:第8章 「窮地」
・8-1 第175話:「トラブル:1」
ラウルと小夜風を見送った後、源九郎たちはじっと、暗がりの中で彼らの帰還を待ちわびていた。
手持無沙汰な時間だった。
仲間の無事を確認できるまでは離れたくはなかったし、そもそも、隠れている物陰から
おかげですっかり、暗闇に目が慣れてしまった。わずかに月明かりが差し込んできているが、その光だけで大体の物がくっきりと見えるほどだ。
この世界の月は地球から見えるものよりも色白でややサイズが大きいが、同様に満ち欠けがあり、今日は半月。薄く雲がかかっている。
(冷え込んで来たな)
ケストバレーの職人街の物陰にかがみこんで鉱山の様子をうかがっていた源九郎は、寒さを自覚し、小さく身震いをした。
まだ転生してから半年ほどしか経過してはいないが、この世界にも季節があるらしく、今は比較的暖かい時期だった。だが夜になればやはり気温の低下を実感せずにはいられない。
令和の時代の日本では、環境問題として地球温暖化などが危惧され、度々猛暑に見舞われるなどしていたが、まだ産業化が進んでおらず大量に二酸化炭素を放出するようなことのない社会を形成しているこの世界は、全体的に涼しいのではないかという感覚がある。
地域的な気候なのかもしれない。湿度が低くて、夏は湿潤になる日本と違って汗が乾きやすい。
ふと、背後を振り返って確認すると、思った通り一緒にいる他の仲間たちも寒さを感じている様子だった。
遥か東方から小夜風と共に旅をして来て、こういう夜の冷え込みにも慣れているのか、珠穂は平気そうだった。もっとも、彼女はプライドが高く人に弱みを見せたくないという性分らしいから、そういうふうに振る舞っているだけかもしれない。
元村娘のフィーナも、寒そうにしてはいるもののまだ大丈夫そうだった。貧しい農村出身の彼女からすれば、こんな冷え込みは慣れっこというか、それに耐えなければ生きて来られなかった環境で育ったから、へっちゃらなのだろう。
———問題なのは、今回の旅に無理やり加わったお嬢様、セシリアだった。
彼女は地面にしゃがみこんで他の仲間と同じように息を殺しながら鉱山の方を凝視していたが、夜の冷え込みが辛いのかあからさまに寒そうに両手で自身の身体を抱きかかえ、小刻みに震えている様子が見て取れた。
「おい、嬢ちゃん。大丈夫か? 荷物から着れそうなもの、出すか? 」
「い、いえ、大丈夫。わ、
気づかってみたが、しかし、ブンブンと首が左右に振られる。
「ムリすんなよ? ラウルと小夜風が無事に戻ってきたら、すぐに逃げ出すんだ。その帰り道に風邪を引いて寝込む、なんてことになったら、大変だからな」
「そうだべさ。おねーさん、まだこういう旅に慣れてねーんだから、意地を張ってもいいことはねーだよ? 」
気丈に振る舞おうとはしているものの、その声も震えている。
無理をしているセシリアに源九郎が宿を出る時に一緒に持ち出して来た旅荷物の入った袋をあごで指し示すと、彼女の様子に先に気づいていて心配していたのか、フィーナも同調した。
「そ、そうさせて……、もらいます、わ」
強がってみせても、それで足を引っ張ってしまっては、自分が未熟なことのなによりの証明になってしまう。
そのことに気づいたのか、お嬢様は素直に袋の中から上に羽織って着ることが出来そうな衣服を取り出し、チュニックの上に重ね着をした。
「気をつけよ! どうやら、鉱山の方で何かが起こったようじゃ! 」
震えが収まり始めたセシリアが荷物を再度まとめ終えた時、珠穂が、編み笠の下からのぞかせている双眸を鋭く細めながら、抑えた声で警告してくれる。
———視線を向けると、彼女の言う通り、ケストバレーの最深部、鉱山がある辺りで、変化があった。
松明の明かりが急に増え、それがいくつも、左右に慌ただしく動いていく。おそらく警備をしていた傭兵たちが明かりを増やし、それぞれの手に持って照明として、活発に動き回り始めたのだろう。
そしてその騒々しさは、休息に広まって来る。鉱山の方から伝令らしい一人の傭兵が駆けて来て、シュリュード男爵の屋敷に飛び込むようにして入っていくと、そこでも人々の動きが盛んになっていった。
「今、何か光っただ! ……あっ、また! 」
キナ臭い雰囲気を感じ取り源九郎が表情を険しくしていると、フィーナが抑えた声で叫ぶ。
視線を屋敷の方から鉱山の方へと漏らすと、一瞬、揺れ動く無数の松明の明かりの中で、青白い炎に思える光が揺らめきながら広がり、すぐに消えた。
「小夜風の、狐火、じゃ! 」
その正体は、すぐに珠穂が明らかにしてくれる。
ラウルと共に鉱山に潜入していたはずの善狐。彼が用いる術の一つである狐火による光は段々と、こちらへ向かって近づいてきている様子だった。
状況は、すでに明らかだった。
敵の動きがにわかに活発になったのは、潜入した犬頭たちの存在が敵に露見したことを示していたし、青白い炎があらわれては消えてをくり返しながら、段々とこっちへ向かって来ているのは、敵に追いかけられているのを幻術で撹乱しつつ、逃げている、ということだ。
「トラブル発生、だな」
源九郎は表情を険しくしてそう呟き、唇を引き結ぶと、そっと、自身の腰に差した刀の柄に手を添えていた。
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