・2-3 第84話 「サムライ:2」

 それは、ほとんどまばたきをするような瞬時の出来事だった。


 村から野盗を退治し、奪われた品々を、なによりも少女のことを救ってくれるように頼まれたのだという、異質な風体の大男。

 サムライ・源九郎。

 彼は居合術と呼ばれる剣技を用い、油断しきっていた野盗の1人を一撃で絶命させていた。

 命を失った野盗の魂はその事実に気づく間もなく、これまでに犯して来た罪と向き合う間もない慈悲深い死によって消滅し、残された肉体は切り口から鮮血をあふれさせながら力を失い、崩れ落ちて行く。

 源九郎は動くことをやめなかった。

 そして、野盗たちに対して、もはや一切の情けをかけなかった。

 彼は最初に斬った野盗が地面に膝をつくよりも早く二人目、三人目と野盗を斬り捨てて行く。

 サムライはよどみなく、停滞なく、野盗たちの間を駆け抜け、その命を刈り取っていく。


「うぎゃっ、ぎゃっ、ぎゃぁぁぁぁぁぁぁあっ!? 」


 いつの間にか、野盗は六人から、一人だけになっていた。

 そして最後に残った野盗はようやく、源九郎によって次々と仲間たちが斬り捨てられていることを理解し、驚きと、パニックと、恐怖で張り裂けんばかりの悲鳴をあげた。

 しかし、その手はしっかりと、自身の腰の剣の柄へとのびている。

 彼ら、野盗たちはせいぜい素人に毛が生えただけの、とても戦いのプロフェッショナルとは呼べない者たちだったが、それでも、命のやりとりをするのは今回が初めてのことではない。

 やらなければ、やられる。

 単純明快な戦闘のルールが、野盗の内底に染みついた生存本能が、反射的に彼の手に武器を持たせていた。

 だがそれは、あまりにも遅すぎた。

 源九郎は野盗たちがイス代わりに使っていた枯れ木に足を取られないように注意しつつ、自身の脚をバネにしてしなやかに肉体を躍動させながら踏み込み、その勢いと自身の体重とを乗せて刀を振るう。

 横なぎに振るわれた凶刃は、剣の柄にのばされていた野盗の手首をとらえた。

 そして容易く皮膚を裂き、肉を斬り、骨と骨の間を抜ける。


「ふぎゃっ、がっ、うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!? 」


 自身の手首を襲った激痛。

 そして唐突にそこから先の感覚を失い、その先にあったものの質量を失ったことに気づいた野盗は、手首から先を失った手を自身の顔の高さにまで持ち上げ、恐怖に目を見開き、切り口から噴き出す自身の生暖かくぬめりとした鮮血を見つめながら、肺の中の空気をすべて絞り出すような強烈な、おぞましい悲鳴をあげる。

 それは、彼が実際に肺の中の空気をすべて失う前に止まった。

 なぜなら源九郎が返す刀で野盗の首を、頭部の重量を支えるという義務から永遠に解放してやったからだ。

 野盗の頭部は最後に浮かべていた表情を張りつけたまま空中を舞い、生い茂った下草の上にドスンと落ちて、土くれや草の破片をまといながらゴロンゴロンと森の中へと転がっていき、木の根の一つにぶつかって仰向けになって停止した。


(えっ……? )


 少女は目の前で起こったことが信じられず、双眸を見開いて驚愕していた。

 ここには、つい先ほどまで八人の生きた人間がいた。

 しかし、すでに二人しかいない。

 ━━━たった一人が、ほんのわずかな間に、相手に一切の反撃を許すことなく六人もの人数を斬ったのだ。

 その腕前は、達人と称する以外にないものだった。


「……」


 源九郎は、まだ備えを解いてはいなかった。

 彼は油断なく、血脂のしたたる刀を正眼にかまえ、つい先ほど自分が斬り捨てた野盗たちが、焚火を囲むように倒れ伏しているそれらをすべて視界に収められるように位置取りをして、目をしっかりと見開き、耳を澄ませている。

 それは、いわゆる残心と呼ばれるものだった。

 人間は、致命傷を負ったとしても数秒間は動き続けることがある。

 だから、一刀で致命傷を与えたと、そう確信があるのだとしても、自身に敵対する者たちがみな確実に絶命したことを確認することができるまでは、戦いの姿勢を保たなければならない。

 源九郎はその基本を忠実に守った。


「……チッ」


 やがてサムライはしまった、と後悔して表情を歪め、口の中で小さく舌打ちをする。

 なぜかと言えば、全員斬り伏せたはずの野盗たちの中に、生き残りがいたからだ。


「がぁぁぁぁぁっ! 熱い、熱いィィィィィィィィィっ!!! 助けてッ! 助ケテェェェッ!!! 」


 首から血を流しているその野盗は、そう叫びながら地面の上をのたうち回っていた。

 その身体の下にはちょうど、彼らが囲んでいた焚火の、燃え盛る炎がある。

 彼は不運にも死にきれず、さらに悪いことに、火の上に倒れてしまったのだ。

 熱に焼かれながら野盗はその苦しみから少しでも逃れようともがき、手足をばたつかせ、火のついたままの薪と火花を散乱させ、気が狂ったように悲鳴を上げ続けている。

 その身に着けた衣服にはすでに火がつき、徐々に黒く炭化し始めていた。

 源九郎の手元が狂ったわけではなかった。

 彼が振るった刀は正確に首筋の太い血管をとらえており、本来であれば、多量の出血により数秒で脳が死を迎える、ほとんど苦しみのない即死となるはずだったのだ。しかも野盗たちが倒れる場所まで計算して斬っていた。

 しかし、サムライの刀には、刃こぼれがあった。

 以前に経験した戦いは死闘と呼ぶべきもので、その際に、鋼鉄の強靭な刀も、その身にダメージを負っていたのだ。

 このために傷が浅くなり、不運なその野盗は死にきれず、自分でもがいてしまったために倒れる場所も予定から狂って、耐えがたい苦痛にさいなまれることとなってしまった。


「すまねぇ……、今、楽にしてやる」


 源九郎は憮然とした顔で申し訳なさそうにそう言うと、素早く接近し刀を深々と突き立て、生前に犯した罪を現世にいながらにして償っていた野盗に、自身にできる最大の慈悲を与えてやった。

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