・8-7 第181話:「観念しろ! 」

 どうして、シュリュード男爵は正確にこちら見つけ出すことが出来たのか。

 顔を知られているわけではないはずだった。源九郎は一度、敵の傭兵たちの前に姿をさらしていたが、一瞬のことだったし、いくら少し目立つ風貌だからといって数千もの人々の中からこうも容易く見つけ出すことはできないはずだ。

 小夜風のことを目印にしたのかもとも思ったが、彼は足元にいて、上から探しても見えない位置にいる。

 珠穂はそもそも敵にまだ顔を知られていないはずだったし、フィーナもそうだ。

 セシリアだけは過去にシュリュード男爵と面識があったらしいが、その時は着飾ったドレス姿だった。今の彼女はどこからどう見ても貧しい旅の放浪者という姿であり、遠目で気づけるはずがない。

 いったい、なぜ。

 そう戸惑っている間にも、男爵に命じられて、兵士たちがこちらへと向かって来ている。

 さっ、と人混みが源九郎たちの周囲からはけて行った。

 なにが起こっているのかは皆目見当もつかないが、とにかくトラブルに巻き込まれるのはごめんだということなのだろう。

 そして代わりに前に出てきたのは兵士たちで、ぞろぞろと集まって来た彼らにすっかり取り囲まれてしまった。


「これは……、マズいことになったのぅ」


 自分の判断ミスでこうなってしまったのではないか。

 珠穂は責任を感じているのか、いつでも鉄扇を取り出せるように巫女服の懐に手を突っ込みつつ、苦しそうに呟く。


「フィーナ! お嬢ちゃん! しっかり俺の背中に隠れていろよ! 」


 源九郎も、すでに臨戦態勢だった。左足を後ろに引き、やや腰を落として前傾姿勢を取りながら、いつでも抜刀できるように刀の柄に手をかける。

 背中に、不安そうなフィーナの手が触れた。


(……ピンチだな、こりゃ)


 なんとか、彼女を守らなければならない。

 そう思いつつも、焦燥感が大きくなるばかりだった。

 なにしろ、多勢に無勢だ。

 周囲を取り囲んでいる兵士だけでも二十人はいるし、城壁城には弓や弩をかまえている兵士までいる。

 そしてこちらは、実質的な戦力は二人と一匹だけだった。元村娘はもちろん、お嬢様も戦闘に関してはまったく員数外なのだ。

 一斉に攻め込まれたら、さすがになすすべがない。


「珠穂さん。小夜風の術で、なんとかできねぇかな? 」

「難しいの。敵の層が厚すぎる。攪乱して表面を突き抜けることが出来ても、絡め取られてしまうであろう。なにより、上から矢が追って来る」


 一縷いちるの望みをかけてたずねてみたが、巫女から返って来た言葉は冷酷なものだった。

 幸いなのは、こちらを囲んでいる兵士たちもまだ状況を飲みこめ切れていない様子で、すぐには攻めかかって来なさそうだ、ということだけだ。

 みな男爵に言われたから囲んでいるものの、なんでそんなことをしなければならないのか、対峙している相手はいったい何者なのか、ひとつもわからないでいるのだ。

 このまま問答無用で攻撃していいのか。剣や槍、盾といった装備をかまえつつも、兵士たちはお互いに視線をかわし合い、様子をうかがっている。


「ワァッハッハッハ! ぬかったな、ネズミどもが! 」


 その時、高笑いをしながらシュリュード男爵が階段を下りて来る。すると自然に兵士たちは道をあけ、彼を源九郎たちの前まで通した。

 セシリアから以前聞いていた通り、欲深そうな男だ。

 よく太っているだけでなく肌が脂ぎって、松明の明かりを反射してギラギラとしている。そしてその様子には、彼の内なる野心があらわれているように見える。


「ボヤ騒ぎを起こして、その混乱の隙に逃げ出そうとでもいうのだろうが、このワシの目はごまかされんぞ! 」

「……さぁて、な。俺たちには、なにがなにやら」


 サムライは往生際悪く、とぼけて見せた。

 少しでも時間を稼ぎたいという一心だ。

 今は良い案などなにも浮かんでこないが、考える時間があればなにか思い浮かぶかもしれないという、淡い期待。


「フン! しらばっくれおって! 」


 すると、男爵は勝ち誇ったように嘲笑した。


「火事だと騒いで、他の者たちはみな、着の身着のままで逃げ出して来ておる! それなのに貴様らときたら、今すぐにでも旅立てますと、準備万端といったいでたちではないか! つまり、街で火事が起こることを事前に知っていたのだ! そしてそれを知っているのは、スパイの仲間以外にはおらぬ! 」


 シュリュード男爵の頭脳の明晰さは、本物であるらしかった。

 その推理は、的を射ている。


「チッ」


 時間稼ぎもできないと知って、源九郎は思わず舌打ちをしていた。


「くくくく! さぁ、観念するがいい! 」


 表の顔は、王国の有能な臣。

 しかしその実態は、己の栄達を望み、そのためならばどんな汚いことでもするという貪欲で強欲な悪漢。

 勝ち誇ったシュリュード男爵はその精神の邪悪さを体現した笑みを浮かべていた。

 ———正直なところ、打てる手がなかった。

 もはやなにをどう言ってもごまかすことなど不可能だったし、戦うにしても、十人や二十人は倒してみせるつもりではあったが、結局は数の差で押し切られるのが目に見えてしまっている。


(……最低限、か)


 ふと脳裏をよぎったのは、かつて自身の村を守るために命をかけ、無残に命を奪われた、フィーナの育ての親でもある老人の姿だった。

 一所懸命という言葉がある。

 サムライも、農民も変わらない。

 自身にとって大切なものを守るためにこそ、懸命になるのだ。

 そして今の源九郎にとっての一所とは間違いなく、彼の背中に触れながら、心細そうにしている少女であった。


「お待ちなさい! 観念するのは貴方の方よ! シュリュード! 」


 自分はどうなってもかまわない。

 フィーナたちだけでも、逃がす。

 そう覚悟を決めた、瞬間。———セシリアが凛とした声をあげ、サムライの背中を押しのけて矢面に立っていた。

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