・7-4 第162話:「そこにある危機」

 贋金事件の決定的な証拠を押さえるために、今夜、鉱山に潜入する。

 急な話ではあったが、一行は準備をすぐに完了させていた。

 元々、長居をするつもりはなかったのだ。

 一獲千金を狙う度の商人、という設定でケストバレーに潜り込んでいるという[設定]のためでもあり、加えて、源九郎もフィーナも、国王に対してこの国の治世について物申す、という使命をまだ果たしてはいなかったし、珠穂にはどうしても続けなければならない旅がある。

 なにより、贋金の製造という悪事を一刻も早く止めなければならなかった。

 おそらく、シュリュード男爵は王国から課せられたメイファ金貨の製造ノルマを達成するために偽プリーム金貨を製造しているのに違いない。

 高額なプリーム金貨でメイファ金貨をかき集め、それを「新たに鋳造した」として王都に納めているのだ。

 この工作を明らかにできれば、芋づる式にこれまで追及されてこなかったシュリュード男爵の悪事が表ざたとなり、彼と賄賂でつながっている王国中枢の奸臣たちを一網打尽にできる。

 男爵が行っている行為は、放っておけばメイファ王国全体の経済が混乱に陥る危険さえあることだった。

 質の悪い貨幣が数多く流通すれば、それは、市場に流通している商品に対して、貨幣の価値が下がる、という事態を引き起こす。お金の価値が下がれば、同じ商品であっても以前より多額の費用を支払わなければならなくなってしまう。

 このまま贋金作りが続き、粗悪な贋金が広まってしまえば、猛烈なインフレーションが発生しかねないのだ。

 それは、交易を経済の中心として栄えてきたメイファ王国にとっては、致命傷になりかねない問題だ。

 一般的に、緩やかなインフレーションは経済の発展を促すとされている。

 以前よりも高値で商品が売れれば、生産者は作る量を増やそうとする。そうして市場により多くの商品が流通し利用することができるようになれば人々は以前よりも豊かな生活を送ることができるし、経済の回転が良くなって、国全体が潤うからだ。

 しかし、急激なインフレーションは悪影響しかもたらさない。

 お金の価値が下がる、ということは、手持ちの資産の価値も目減りしてしまう、ということだった。

 金持ちは貧乏人になり、元々貧しかった人々は一切の資産を失ったのと同然になる。

 金持ちが貧乏になるということは、事業を継続するための資金繰りが難しくなるということだ。そして事業を継続できなくなると、そこで働いていた人々は職を失う。

 職を失うということは、元々さほど資産を持っていない庶民にとっては、死刑宣告に等しい。生活が成り立たなくなるということだからだ。

 そして、国家はそういう事態に追い込まれた人々を救済することもできない。

 助けようにも、そうするのに必要な資金が用意できないからだ。

 税をかけて新たに資金を得ようにも経済が混乱し破綻の危機に瀕していれば逆効果にしかならず国家の死期を早めるだけであったし、ならば富裕層から必要な金額を得ようとしても、そもそもその富裕層が破産してしまっている。

 もし、このまま贋金の製造が続き、なにかのきっかけで一気にハイパーインフレーションが発生すれば、メイファ王国は滅亡の危機に直面することとなるだろう。

 ———シュリュード男爵は、自らの栄達のために、その雇い主である国家を、そしてそこに属するすべての人々を危険にさらしているのだ。


(俺たちが、止めてやろうじゃねぇか)


 本差と脇差を帯に挟み込み、衣服を整え、珠穂に教えてもらってサンダルを草鞋っぽく改造した靴を履く(最初に神に用意してもらった草鞋は、とっくに履き潰してしまっていた)と、源九郎は気合のこもった表情で視線を上にあげていた。

 腕が鳴る。

 まさに、そんな気分だった。


────────────────────────────────────────


 昨晩、公衆トイレに向かう際にはなにも心配せず、堂々としていれば良かった。

 夜中であろうともトイレを利用したくなるのは人として当然あり得る事であったし、巡回の警備兵たちも、トイレに向かっていると明らかである限りは怪しんだりしなかった。

 しかし、今日は違う。

 目的地はこのケストバレーの最深部。

 シュリュード男爵の命令で一部の者以外の立ち入りが禁止されているという鉱山であり、そこに向かっていると分かれば確実に兵士たちに呼び止められてしまうだろう。

 一行が宿泊していた安宿のある区画から谷の奥に向かっては、夜間はほとんど人の気配がない場所となっていた。

 ドワーフたちの工房が建ち並ぶ職人街は夜間の営業をしていないし、鋳造所はそもそも昼でも開店休業状態。

 人がいるのはシュリュード男爵の屋敷の周辺と、見回りの兵士たちだけだ。

 そんな場所をうろうろしているのを見つかれば、一発でアウトだろう。

 だから一行は、静かに進んで行かなければならなかった。

 足音を抑え、一言も発せず呼吸もできるだけ静かにし、身をかがめ、明るいところは避けて暗がりを選んで移動していく。

 途中、松明を手にした巡回の兵士たちの集団とすれ違った時には、全員で物陰に隠れてやり過ごしたりもした。

 源九郎たちはこうした行為は初めてのことであったが、思いの他、順調に鉱山に接近することができた。

 珠穂は常々、小夜風の賢さを自慢げにしていたが、このアカギツネが非常に優秀で安全な道順をしっかりと学習しており、うまく一行を導いてくれたおかげだ。


「よし。ここらで別れよう」


 やがてラウルは、職人街を通り過ぎた辺りで立ち止まると小声でそう言った。


「潜入は、オレと、小夜風でやる。……源九郎はなにかあった時の支援、珠穂殿は逃走経路の確保。娘とお嬢は、騒ぎを起こす準備を整えて、安全な場所に待機、ということで頼む。そして、重要なことだが。……月が山の稜線に隠れるような時間までオレが戻らなかったら、潜入は失敗したと見なして、全員で谷を脱出。トパスの旦那に経緯を説明して欲しい」

「ああ、わかったぜ」「案ずるでない。逃げ道はしかと確保しておく」「おらたちに任せておくべ! 」


 犬頭の言葉に、源九郎たちは異論もなくうなずいてみせていた。


「貴方を放っておいて脱出なんて、できませんわ! 」


 不服そうに表情を曇らせたのは、セシリアだ。

 するとラウルは、真剣な表情でたしなめる。


「お嬢。優先順位を間違えないで下さい。オレの身よりも、贋金事件を解決することの方が優先です。そしてなにより、お嬢自身の安全は絶対に譲れない条件です。……オレのことを心配して下さるのなら、確実に王都に戻ってください。そして、もうこんな危ない家出をしようなんて、二度と考えないことです」


 それは、有無を言わさない警告だった。

 反論しても意志を変えられないと悟ったのか、それとも咄嗟に言葉が出てこなかったのか。

 お嬢様は押し黙り、不安そうな表情でうつむき、それから悔しそうに唇を左右に引き結んだ。


「それじゃ、行って来る」


 その様子を確認すると、ラウルはそれだけを言い残し、静かに鉱山へと向かって行った。

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