・7-14 第172話:「奇妙な住人:4」

 戸惑わざるを得ない状況続きの中で、ラウルは新たに一つのことを理解していた。

 このエルフは、———いろいろとズレている。

 贋金を作ることは、犯罪行為で、罰せられなければならない。

 そういう、様々な種族が共存して作り上げているこの世界の[社会]で広く共有されているはずの常識を、まったく備えていないのだ。

 あるいは、エルフというのはそういう種族なのかもしれない。

 彼らはみな世界のどこかに存在するエルフの里に隠れ潜んでおり、外界との接触を断っているのが基本だった。ナビール族という混血種族が存在している通り人間たちを始めとする他の諸種族と積極的な関わり合いを持つ者もいたが、それはあくまで少数派に過ぎない。

 だから、多くの種族が形成している社会というものについての知識が欠落しているのも当然なのかもしれなかった。


「どうした……、の? 私……、なにか、変な……、こと、言った……? 」


 魔術師はなにもわかっていない様子で、首をかしげている。

 ラウルは、「ああ、変なことを言った」とうなずいたりはしなかった。

 そんなことを言ったりして、話をこじらせている時間がないからだ。


「助けてもらっておいて礼もできずにすまないが、オレは、もう行くことにする」


 ここでこのエルフの魔術師と長々としゃべっている間に、自分の潜入を知ったシュリュード男爵が動き出しているのに違いない。

 そう考えたラウルは強引に話を切り上げると、立ち上がっていた。

 自分を斬った、何者か。

 源九郎と同じ、日本刀を持ち、草鞋かそれに類するものを履いた、サムライ。

 その正体は、わからない。しかし、こちらが潜入に使ったルートに気づき、そこで待ち伏せをしていたとなると、相当頭の回転の速い切れ者で、そして、敵だった。

 小夜風の妨害もあり、とどめを刺すことには失敗したものの、すでに正体不明の何者かは男爵にことの顛末てんまつを報告していることだろう。

 そうだとすれば当然、警戒は厳重になるし、ラウルを捜索して捕えるため、そして他にもいるかもしれない仲間を探し出すために、多数の追手が放たれる。贋金作りなど何も知らない街のメイファ王国軍は今も男爵の権限の下に置かれているから、街は厳戒態勢に置かれ、城壁の辺りに封鎖線も形成される。

 刻一刻と、脱出の機会が失われつつあるのだ。

 いくら贋金作りの生き証人に出会えたからと言って、話のかみ合わない相手と問答を続けている余裕などなかった。


「……っ!? 」


 歩き出そうとしたラウルだったが、よろめいてしまい、慌てて壁に手を突いて身体を支えていた。

 視界も、歪んでいる。


(まさか、なにか細工でもされたか……!? )


 一瞬、エルフの魔術師が治療すると見せかけて別の魔法をひっそりとかけていたのかとも考えたのだが、すぐに違うと気づく。

 ———血が足りないのだ。

 手当のおかげで、驚くことに傷口は塞がっていた。応急的なものであり完治したわけではなく、傷口に沿ってはっきりと分かる痕が残っているが、時間が経てば自然治癒し段々と痕跡も消えていくだろう。

 しかし、失った血液まで体内に戻ってきたわけではない。

 今のラウルは極度の貧血状態にあり、まともに身動きできない状態だった。


「まだ……、動かない、方が、いい……。無茶、する、と……、傷口……、も、開く」


 明らかに衰弱した状態なのに、それでも頭をブルブルと左右に振って気合を入れ直し、強引に歩き出そうとする犬頭に、エルフの魔術師は心配そうな表情を向けた。


「かまわないで、くれ。オレは、戻らないといけないんだ」


 おそらくは身体を支えようというのかこちらに近づいて来る緑髪のエルフを、睨みつけて制止する。

 立っているのもやっとで、呼吸も苦しく、荒い。

 それでも、進もうとあがく。


「オレは、なんとしてでも戻らないといけないんだ。……シュリュード男爵の悪事の証拠を、王都に持ち帰らなければならない。どんなことをしてでも、だ」

「貴方、は……、そんなに、王都に、帰りたい……? 」

「ああ、そうだ。……たとえ死ぬことになっても、絶対に、だ」


 それはラウル自身が持っている義務感であり、正義感であり、執念だった。

 犬人ワウ族という種族は、伝統的に、自身が帰属する集団、[社会]を大切にする。

 自己が所属している集団が大切にして来た文化や伝統、それを守ることで、これからも自分が好んで加わっている社会を維持し、自身の子供たちに伝えていきたいと考えがちな種族であり、贋金事件を解決するためにあがいている黒毛の犬頭もそういった気風を持っていた。

 シュリュード男爵は、ラウルが所属している社会、———メイファ王国の在り方を乱す、罪人だ。

 彼は贋金作りを行うことで王国の法を犯し、その経済に混乱を招いている。それによって多くの人々が被害を受けてしまっている。

 なのに、男爵は巧みに罰せられることを回避し、私腹を肥やし、栄華を楽しんでいる。

 それはラウルにとって、絶対に許せないことなのだ。


「王都、に……、行けれ、ば、いい、の……」


 ってでもここから脱出し、パテラスノープルに帰還する。

 その覚悟で壁に手を突きながら出口と思われる、外の空気のにおいがする方向にのろのろと進んでいく犬頭のことを見つめながら、エルフがそう呟いた。

 特に、気にしたりはしなかった。

 前へ、前へと、とにかく進み続けることに必死になっていたし、貧血でぼんやりとし、回転の鈍くなった頭ではもう、ロクな思考ができなかったからだ。

 だから無視して進み続けようとしたのだが、ふと気づくと、いつの間にかエルフの魔術師がラウルのすぐ隣に立っていた。

 ———その手には、さっきまでは持っていなかった魔法の杖が握られている。

 王都の魔法使いたちが持っているような複雑な術式が刻み込まれた宝石がたくさん組み込まれたごちゃごちゃしたモノではなく、ごくシンプルな、削り出した木の先端に一つだけ真円に磨き抜かれた水晶玉クリスタルがはめ込まれたものだ。


(な、なにをする気だ……? )


 相手に危害を加えるつもりがないことは分かっていたが、その考えが読めず、咄嗟に言葉が出てこない。なにしろ常識の通じない相手なのだ。

 その時すでに、エルフは口の中で耳慣れない言葉で呪文を唱え終えようとしていた。

 先ほどまでの、ボソボソとした口調の、とぎれとぎれで聞き取りにくい声ではない。

 美しい詩を澄んだ声で歌い上げる、不思議な、独特な抑揚のついた言葉。

 それが読み上げられるのと同時に、突然魔法の杖の先端から光が放たれ、———そして、ラウルの意識と身体は、彼方へと運ばれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る