・7-15 第173話:「成り上がった男と影:1」

 メイファ王国の中枢から委任され、ケストバレーの統治を代行している行政官、シュリュード男爵。

 彼は、生まれながらの貴族ではなかった。

 男爵という爵位を持ってはいるものの、それは彼がその実力によって勝ち取ったもので、血縁で引き継いだものではない。元々は一介の役人として働き、その成果を認められたことで現在の地位を獲得した。

 その素性については、明らかではない。

 国外のどこかから移住して来た放浪者であり、元々はどこかの国の名士であったとか、商人であったとか、貴族の落胤らくいんであったとか、様々な噂がされているが、誰も真実など知らなかったし、シュリュード男爵を任用して働かせる上では、王国中枢もさほど気にかけたりしなかった。

 男爵は委任された先で成果をあげる、有能な人物として見なされていたからだ。

 経歴などどうでもいい。ただ、求める成果を着実に上げ続けるだけでいい。

 それがシュリュードという人物に求められていたことであり、彼は、その期待にこたえ続けた。だからこそ男爵という爵位が褒美として与えられ、そのほとんどをナビール族という一握りの種族に独占されている貴族の末席に、ただの人間の身で加わることが許されたのだ。

 ———しかし、彼の出世物語は決して、清廉潔白なものではない。

 素性も知れない人物でも、有能だから登用し、爵位まで与える。

 それだけを聞けば、実力主義の一種の表れとして、能力が正しく評価された事実と思えるかもしれないが、実際に実力だけで成り上がるのは簡単なことではない。

 なぜなら、野望や出世欲を持つ者はいつの時代、どこにでもいて、上に登ろうとすれば多くのライバルたちと数少ないポストを巡って競争を勝ち抜かなければならないからだ。

 中世・近世に相当する時代にあるこの世界には、スポーツマンシップという言葉はまだ存在しない。

 いや、そもそも、政治の世界で成り上がろうとする者には、そんな言葉はなんの意味もなさないだろう。

 出世を目指すシュリュードは、現在の地位に上り詰めるためにあらゆる手段を使った。

 ライバルの妨害をしたり、悪評を立てて蹴落としたり。より上の人間に気に入られるためにおべっかはもちろん使ったし、袖の下、いわゆる賄賂わいろ躊躇ちゅうちょなく行った。そして自分を引き立ててくれた相手でも、いざ、自身の出世の邪魔になるとなれば、策略を用いて容赦なく叩き潰した。

 そうして現在の地位を手に入れ男爵となった男は、王国の貨幣鋳造という重要な任務を任され、この地へと赴任してきたのだ。


(まったく。なぜ、男爵ともなったこのワシが、こんなところで立ち止まっていなければならぬのだ)


 点々と明かりの灯されたケストバレーのメインの坑道の一つで、シュリュード男爵は苛立たしそうな表情で暗闇の奥を見つめていた。

 中年の、良く肥えた男性だ。まばらに生えた髭を持つ顔の表面は脂ぎっていて、松明の明かりを受けてギラギラと光り、茶色の髪を持つ頭の頂部は禿げあがっている。

 身に着けているのは、白い絹で作られた衣服だ。古代風の一枚の布を体に巻き付けるタイプのもので、ヒョウ柄の革と金でできたバックルを使ったベルトを腰に巻いている。

 白と言えば派手な色ではないかもしれないが、この時代では高級品だった。なぜなら色を白く仕上げるためには脱色のために多くの工程を踏まねばならず、製造に大きなコストがかかるからだ。

 その高級な白い絹でできた衣服を身に着け男爵は、四人の部下を従え、いらいらとしながら待っている。

 ———ほどなくして、暗闇に包まれた横穴に、ぼぅっとした一人の人間のシルエットが浮かび上がった。

 羽織、袴に、腰の帯には大小の二本差し。

 日本の時代劇でよく見かける、サムライの姿をした誰か。

 源九郎ではなかった。彼は長身なうえに肩幅の広い、豪傑風の見栄えがする身体つきをしていたが、こちらは同じく長身だがもっとスリムでスタイリッシュな体躯の持ち主だ。

 顔は、暗闇の中に隠れていてよく見えない。


「おお! ようやくお戻りになられましたか、使者殿! 」


 異国の風体をした者……、今晩迎え入れた大切な客人が戻ってきたことに気づくと、シュリュード男爵はそれまでの不機嫌な表情を一瞬で捨て去り、満面の人懐っこい笑みを浮かべる。

 尻尾を振るべき相手には、全力で、愛想よく尻尾を振る。

 男爵に言わせればそれも出世の秘訣の一つであった。


「いやぁ、使者殿が急に、ここで待っておれ、などとおっしゃいましたからなにごとかと思いましたよ! ずいぶん帰っていらっしゃらないから何かあったのではと、一同、気を揉んでおりましたところで」


 へこへこしている雇い主の姿に、護衛の兵士たちは内心で「よく言うよ……」と呆れていた。

 なにしろ、鉱山の、贋金作りの現場を確認したいと言い出した客人をここまで案内してきて、唐突に「待っていろ」とだけ言い捨てられて置いて行かれた後の男爵のいらだちぶりは明らかで、いつ爆発してこちらに八つ当たりが飛んでくるかとハラハラさせられていたからだ。


「この鉱山の中に、やはり、ネズミが紛れ込んでいた」


 影の中にたたずんだまま、サムライおべっかなど歯牙にもかけずに、端的にそう告げた。


「ネズミ……? と、申しますと、鼠人マウキー族? ……いや、スパイ、のことですかな? まさか」


 その言葉を聞いた男爵は最初、信じなかった。

 なぜなら、この場所の警備には絶対の自信があったからだ。

 だが、すぐに彼の顔色が変わる。


「これをご覧になるといい」


 そう言ってサムライが懐から何枚かの布切れを取り出し、ばらまいてみせたからだ。

 空中で広がり、ひらひらと舞い落ちる薄い綿布。

 松明の明かりに照らされてそこには、おそらくは誰かを斬った後にその血糊をふき取るのに使ったのであろう、赤い血潮がべったりと染みついていた。

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