・7-11 第169話:「奇妙な住民:1」
追手から逃れるために、適当な横穴に逃げ込む。
それは賭けでしかなかったが、どうやらラウルはツキに見放されてはいなかったらしい。
影の中に身を潜め、じっと息を殺して、数をかぞえる。
ひとつ。ふたつ。……十……二十。
追手の足音は、迫って来なかった。
「まだ、チャンスはあるってことか」
犬頭はほっとして、暗がりの中で自身を励ますためにも強がった笑みを浮かべると、すぐさま、自身の傷の手当てを開始した。
といっても、十分なことが出来るわけではない。
緊急事態に備えて止血に効果のある薬草や包帯などをセットにした救急キットを持ち込んではいるが、それでできるのは気休め程度の治療でしかなく、いずれ訪れる失血死を先延ばしにできる延命処置でしかない。
少しでも早くこの危険な敵地から脱出しなければならない。追い詰められているというのは、変わらない。
(ツキに見放されたわけじゃない。……だが、考えるだけでも憂鬱だな)
手探りで傷口に薬草を押し当て、口とまともに動く左手を使ってなんとか包帯を巻き終えたラウルは、その場にへたりこんだまま背中を壁に預け、天を仰いで(暗くて天井など見えないが)嘆息した。
最悪は免れた。
しかし、それは絶望的な苦難の始まりに過ぎない。
小夜風の援護のおかげ辛うじて敵を振り切り、ひとまずは安全そうな坑道に逃げ込むことが出来たが、そこはもう使われていない古いもので、一切の明かりがなかった。
明かりのあるメインの坑道からどれだけ奥に入り込んだのか。
おそらくはあったはずの分岐を、自分がどんなふうに進んで来たのか。
無我夢中で、必死に逃げ延びてきたためになにもわからない。
把握できているのは、ここがさらに深い場所にあるらしい、ということだけだった。
空気が重く、澱んでいる感じがする。長く人の出入りがないだけでなく、より深い場所にあるせいで、ずっと換気されることなく同じ空気がとどまっているからだろう。
———嗅覚に集中してみても、外の空気の気配は感じられなかった。
届くのは湿ったかび臭いにおいだけで、贋金作りに使われている坑道から届く、石炭が燃やされ、金属が溶かされる臭いもしない。
現在位置を見失ってしまっている。
それだけではなく、どちらへ進めばいいかという手がかりさえなく、おまけに、応急手当は済ませたもののここから逃げ出すために使える時間にはリミットがある。
「小夜風。おい、小夜風。近くに、いないか? 」
わずかな希望にすがるようにたずねてみるが、頼りになる相棒の返事はなかった。
おそらく、途中ではぐれてしまったのだろう。
あの賢いアカギツネのことだから敵に捕まってしまったなどということはないはずだったが、お互いに逃げるのに必死で、別々の方向に進んでしまったのに違いなかった。
「生き延びるには、進むしかない、か……」
ラウルは途方に暮れながらも、そう呟くと立ち上がり、手探りで歩き出していた。
やっとの思いで手にした、贋金作りの決定的な証拠となるプリーム鉄貨の重みがはっきりと感じられる。
これまで数多くの悪事を働きながらも罪を逃れてきたシュリュード男爵を追い詰め、裁きを受けさせるためにようやく掴んだ糸口。
(これを、王都に届けるまでは……! )
なんとしても、帰らねばならない。
そう決意し、気力を振り絞ったラウルは、ふと、(源九郎たちは、うまくやってくれているだろうか……? )と心配をしつつ、歯を食いしばって先の見えない坑道を進み続けて行った。
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暗闇の中で自分のツキを信じて進んでいたラウルに光明が見えたのは、かなり時間が経ってからのことだった。
それは彼の体感でのことで、実際には、さほど時間は過ぎていない可能性は大きい。
なにしろ辺りは真っ暗で、時間を確認する手段もなく、また、追い詰められ、負傷もして精神的な限界状態で辛うじて踏みとどまっている犬頭には、正確な時刻を計ることなどできるはずがないからだ。
———見えたのは、文字通り光だった。
最初、犬頭は警戒し、耳を澄ませた。
ケストバレーの鉱山は、金の採掘が行われていたが現在は休業中で、贋金作りのためにしか使用されていない。
つまり、明かりがあるところと言えば、敵の支配下にある場所とイコールなのだ。
不審な音は聞こえてこなかった。
それどころか、嗅覚に集中してみるとかすかに、外の空気らしいにおいが感じ取れる。
(メインの坑道に戻ってくることが出来たのか? それとも、使われている坑道が他にもあって、外につながっている? )
傷口の痛みで冷や汗が浮かんだ顔に、かすかに笑みが浮かぶ。
自分が向かうべき先は、いずれにしろこの鉱山の外なのだ。
メインの坑道にまたたどり着いたのならばシュリュード男爵の傭兵たち、おそらくはすでにラウルの潜入を知って警戒態勢を強化しているところを突破しなければならなかったが、それはまた別の手段を考えるとして、とにかく外は目指さなければならない。
生きて帰り、手にした証拠を届けるために。
せめて、源九郎たちに託すために。
ラウルは明かりが漏れて来る方によろめきながら向かい、そして、やはり不審な物音がしないことを確かめてから、その中に転がり込んだ。
少し、明るい場所で休もう。
自分の傷の具合をもう一度確かめ、手元の見える場所でしっかりと手当てをし直そう。
そんなことを考えていたから、脚が自分の体重を支えていることが出来ずに、崩れ落ちるように倒れこんでしまったのだ。
だがそこで、彼は、自身の迂闊さを後悔することとなった。
「なに……? こんな、時間に……。貴方は、いったい、どこから……、こんな場所に、来たの? 」
聞こえてきたのは、———女性の声。
驚きと共に見上げると、蝋燭の明かりがついたテーブルの前のイスに腰かけていた全身を黒いローブで包んだ人物がこちらを振り返り、立ち上がろうとしているところだった。
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