・7-16 第174話:「成り上がった男と影:2」

 驚いて固まっているシュリュード男爵とその部下たちに、サムライは、怜悧な印象の淡々とした声で告げる。


「もしや、と思い待ち伏せてみたところ、やはりスパイだった。……ひと太刀を浴びせ、とどめを刺そうとしたが、怪しげな術を使われて、残念ながら取り逃がしてしまった」

「な、な、な……」


 万全の警備を施していたと思っていた場所に、気づかないうちに外敵の侵入を許してしまっていた。

 しかも、そのことを自分は見抜けず、[大切な客人]に知られてしまった。


(これは、取り返しのつかない、失態だ……! )


 男爵は焦りと怖れからしばらくの間わなわなと震えていたが、やがて正気に戻ると、すぐに護衛の兵士たちを振り返って叫ぶ。


「お前と、お前! ただちに厳戒態勢を敷くように伝達してくるのだ! 非番の者も起こして、怪しげな者が鉱山の周辺、そして街中にいないか、徹底的に探させろ! 街の軍の司令官にも命じて、城壁は徹底的に封鎖せよ! 何者だろうと、通すなよ!? 必ずスパイを捕らえて、我が下に連れてくるのだ! 急げ!!! 」


 指を差されて命じられた二人の傭兵は、慌てふためいて駆け去っていく。

 残った他の二人も緊急事態が生じたことを理解したのか、ビシッ、と居住まいを正していた。


「いやはや、とんだお見苦しいところを」


 ひとまずの命令を出し終えたシュリュード男爵は、また愛想笑いを浮かべてサムライの方へと振り返ると、揉み手をしながら猫なで声でそのご機嫌をうかがう。


「スパイは必ず、こちらで始末をつけましょう。ですので、何卒、このことは我らの[主]にはご内密に」

「それは、できない相談だな」


 返答は、淡々としていた。


「報告は、する。……しかしながら、一太刀を浴びせておきながら、逃がしたのはこちらの落ち度だ。スパイを捕らえ、無事に始末できたのなら、きっと貴殿に対する[主]の覚えはめでたくなるだろう」


 その言葉にシュリュード男爵の表情は一瞬強張ったが、続きを聞くとすぐにほころんだ。


「もちろん、お任せください! 必ず、ご期待に沿えるようにいたしましょう」

「ああ。そうしてもらおう。……さて、自分はこれで、[主]の下に帰らせてもらうこととする」

「おや? 我が[工房]の様子を確認して行かれるのではなかったので? それに、屋敷にはささやかですがもてなしの準備も整えておりますのに。方々から珍味を集め、美女も呼び寄せて待たせてあるのですぞ。ナビール族並み、とまでは申せませんが、これがなかなかのもので、きっとご満足いただけることでしょう」


 男爵の言葉にサムライはうなずくとそう言って立ち去ろうとしたが、怪訝そうな顔をした男爵に引き留められた。


「今さら、確認する必要もなくなった。……どこのネズミかはわからぬが、こうして潜り込んできたとなると、このまま贋金作りを続けることは危険であろう。貴殿も、かねてからの計画を早めた方が良い」

「なるほど、左様ですな。……でしたら何卒、[主]によろしくお伝えくだされ」

「……善処しておこう」


 上目遣いでの要請に短く答えると、今度こそ、客人は姿を消した。


「フン、あのお方からの使者だからと言って、偉そうにしおって。……まぁ、いい。おかげでネズミが潜り込んだことも知れたのだからな」


 相手がいなくなったことを確認したシュリュード男爵は愛想笑いを消し、吐き捨てるように言ってから、ニヤリとした笑みを浮かべた。


「スパイめ。大方、ワシのことを目の敵にしておる輩が送り込んで来た間者であろう。なぁに、すぐに見つけて、始末して……、後はさっさと、逃げさせてもらうとするさ」


 たとえ首尾よくスパイを始末できたとしても、それで完全に安心できるというわけではなかった。

 ネズミを送り込んで来た者たちは、シュリュード男爵の下に向かった間者が消息を絶った、ということで、具体的な証拠をつかんでいなくとも疑惑を確信することだろう。そうなれば第二、第三の手駒を送り込んで来るのは確実だ。

 次々とやって来る者たちをうまく始末できたとしても、秘密を完全に守り切ることは難しいのに違いなかった。

 潜入して証拠を確保できないと分かれば相手は手を変え、贋金作りに関わっている者を買収するなどして、あの手この手で男爵の悪事を暴こうとするだろうからだ。

 裏切り者を絶対に出さないと、言うだけならば簡単だ。だが、容易に報酬によって転ぶ人々がいることはよく知っているし、シュリュード男爵はそもそも他人を、人間という存在をそこまで信用していない。

 自身が行っている悪事が露見するのはもはや時間の問題。

 だとすれば、やるべきことはひとつだけ。

 ———すなわち、さっさと逃げ出してしまうことだ。


(ここまで上り詰めたが……、この国ではここらが潮時だった。ワシは別の場所で、これまでの実績を糧に、さらなる高みを目指すとしよう)


 男爵にとって、出世とは生きがいだった。

 出世すればより多くの金を、権力を手にすることが出来、贅沢な暮らしが手に入る。

 そしてなにより、人に指図されるより、する方が遥かに気分はいい。

 メイファ王国は彼の力を認め、評価し、爵位まで与えてくれた。だが、それで頭打ちだった。

 しょせん、元々貴族でもない者が上ることができるのは、貴族の階級の中では底い方に位置する男爵に過ぎない。高位の貴族階級は、エルフ族の血を引いている高貴な種族、ナビール族によって独占されていて、ただの人間が入り込むことには、いくら賄賂を積んでも難色が示される。

 それ以上を、と望むのなら、単純に実績を残すだけでは不足だ。血筋とか縁故とか、そういうものが必要だった。

 ———だが、工夫をすれば、さらなる高みへと登ることもできる。


(なんとしてでも、スパイを一網打尽にし、逃げ出す準備を整える時間を稼ぎ、[主]への手土産も用意しなければな)


 これまでシュリュード男爵は莫大な財産を築いてきた。

 横領や、それを元手とした蓄財。それらはすべて、このケストバレーの屋敷に集めてある。

 メイファ王国によって罪に問われる前にこの財産を持ち出すためには、相応の時間が必要だった。

 そしてなにより、自分が、スパイも始末できないような無能だと、新天地でそう思われるわけにはいかない。


「すぐに屋敷に戻るぞ! スパイ狩りは、ワシが直接指揮を執る! 」


 野心を胸にした男爵はそう宣言すると、肩を怒らせながら、大股で鉱山の外へと向かって行った。

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