・7-5 第163話:「潜入」
仲間たちと別れたラウルは、小夜風と共に闇に紛れ込んだ。
元々体毛の黒い獣人にとっては、夜の暗がりは最高の迷彩効果を発揮してくれる。光を集めるために瞳孔を開き、ギラギラと金色に輝く瞳を閉じてしまえば、誰もそこに彼がいるとは気づくことができないだろう。
物陰から、物陰へ。
アカギツネと共に、音もなく進んでいく。
犬頭は今、裸足だった。
爪の部分にだけ布を巻きつけ、後はむき出し。
これは、ヘタに靴を履くよりも、毛皮に覆われた素足、高いクッション性を発揮する肉球で地面を蹴る方がより静かに行動できるだけでなく、グリップ力や咄嗟の瞬発力も発揮することができるためだった。
(やはり、施設は稼働していないようだな。……警備は厳重だが)
鋳造所の壁に張りつき、そっと隙間から中をのぞき込む。
そこには、しばらくの間使われていなさそうな鋳造設備があり、その、今は置かれているだけの物をじっと監視する見張りの姿だけがあった。
(正規の兵士ではなさそうだ)
退屈そうにあくびを噛み殺しながらも持ち場に立ち続けているその兵士たちの姿を見て、ラウルはニヤリと微笑んでいた。
そこにいるのは、メイファ王国に正式に雇用された兵士とは異なった装備を身に着けている、おそらくはシュリュード男爵に個人的に雇われた私兵たちだ。
———こんな風に傭兵を用いるというのは、ある意味では、男爵が不正行為を働いているというなによりの証拠でもあった。
王国の正規兵には見せられない、つまりは後ろ暗いことをしている、ということだからだ。
そしてこのことは、朗報でもあった。このケストバレーに駐留している王国兵たちはみな男爵に従ってはいるが、それはあくまで彼が国王に任命されて来た行政官であるからであり、国王や国家に対する忠誠心のためであって、悪事に進んで加担しているわけではない、ということなのだ。
もしここで贋金作りの決定的な証拠をつかみ、シュリュード男爵の本性を暴くことができれば、この谷にいる王国兵たちは味方にできるかもしれない。
想定していた最悪よりもずっと状況がいいということを確認し、ラウルはさらに谷の奥へと向かって行った。
姿勢を、低く。異変をいち早く、確実に察知するために両耳をピンと立てて、巧みに警備兵の死角を突く。
時には、人間の身体能力では踏破不可能な、ほとんど垂直に切り立った斜面を登り、建物の屋根の上にあがったりぶら下がったりしながら警戒網をすり抜けていく。
途中、何度か小夜風と別行動をとることになった。
珠穂が自慢している通り、この善狐と呼ばれる種類の魔獣は、賢明な生き物だ。
ラウルが少々無茶な方法で進んでみても、しばらくすると必ず、再合流することができている。しっかりと考えながら自分で周囲の状況を判断し、敵に見つかることもなく、そっとつき従ってくれる。
「頼りにしてるぜ、相棒」
感心してラウルがこの一時的なパートナーに呼びかけると、小夜風は「任せておけ」と言うように、小さく鳴いてみせた。
———やがて二人は、山肌に大きく開いた坑道の入り口近くにまでたどり着いていた。
ケストバレーの鉱山は、大昔の古王国時代は鉄鉱山として掘り進められた坑道と重なるようにできている。
鉱石が枯渇し、閉山となってから数百年も経ってから今度は金鉱脈が発見され、古い坑道を利用しつつ様々な方向に向かって掘削されたから、なかなか複雑な構造ができあがっている。内部では坑道同士がつながっていたり、あるいはどこまでも並行してまったくつながらなかったりと、分かりにくい迷路のようになっている。
ぱっと見で確認できる出入り口も、何か所も存在している。古いものもあれば新しいものもあり、坑道が崩壊しないように支えている木材の組み方や外見の劣化の具合から、なんとなくどの時代に掘られたものなのか推測できる。
(狙うのなら、人通りの多い、今でも使われている坑道だが……)
暗がりに身を潜めながら、ラウルは考え込む。
ここまでは、うまく人目を忍んでたどり着くことができた。
しかし、ここから先は難易度があがる。坑道はその内部においては複雑に絡み合い、交差し、潜入ルートをいろいろと選択することができるのだが、その出入り口は限られていて見張りも厳重に行われている上に、事前の調査では内部構造について詳細な情報は得られなかったからだ。
迷いやすいということに加えて、使われている坑道、おそらくは贋金作りが行われている犯行現場へと続いているものは、しっかりと見張られている。通常は二人もいれば十分なのだが、一つだけ、四人もシュリュード男爵が雇った傭兵が配置されている場所があった。
うまく突破できれば、ほとんど真っ直ぐ、証拠を押さえに向かうことができる。
だが、出入り口をこうも重点的に見張られてしまうと、見つからずに通り抜けるということは難しかった。
「……ん? どうした? 」
なんとか隙が無いかと神経を研ぎ澄ませて観察していたラウルの手を、小夜風のフサフサの尻尾が軽くなでた。
視線を向けると、アカギツネはそのとがった顔先にある鼻をツンと空中に突きあげ、スンスン、とにおいをかいでいる。
「そうだ。すっかり忘れていたよ」
犬頭は苦笑すると、自身も辺りのにおいをかぎわけることに集中してみる。
犬は鋭敏な嗅覚を持つことで知られているが、その外見的な特徴を共有している獣人である
普段人間たちと一緒に暮らしているためについついそういう能力を持っていることを忘れがちになってしまうのだが、今はその使い時だった。
———かすかな空気の流れに乗って、様々なにおいがラウルの鼻に届く。
それを何度も確かめ、詳細に比べてみると、小夜風がにおいに注意するように促した理由が分かった。
もっとも警備の厳重な、事件の現場につながっているのに違いないと思われる坑道からは、石炭の燃える臭い、溶けた金属が放つ異臭が漂って来る。
それと同じ臭いが、別の、まったく警備されていない坑道からも流れてきているのだ。
つまり、この二つの坑道は内部で確実につながっている。
「小夜風、助かった」
突破口が見つかったと不敵な微笑みを浮かべたラウルが率直な礼を述べると、アカギツネは得意そうに尻尾を振って見せた。
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