・2-13 第94話 「闇からの呼び声」
一人きりで夜の見張りをするというのは、なかなか大変なことだった。
退屈なのだ。
焚火によって照らし出される範囲の外、森の深い闇。
その中に危険はあるかもしれないし、ないのかもしれない。
あるのかどうかわからないモノのためにずっと精神を緊張させておくことは簡単ではなかったし、少し気が緩むとすぐに、関係のないことを想像し始めたり、睡魔に襲われたりしてしまう。
そんな時には源九郎は立ち上がって、焚火の周囲を一周し、軽く体を動かすようにしている。
眠りに堕ちようとする身体を無理やり動かして血行を促進し、目覚めさせるのと同時に、自分が見張りをしているのだということを再確認して緊張感を保つためだ。
源九郎はなにをするにしても、静かに行動をすうことを心掛けた。せっかく穏やかな眠りにつくことができたフィーナを邪魔するわけにはいかなかったからだ。
夜は、何事もなく更けて行った。
といっても、体感ではあるがまだ真夜中の12時を回ったくらいだろう。
以前に暮らしていた日本と、この異世界では、時間の流れ方が全然違う。
日本では夜でも電気の明かりがあちこちにあり、昼も夜も関係なく暮らすことができた。
真夜中でも起きている人間がいることが当たり前だった。源九郎は交通警備員として生計を立てていたから、夜勤をしたことだって当然ある。
しかしこの世界では、人々は明るくなれば起き出して働き、暗くなれば休むという自然のサイクルに従って生活しているのだ。
だから暗くなってからだいぶ時間が経ったと思っても、日付をまたいだぐらいでしかないはずだった。
(もうすぐ、丑の刻、っていう奴だな? )
源九郎はすやすやと眠っているフィーナの寝顔から視線を森の暗闇に移し、寝ずの番も慣れたものだなと得意げな笑みを浮かべる。
大の大人が情けなくはあったが、この異世界に転生して来てから初めて人里離れた場所で過ごす夜は、恐ろしく感じた。
同じ夜であっても、日本とこの世界とでは闇の濃さがまったく異なっている。電気などを気軽に利用できるようになる以前の人々が夜の闇を恐れていた理由を、今さらながらに実感させられた。
昔の人々は、午前一時から三時、いわゆる丑の刻を特に恐れていたという。
それは、草木も眠ると形容されるほど昼間とは異なる様相となり、周囲がすべて闇に飲み込まれてしまったかのように見通しが利かず静かになることから、人々がもっとも常世に近くなる時刻だと考えていたからであり、丑寅の方角、時刻でいえばちょうど丑の刻辺りに該当する方角は鬼門とされており、不吉であるとも考えられていたからだ。
昔の人々がなぜそんな風に考えたのか、この世界の夜を経験すればすぐに理解することができる。
だが、旅を始めてから一か月近くにもなると、さすがにもう怖いとは思わない。
焚火の火があればそれを警戒して野生動物の多くは近寄っては来ないし、なにより源九郎の手元には常に刀があるから、不意を突かれでもしない限りまず負ける心配はいらない。
対処法さえ分かれば、恐れることはなくなって来る。
「ぅおっ!? 」
すっかり慣れたつもりになっていた源九郎だったが、彼は思わず驚きの声を漏らしながらビクンと身体を震わせていた。
暗闇の中から唐突に、か細い人の声のようなものを聞いたのだ。
とっさに、いつでも抜けるように身近に置いていた刀を取って素早く立ち上がり、中腰の半身になって柄に手をかける。
(な、なんだ!? どこから!? 村の人たちじゃ……、なさそうだ! )
源九郎はせわしなく眼球を動かし、周囲を警戒する。
その表情には、先ほどまであった余裕は少しもなく、額には冷や汗がにじむ。
というのは、聞こえて来た声というのがあまりにもか細く、震えていて、霊的な存在がこちらに呼びかけてきているのではないかと、そう思ってしまうほど不気味な印象だったからだ。
「……お……みを~……」
「ま、また聞こえるっ!? 」
幻聴かもと思ったのだが、声は確かに聞こえてくる。
フィーナのものでも、もちろん、自分のものでもない声。
まるで現実世界には本来であれば干渉できないはずの霊が、その強烈な怨念によってこちらに語りかけてきているような。
源九郎はもう、パニックに堕ちいりかけていた。
もしここが日本であったのなら、彼は幽霊などという存在を笑い飛ばしていただろう。
しかしここは、自分がこれまでの40年の人生を過ごして来たよく知った世界ではなく、似てはいても違う世界、異世界なのだ。
幽霊という存在がいてもおかしくはなかったし、そういった存在が、生身の人間である源九郎に対して危害を加えてくるという可能性は十分にあった。
ここに自分一人だけであるのならば、まだいい。
しかしここには、守らなければならない相手が、フィーナがいるのだ。
「……お……みを~……」
「く、くそっ、また聞こえるっ」
自身の耳に届いた不気味な声に、思わず舌打ちをしてしまう。
それから彼は刀を右手で抜いて片手でかまえると、焚火に左手をのばし、松明代わりになりそうな火のついた枝を手に取り、声が聞こえてきたと思われる方に炎を向ける。
「と、とにかく、確かめてみねぇと……」
源九郎は勇気を奮い起こすために自分にそう言い聞かせると、舌でペロリ、と緊張で乾いた下唇をなめ、ゆっくりと、慎重に、森の中の暗闇に向かって進んで行った。
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