撃墜されたことに驚き、感心し、射手たちが呆気に取られている間に、源九郎は右手だけで刀を袈裟斬りに振り下ろし、素早く反転させて斬り上げると、頭上に刀身を寝かせてかまえ、散々鏡の前で練習したキメ顔をして見せる。


「矢だろうが、剣だろうが、槍だろうが、我が刀の前に、斬れぬものはなし! さぁ、腕に覚えのある奴から、かかって来な! 」


 演技がかった所作。

 しかし、実際に剣と槍を真っ二つに叩き切り、空中で矢を落としているだけに、説得力がある。

 すっかり魅せられた聴衆からパチパチとまばらだが拍手が巻き起こり、対峙している兵士たちも感心した顔を浮かべる。


(懐かしい! あの頃に戻ったみてぇだぜ! )


 その瞬間、源九郎は自身のピンチを忘れ、心底から楽しそうに笑っていた。

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