・7-12 第170話:「奇妙な住民:2」
背筋が寒くなり、焦燥感に包まれる。
目の前にいる、ローブに身を包んだ女性———、緑色の髪に、ピン、ととんがった細長い耳、
直接目にしたことなどこれまでになかったが、一目で、エルフ族だと理解することが出来た。
伝え聞く種族の特徴。
長身に、とがった耳。そして、非常に良く整った容姿。
そのエルフの瞳は長く延ばされた前髪によってほとんど隠されてはいたが、綺麗なあごのラインや鼻筋から、人間基準で言えば絶世の美女と呼ばれるほどの顔立ちだろうと推測できる。
全身を覆うローブの隙間からちらりとのぞいた手足も、スラリと長い。きっとそれ以外の身体のどの部分も、絵描きが理想の美の形として思い描くように整っているのに違いない。
(し、しまったっ!!! )
ラウルは咄嗟に、短剣の柄に手をのばしていた。
こんな場所に、エルフがいる。
正直なところまったくの予想外であり戸惑いは大きかったが、一つだけ、明らかなことがある。
目の前にいる人物は、敵だ、ということだ。
ここが鉱山のどの辺りなのかはわからなかったが、シュリュード男爵が贋金作りを行い、警備の傭兵を配置して厳重に守りを固めている場所であることは変わりがない。
そして、いくら魔法が得意なエルフであろうとも、そんな場所に堂々と居座っていられるはずがない。
だとすれば、彼女が何者か、ということは推測できる。
———この謎の住民こそ、贋金に施す魔法陣を作り出している魔法使いに違いなかった。
それは必然的に、シュリュード男爵の協力者である、ということになる。
金銭、あるいは別の見返りによって雇われているのか。あるいは、なんらかの弱み、たとえば人質を取られるなどして無理矢理に協力させられているのか。
そのどちらの場合なのかはわからなかったが、いずれにしろここでラウルに好意的に接してくれることを期待するのは難しかった。
(呪文を唱え始める前に、一撃で仕留めるッ!! )
この状況にどう対処するべきか。
咄嗟に思いついたのは、斬り捨てる、という選択だった。
贋金作りに関わっていた張本人の一人として、生き証人として、できる事ならば捕えて、王都まで連れて行きたい。
そう思いはしたものの、しかし、すでに敵にこちらが潜入していることが露見し、警戒態勢が敷かれ、その上負傷してしまっているという状況ではそうすることはできなかった。
不意をついて気絶させ、拉致する、という作戦はもはや使うことが出来ないし、悠長に説得している余裕もないのだ。
出血と疲労のために腰砕けとなってしまった身体にもう一度だけ活を入れ、ラウルは立ち上がりざまにまだまともに動かせる左手で短剣を引き抜き、エルフの首筋めがけて横なぎに振るおうとする。
だが、奇妙なことに、———普段なら簡単に抜くことが出来るはずの短剣を、抜くことが出来なかった。
「な、なんだっ!?」
立ち上がろうとしていたはずなのに、剣を引き抜こうとしていたはずなのに、柄に手を当てた状態から、どうやっても身体が動かせない。
いったい、なにが起こっているのか。
ラウルは目の前にいるエルフがいつの間にかこちらに右手の手の平を向けていることに気づくと、すぐに、彼女が魔法の力を使ってこちらの動きを封じているのだと理解した。
(呪文も唱えずに……! これが、エルフか……! )
犬頭は、魔法というのがどんなものなのか、一応は知っている。
王都には魔術師たちが集まっていたし、魔法を使うところも実際に目にしたことがある。
ただ、見かけることのある魔術師たちと言えばエルフと人間の混血種族であるナビール族ばかりであり、本物のエルフがどんな風に魔法を使うのかは、見たことはない。
ナビール族は魔法の力を発揮するために、杖を始めとする様々な魔法の道具や薬品、そしてなにより呪文を必要としていた。
しかしエルフたちは、そんなものを使わずとも自在に魔術を使えるようだった。
「いきなり、物騒な物……、出そうと、しないで。私、なにも、悪いことしない。めっ、だよ、毛むくじゃら……さん」
身動きを封じられ、万事休す、と焦燥を強めるラウルに対し、エルフの女性魔術師の言葉は、のんきに聞こえるものだった。
まるで日常のたわいのないいたずらを叱るような口調。
大人が、幼子を諭している場面を思い出させる言葉だった。
しかも彼女の言葉はとぎれとぎれでぼそぼそとしているから、なおさら危機感がない。
そこでラウルは、実際に、エルフからしたら自分は赤子同然なのだということを思い出していた。
なにしろ、神によって最初に生み出された種族とされる彼女たちは、不老不死、と言われるほどの寿命を持っている。
嘘か本当か確かめようがないために信じてはいないのだが、噂では、この世界がまだ神によって作られている途中から生きている、神と面識のある者さえいるのだという。
———
まして、ラウルはまだ二十代。この世界の創成期から生きているかもしれないエルフからすれば、本当に生まれたばかりと言えるだろう。
(オレも、ここまでか……)
万策尽きた、と思った。
負傷しているだけでなく、こうして、魔法の力で身動きを封じられてしまったのだ。
今、犬頭の生殺与奪の権利は、目の前にいるエルフによって完全に握られている。
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