・7-13 第171話:「奇妙な住人:3」

「ところで……、貴方、怪我、してる……? 痛そう……。大丈夫、すぐ、楽に、して、あげる、から……」


 ラウルの身動きを封じたエルフの魔術師はそう言うと、ゆっくりとこちらに近づいて来る。

 ———死を覚悟した犬頭が願ったのは、ただ一つだけだった。

 源九郎たちが、特にセシリアが無事に脱出してくれること。

 世間知らずで、家出までしてこの捜査について来てしまった、お転婆なお嬢様。

 彼女と犬頭はかなり以前からの知り合いだった。

 高貴な、やんごとない家柄に生まれた彼女の身辺を守る護衛。それが仕事だったのだが、思い返せば彼女のわがままに振り回されてばかりだった記憶しかない。やれ、あれを持って来いだの、自分に似合う服はどれだ、だの、身辺警護とは関係のないことで振り回されてばかりだった。

 その時の体験があったから、彼女を説得できないと諦め、この旅に同行することを許可せざるを得なかったのだ。

 だが、この旅はセシリアにとって価値あるものになっているという実感がある。まったく無知だった[世間]というものがどんなものなのか身をもって学んだ結果、以前よりも少しだけ、お嬢様は成長したと思えるのだ。


(わがままだけど、根はけっこう、素直で優しいんだよな……)


 どうか王都にまで逃げ延び、そして、彼女自身が見たこと、学んだことを生かして、シュリュード男爵の悪事を糾弾し、自身の仇を取ってくれれば。

 そう祈りながら、ラウルは観念して目を閉じた。


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 魔法によって命を奪われるというのは、いったい、どんな感覚なのだろうか。

 ラウルはあれこれと想像し、それから、どうせこれから体感するのだと、口元に皮肉ニヒルな笑みを浮かべていた。

 異変は、すぐに始まった。

 斬られた傷口を中心にじわりじわりと全身が暖められ、まるでちょうど良い加減の湯につかっているような、そんな心地よい感覚になってくる。


「な、なんだ!? なにを、しているんだ……!? 」


 犬頭は驚き、閉じていた双眸を思わず見開いていた。

 安らぎに深く包まれていくほどに、自身の傷口の痛みが消えて行くのだ。

 まるでこれは、命を奪われるどころか、ダメージを回復し、癒されているようだった。


「少し、じっと、してて……。毛むくじゃら、さん。暴れられると、処置が……、 中途半端に、なって、傷跡が……、残る、よ? 」


 自身の傷口がどうなっているのか確認しようと身じろぎするラウルを、エルフの魔術師はそう言って制する。

 優しい、慈しみに満ちた言葉だった。

 ただそれは、友人や仲間、対等な相手のために、というよりは、草花や小鳥を愛でる感覚に近いものであるらしい。


(どうなってるんだ……? )


 戸惑いつつも、ラウルは言われた通り身を任せて大人しくする。

 少なくとも敵意の類はまったく感じられないし、あまりに心地よくて、警戒心がすっかり溶かされてしまったのだ。


「はい……、おしまい。大体、元通りに、した……。後は、安静に、していれば……、何日か、かかる、けど……、元通りに、なる、と……、思う。でも……、失った、血、は……、元に、戻せない、から……。無理は、しない方が、いい」


 やがてエルフはそう言うと傷口にかざしていた手をローブの中に引っ込め、しゃがんでいた姿勢から立ち上がって踵を返す。

 無防備な仕草だった。

 出血によって確かに衰弱していて万全ではないものの、傷を癒してもらったおかげで短時間なら十分に剣を振るうことが出来る。

 この瞬間に襲いかかれば、もしかするとあの魔術師を倒せてしまえるかもしれない。

 ———そんなことは、絶対に起こらない。

 エルフはどうしてか、そう信じ切っているらしかった。

 そして実際に、ラウルは剣を抜いたりしなかった。追い詰められた状況では一瞬の判断の遅れが致命傷になるからと咄嗟に斬ろうと考えたのだが、こうして、まったく敵意のない様子を見せつけられるとこちらも敵対するつもりがなくなってしまう。


「なぜ、オレを助けてくれたんだ……? 」


 剣を抜く代わりに出てきたのは、そんな問いかけだった。

 すると、エルフの魔術師は振り返って、怪訝そうに首をかしげる。


「貴方……? 死にたかった……、の……? 」

「い、いや、そういうわけではないが……」

「そう……、でしょう? 私……、たち、エルフより……、貴方、たち……、の、命は、ずっと、ずっと……、儚い、けれど。同じ……、命、で、しょう……? だから……、大切、に……、する……、べき」


 返って来たのは、博愛精神に満ちた言葉だった。

 あまりに予想外な状況が重なり、ラウルは呆然自失となってしまう。


「しかし、いいのか? オレはここに、贋金事件の捜査に来たんだぞ? お前は、シュリュード男爵に協力して偽プリーム金貨を作っている、魔術士なんじゃないのか? オレが生きて王都に戻れば、シュリュード男爵だけじゃなく、奴に手を貸していたアンタも、一緒に罰せられることになるんだぞ? 」


 ぽろっとこぼれ落ちるように、犬頭は自身の目的を明かしてしまっていた。

 そうしてから、マズかったか、と後悔する。

 相手のあまりにものんきな様子から、彼女がこちらの正体や目的に気づいておらず、だから助けてくれたのではないかという可能性に思い至ったからだ。それなのにこちらから正体を明かしてしまえば、やぱり始末する、となってしまいかねない。


「罰せ、られる……? 私……、が? どう、し……、て……?」


 しかし、エルフはきょとんとした表情で首をかしげるだけだった。

 自分が罪に問われるようなことをしているということを、まるで気づいていなかった、という顔だ。


「私、は……、お金……、が、足りない、から……。作る、のを、手伝って……、欲しい、って、男爵に、言われ……て、手を……、貸して、いた、だけ……。お金、たくさん、作るの……、悪い、こと……? 」

「……、は? 」


 ラウルは思わず口を半開きにしてポカンとした間抜けな表情になっていた。

 目の前にいるエルフの魔術師。

 シュリュード男爵の贋金作りという犯罪に手を貸している、共犯者。

 そのことをあっさりと認めただけではなく、まったく、ひと欠片かけらも罪悪感を抱いていない、自分がなにをさせられているのかを少しもわかっていない様子だったからだ。

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