・2-12 第93話 「旅の目的」

 夜の深まった森の中に、穏やかな時間が流れている。

 目の前には焚火が燃えており、空気は冷え込んで来ているはずなのに暖かい。森の中は暗く深い闇に覆われていて不気味な印象だったが、この焚火の炎に照らされる範囲だけはまるで炎の力で守られている聖域のようであり、揺らめく炎を見つめていると妙な安心感を覚える。

 音は少なかった。焚火の音と、自分自身の呼吸と、フィーナの呼吸する音。そして森の中から時折響く、ホー、ホー、という梟の鳴き声だけがある。

 そして見上げれば、木立の間からのぞく星空。

 この世界の夜はあまりに暗く、恐ろしくさえあったが、良いこともある。

 明かりが少ないために星がよく見えるのだ。

 それも、自身が田中 賢二として暮らしていた日本で、山奥に引きこもった時よりもさらに美しく、はっきりと見える。

 手をのばせば、つかめるかもしれない。

 思わずそんな風に思ってしまうほどだった。


(アレで、けっこう空気が汚れていたのかもな)


 源九郎は薪の位置を動かして焚火の火を調節しながら、物思いにふける。

 日本の空もきれいなものだったし、厳しい規制によって環境は保護されていたが、それでもこの世界の空には及ばない。

 産業が未発達で人々が自給自足的な生活をしていることと、人口そのものがずっと少ないおかげで空気が澄んでいるのだろう。


(もしこれがキャンプだったら、最高だったろうにな)


 少しだけ若い頃を、20年ほども前のことを思い出す。

 武者修行だ、と山籠もりしていた時のことだ。

 あの時も今と同じように、森の中で何日も、何日も露営していた。そうすることで本物のサムライたちが生きていた時代にできるだけ近い生活を経験し、少しでもその精神がどんなものだったのかを、自分なりに探りたかったのだ。

 ━━━しかし、それでは本質は身につかなかった。

 源九郎はこの異世界にやって来るまで、結局は田中 賢二というただの人間。俳優として立花 源九郎というサムライを演じていた、役者に過ぎなかったのだ。


 だから彼は、フィーナの村で村長の命を、彼女の育ての親を守ることができなかった。


「おっと、また、うなされてるのか? 」


 自責の念を噛みしめていた源九郎だったが、これまで穏やかで一定のペースだったフィーナの呼吸が乱れ始めたことに気がついた。

 彼女の方を振り返ると、毛布にくるまり、横になり両腕で自分自身の身体を抱きかかえるようにしながら、苦しそうに悶えている。

 起こさないように静かに立ち上がり、側によって確かめてみると、その額には冷や汗がいくつも浮かんでいた。


「村長さんの夢を見てるんだろうな……」


 源九郎は悲しそうに呟くと、しゃがみこんでそっと少女の頭を撫でてやった。

 ━━━二人がこの旅に出た理由。

 それは、フィーナの暮らしていた村が野盗たちに襲われ、自身がさらわれただけでなく、略奪され、村を焼かれ、そして、彼女にとって育ての親であった村長が殺されてしまったからだ。

 村人たちは善良な、無力な人々だった。

 農業のことは良く知っていても、自分で自分の身を守るために戦う方法を知らない、ただ日々を懸命に生き抜こうとしていただけの人たち。

 そんな彼らは、辺境を襲い混乱させ、国家を弱体化させるという秘密の使命を帯びた敵国の工作員に率いられた野盗たちによって、容赦なく痛めつけられていた。

 村長は我が身の命と引き換えにして村を救おうとしたが果たせず、工作員だった野盗の頭領はその老人を躊躇なく斬った。

 それも、フィーナの見ている目の前で。

 野盗の暴虐を推しとどめる者は誰もいなかった。

 元々村を治めていた領主は出征した先で戦死してしまっていて、その後任となる者も定められないまま、その城館は人が逃げ散って空き城となり、野盗たちによって拠点にされてしまっていたほどなのだ。

 誰も、村人たちを救わない。

 そこへあらわれたのが、源九郎だった。

 彼はこの世界を創造したのだという[神]によって導かれ、転生を果たしたのだが、最初はこれから始まる第二の人生、冒険に心を躍らせていただけだった。

 しかし、この[異世界]は、転生する前に思い描いていたものとは違っていた。

 だからそのギャップに戸惑い、自身が暮らしていた世界とのあまりの落差に混乱し、サムライとは、[自身の剣で運命を切り開く]とはどういうことなのか、その本質に気づけずにいた。

 そのために村長を救うことができず、少女の心に、もしかしたら一生消えることの無い傷を与えることとなってしまった。

 もし、[神]が最初から、「貴方を転生させたのは、救って欲しい村があるからです」と教えてくれていればもっとやりようがあったはずだと、そう思わないでもない。

 しかし、サムライとはなんなのか。[斬る]とはいったいどんなことを意味するのか。

 そのことにまだ気づいていなかった、知ったつもりになっていただけの自分では、やはり村長を救うことはできなかっただろう。


「この旅、どんなに辛くっても、最後まで続けようぜ。フィーナ」


 源九郎は自身の手でなでてやっているうちに少女の寝息が穏やかなものになり、冷や汗も引いていくのを確かめて、安心した微笑みを浮かべていた。

 ━━━王様にガツンと言ってやる。

 それが、二人が旅を続けている目的であり、終着点だ。

 源九郎がいれば、その村は守ることができる。

 しかし、それ以外は救えない。

 フィーナが経験したのと同じ凄惨な思いをする人々が増え続ける。

 それを阻止するためには、この辺境を治めている為政者たちになにが起こっているのかを突きつけ、動かさなければならない。

 どんな方法を取ればそれを達成できるかは、まったく想像もつかない。

 だが二人はあきらめるつもりなどなかった。

 フィーナにとってそれは、あまりにも辛い心の傷から目をそらし、自身の足で立ち続け、歩み続けるための原動力であったし、源九郎にとってはそんな少女のことを支え、少なくともその必要がなくなるまでは守りつづけるというのが、救うことのできなかった村長との約束だったからだ。


(明日は、どっちに進むべきか……)


 源九郎はフィーナを不安にさせないようその側らによりそって星空を見上げながら、これから先、どう旅を続けていくのかを考えていた。

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