・2-14 第95話 「不気味な声の正体」

 源九郎が聞いた、幽霊のものかもしれないと思えるほど不気味な、か細い声。

 その正体は、すぐに明らかになった。


「ふぎゃふっ!? 」「うおわっ!? 」


 慎重に声のした方向に進んでいた源九郎だったが、彼はなにか柔らかくてふさふさしているモノを踏んづけてしまい、慌てて足を引っ込めていた。

 灯台元暗し、と言うが、火のついた枝で照らしている先を警戒するのに夢中で、足元への注意がおろそかになってしまっていたらしい。


「ぅ、ぅ~……、踏んづけるなんて、酷いですにゃ~……」


 すると、なんとも悲しそうな、弱々しい声が聞こえてくる。

 高いトーンで、ひょうきんな印象だ。


「な、なんだこりゃ? ……ね、猫……? 」


 源九郎が油断なく右手で刀をかまえつつ辺りを照らすと、そこには毛だまりがあった。

 灰色っぽいふさふさの毛並みに、黒っぽい色の虎模様が入っている。

 三角形をした耳のある大きな頭と、寸胴な身体。おそらく手足もあるはずだったが、それらは短いのか体毛と草に隠れてはっきりとはしない。

 見た目は、猫に近い。

 猫がうつぶせに倒れているように見える。

 しかし、猫にしてはやたらと大きく、人間の子供ほどの背丈がある。二足歩行させてフィーナと並ばせたら、いい勝負になりそうだ。

 そしてその毛だまりは、きっと首に相当する部分に革製のポーチを背負っていた。

 よほど大切なものを入れるためのものなのか厚手の革を使い、縫い目も三重にされた頑丈そうなポーチで、いかにも重そうにずっしりと体毛の中に食い込んでいる。


(よ、よ~し、俺、落ち着けよ~? )


 源九郎はとりあえず深呼吸をする。

 ひとまず、不気味な声の正体が幽霊ではないということを確認することができて、ほっと安心、といったところだ。

 しかし、まだ油断はすることができない。

 声の主はおそらくこの地べたに倒れこんでいる猫のような生物に間違いないのだが、源九郎にとってそれは、まったく未知の存在だ。

 日本には、いや、地球には、こんなに巨大な猫というのは存在していなかった。しかもどうやらこの猫らしき生物は人間の言葉を自在に話すことができるのだ。


「お、おい、お前。いったい何なんだ? 何者なんだ、おい? 」

「あふんっ。そんな、脇腹をつま先でつつかないで欲しいですにゃ~」


 しゃがんだ瞬間に襲いかかられてはたまらないが、かといって抜き身の刀でつついてもいいものかと悩んだ源九郎が、次善の策として足のつま先で軽く毛だまりをつつくと、弱々しい声ではあったが抗議を受ける。


「おっと、悪ぃ。けどよお前、本当に何者なんだ? 」

「み、ミーの名前は、マオ、と申しますにゃ」


 足を引っ込めてから問いかけ直すと、毛だまりの頭部と思われた辺りがもぞもぞとうごめき、ようやく、顔らしきものを目にすることができた。

 やはり、猫だ。

 常に瞼を閉じているのかと思えるほどの細目に、ピンと伸びた口ひげ。

 とても人間とは思えない姿をしているが、先ほどから源九郎と会話をしている声は間違いなく、その口から発せられている。


「お、おめぐみを~」


 初めて対面した謎の生物にどう反応すればよいかわからず戸惑っていると、マオ、と名乗った毛だまりは、哀れな声で懇願する。


「も、もう、何日も、まともに食べ物を口にしていないのです……。あまりにお腹がすきすぎて、もう、一歩も動けないのですぅ」

「……あ、ああ!? は、腹が減ってるんだな!? 」


 そのマオの言葉で、源九郎はようやく、この謎の生物が助けを求めているのだということを理解した。

 幽霊かもしれないなどと恐れていた気持ちは、すっかりどこかに吹き飛んでいた。

 こうして事情を把握して思い返してみると、不気味に思えた声はずっと、「おめぐみを~」と言っていたように思える。

 要するに、そんな簡単な短い言葉さえ満足に出せないほどに、マオは弱り切っているということだった。


「えっと、えっと、なにか、食わせられるもの! 」


 源九郎は基本的に善人だった。

 困っている相手であれば、見過ごすことはできない。

 彼は、実はこのマオという存在が極悪人で、これまで何人もの人々を犠牲にし、そしてこれから源九郎とフィーナを陥れようと企んでいる、などという可能性を一切考慮せずに、とにかく食べさせることができそうなものを探す。


「ん……、ん~ぅ? いったい、なんの騒ぎだべかぁ……? 」


 その時、この騒動に気がついたのかフィーナが起き出してくる。

 毛布から半身を起こし、まだ眠そうに目をこすっていた彼女だったが、すぐに抜き身の刀を手にしている源九郎の姿を見つけて驚愕し双眸を見開いた。


「ん~、んへっ!? おさむれーさまっ、いったいなにごとだっぺ!? 」

「だ、大丈夫だ、フィーナ! 敵がいるわけじゃない! 」


 サムライは慌てて枝を持った方の手をかざしてフィーナを落ち着かせ、それから自身の足元に倒れこんでいる毛だまりの方を指し示す。


「よくわかんねーんだけど、行き倒れなんだ! 腹が減り過ぎて動けないから、助けて欲しいんだと! 」

「んにゃっ!? えっとそれは、なんだべか? 猫……、猫人ナオナー族の人だべか!? 」


 さすがにこちらの異世界で生まれ育っただけあって、フィーナはマオの正体を知っているらしい。

 事情を察した彼女はすぐに立ち上がって、なにか食べさせてやれるものがないかと周囲を見渡す。


「そうだべ! 魚の燻製があったべさ! 」


 そしてそのことを思い出した彼女は、保存食にと自身が仕込んでおいた魚の燻製をとりにパタパタと駆けて行った。

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