・7-10 第168話:「一閃:2」

 ケストバレーにおける調査は、今まで問題なく進んできていた。

 順調すぎるほどに、円滑に。

 そのために、つい、油断してしまっていたのかもしれない。


(待ち伏せ……、され、た……っ!? )


 誰かに鋭い刃で斬られた。

 そう悟ったラウルは、反撃しようとはしなかった。

 咄嗟に踵を返し、たった今抜けて来た壁の穴を通って逃げに徹する。

 ———おそらく、ここで反撃しようとしていたら、彼はこの場でとどめを刺されていたことだろう。

 なにしろこちらは相手の存在をまったく予期しておらず、どこに潜んでいたのかもわからない上、敵は既に得物を鞘から抜き終わっているからだ。

 もしこちらも剣を抜こうとしていたら、その間にもう一撃を受け、そして、犬頭は絶命していたことだろう。


(源九郎!? ……いや、あり得ない! )


 日本刀で斬られたことなどありはしなかったが、ラウルには、自分を斬ったのは間違いなく刀であるとわかっていた。

 暗闇の中でかすかな松明の明かりを反射し、輝いた刀身。

 そのシルエットは細く、メイファ王国で広く用いられている諸刃の長剣とも短剣とも異なっていたし、なにより、鋭く研ぎ澄まされた、洗練された優美な曲線を持つ刀剣という特徴は、日本刀としか思えなかった。

 そして身近で知っている、日本刀の使い手と言えば源九郎しかいない。この国でサムライという存在は、一人しか思い当たらない。

 しかし、彼が犬頭を斬ることなど、あり得ないことだと断言できる。

 最初は決して友好的な関係ではなかったが、こちらの正体をほのめかしたことで彼は今回の仕事に納得し、強力的な態度を見せていたし、なにより、こんな場所までたどり着けるとは思えなかった。

 では、いったい誰が?

 そんな疑問を抱きつつ、ラウルは遮二無二逃げようとしていた。

 走りながら、同時に、自身の負った怪我の具合を確かめる。


(右腕と、胸を、やられた……! 傷は、致命傷ではないが、浅くない……! )


 傷は骨の表面の深さまで達していたが、すぐに命を落とすことはなさそうだった。

 だが、このまま治療せずに放置すれば、確実に出血多量で死ぬ。

 ———潜入任務であるからと、軽装で、ほとんど防具らしいものを身に着けていなかったことが悔やまれた。

 切り口の滑らかさから言って、革製の鎧程度では難なく切り裂かれてしまっていただろうが、それでも傷を浅くするくらいの効果は望めたはずだ。

 後悔しつつも、ラウルは必死に駆け続ける。

 敵が追ってきているかどうかはわからなかったが、逃げなければ確実に仕留められる。

 そしてなにより、一刻でも早く安全な場所にたどり着き傷の治療をしなければならなかった。

 坑道の中に自身の足音と、焦りと痛みで荒々しくなった吐息とが反響し、それに重なるように、背後から別の誰かの足音が聞こえてくる。


(音まで、源九郎に似ている!? )


 それは、草鞋わらじか、それを模して造られたサンダルを履いた者が走る音だった。ただ、大柄でその分体重もある源九郎と比較すると、若干、軽そうな印象がする。

 再び驚愕しつつも、犬頭は振り返らない。

 相手のことをこの目で確認したかったが、そんなことをしていては絶対に追いつかれるという確信があったからだ。

 だが、逃げに徹したところで、こちらはすでに手傷を追わされている。

 足音の響き具合から、徐々に追手の、謎の敵との距離が詰まりつつあることが感じられた。

 ゾワゾワと、全身の毛が逆立つ嫌な感覚。

 一瞬の後には一刀の下に切り捨てられているかもしれないという、恐怖。


(なんとしても、証拠を持ち帰らねば! )


 ラウルは歯を食いしばり、くじけそうになる意志と脚とを叱咤しながら走り続けた。

 今も出血は激しく続いている。いつ、意識を失ってしまってもおかしくはないという状況だった。

 ———背後で、「シッ! 」という、鋭く息を吐く音が聞こえる。

 それが、相手がこちらを間合いにとらえ、必殺の斬撃をくり出すために、身体に力をこめるための動作を取ったことを意味していると犬頭が理解し戦慄せんりつするのと、視界一面が青白い炎で包まれるのは同時だった。


「う、うわぁっ!!? 」「くっ!? 魔術か!? 」


 全身が炎に包まれる———。

 そう思ったラウルは悲鳴を上げ、背後で彼にとどめを刺そうとしていた敵も驚いてたじろぎ、振るおうとしていた刀の狙いが狂い、その切っ先が空を切る。


「ギャーウッ!!! 」


 前方から鋭い鳴き声が響く。

 野生のキツネが警戒して、威嚇する時の声だ。

 その瞬間、犬頭は自身を突然包み込んだ炎が、善狐である小夜風が使った魔法か幻術であり、実際には少しも熱くないことに気がついた。

 そして、この隙に逃げろ、と言われたのだということも理解した。


(前へ! そして、どこでもいいから、横穴に飛び込む! )


 ぐっ、と両足に力をこめ、現状で発揮できる最大の瞬発力でラウルは幻の炎の中から飛び出す。

 ———目指すのは、暗い方。

 自身の黒い毛並みが闇の中に溶け込み、敵がこちらを見失ってくれれば、傷口の止血をし、生きてここから脱出するための準備を整えることが出来るかもしれない。

 この鉱山は複雑な構造になっているから、入って来た坑道と同じように、安全に外に抜け出すことのできる経路を見つけ出すことが出来るかもしれない。


(どうか、ツキに見放されていませんように! )


 少なくとも、待ち伏せされていた最初の一撃では、始末されずに済んだのだ。

 ラウルは必死に祈りながら、シュリュード男爵が贋金作りに使っているために明かりが用意されているメインの坑道から外れ、無限の深さを持っているのではないかと思える不気味な暗闇を蓄えた横穴へと逃げ込んだ。

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