・1-42 第57話 「焼け落ちる村:2」

 もう死んでいるかもしれない、おそらくはその可能性が高い長老。

 そんな彼を、人間1人を担いで走るのでは、速度が鈍る。


 炎から逃げきれずに、自分も命を落としてしまう。


 源九郎の脳裏にはそんな不安がよぎったが、彼は長老を見捨てなかった。


 自分の知っている[源九郎]ならば、幼いころからそうなりたいと願って来た正義のヒーローならば、長老のわずかな生存の可能性に賭け、決して置き去りにはしないだろうと思うからだ。


 担ぎ上げた長老の身体は、思いの他軽く感じられた。


 それは、源九郎が日頃から自身の身体を鍛えており、体力があったことや、長老が老人で、身体についている筋肉が衰え、脂肪も減り、痩せていたおかげもあるだろう。


 だが、源九郎はそれだけではないことをすぐに理解した。

 長老を担いだ背中に、わずかにだが、じんわりと水分が広がって来るのを感じることができる。


 血だ。

 長老の身体から、血が流れ出ている。


 流れ出た血の分だけ、長老の身体は軽くなっているのだ!


(アイツらっ! 許さねぇっ! )


 走りながら源九郎は、自身の奥歯を噛み砕かんばかりの強さで噛みしめていた。


 野盗たちのことが、許せなかった。


 長老は、確かに野盗たちの要求には従おうとしなかった。

 野盗たちは村のすべての種をよこせと命じたが、長老は村を存続させるために、せめて半分の種を残そうとした。


 その代わり、長老は自らの命を犠牲に捧げようとしたのだ。


 源九郎だったら、そんな風に懇願こんがんされたら、間違いなくその要求を飲み、村に半分の種を残して、この村を去っただろう。

 そもそも野盗になど、飢えて困窮こんきゅうしてもなるつもりはなかったが、もし自分が野盗だったら、長老を斬って、村に火をかけるようなことは絶対にしない。


 一方的な、暴力による支配。

 抵抗する力を村人たちが持たないのをいいことに、野盗たちは好き勝手にしてきた。


 そして、この仕打ち。

 もはや野盗たちは殺戮と略奪を楽しんでいるか、それ自体になんらかの目的を持っているとしか思えなかった。


 あらためて、森の中でフィーナを襲っていた野盗たちを峰打ちで見逃してやったことが悔やまれた。

 その内の1人には野盗たちの頭領の手ですでに粛清しゅくせいされてしまったが、あと2人、あの場で斬り殺しておけば。


 それで、この村の運命が変わったとは限らない。

 野盗たちは最後には村を焼いた可能性は高いのだ。


 しかし、源九郎は己の甘さを呪い、そして、野盗たちを、悪を激しく憎んでいた。


 殺意。

 この時源九郎は、生まれて初めて明確にその負の感情を抱いていた。


────────────────────────────────────────


 やがて源九郎は、村の外にまで駆け抜けていた。

 肌に感じる熱気が小さくなり、ようやく源九郎は口を大きく開いて肺に空気を思いきり取り込む。

 熱気で肺をやられないように、村を駆け抜ける間はなるべく息を止めていたのだ。


 煙で煤けた空気だったが、酸素不足に陥った源九郎にはこの上なくうまく感じる。

 目いっぱい肺を広げて呼吸をくり返し、息を整えつつ、安全な場所にまでたどり着いて徐々に走る速度を落とした源九郎は、下草の生い茂った柔らかそうな地面を見つけるとその上に担いできた長老を仰向けに寝かせた。


 急いで長老の首筋に手を当て、脈を取る。

 脈の取り方などまともに身に着けたことなどなかったが、源九郎の指先にはかすかに、脈を感じられた気がした。


 長老の口元に手を当てる。

 すると、か細いものの、呼吸をしているのか空気の流れを感じ取ることができる。


 源九郎は長老にまだ息があることにほっとしつつも、しかし、彼の傷が深いことも理解して表情を曇らせていた。

 仰向けに寝かせたことで、袈裟切けさぎりにされた長老の傷があらわになったからだ。


 切り口は鋭く、深い。

 よく手入れされた刃渡りの長い刃物で、その使い方を熟知した者がつけた傷なのだろう。


 おそらく、この深さであれば身体の表面の皮膚や肉を斬っただけにはとどまらず、その傷は骨にまで達し、さらにその奥にまで届いているおそれがある。


 設備の整った病院で今すぐに治療を受けることができるのなら、助かる可能性はあっただろう。

 だが、この場所に、次の冬を越せるかどうかと心配しなければならないような貧しい村に、そんなものがあるはずがない。

 そもそもこの村には、病院どころか、医療知識のある者さえいないのだ。


「長老さん、しっかり!

 村の外に出ましたよ!

 きっと、助かりますから、頑張って! 」


 しかし源九郎は、黙って長老が死を迎えるのを見ているつもりはなかった。

 彼は意識のない長老にそう声をかけると、上着を脱ぎ、その傷口に当ててできるだけ止血しようとする。


 長老がわずかにうめき声を漏らしたのは、源九郎が半ば羽織を脱ぎかけた時だった。


「長老さんっ!? 」


 源九郎が急いで呼びかけながら顔を長老に近づけると、長老はうっすらと双眸そうぼうを開き、そして、目の前にサムライの姿があることを認識した様だった。


「ぁ……、ぁあ、旅のお人……。


 オラが、オラが……、間違っとっただ……」


 そして長老は、その目尻にわずかに涙をにじませながら、深い後悔の感情が込められた言葉をらす。


 長老は、生きている。

 そのことを実感した源九郎は慌てて羽織を脱ぎ捨て、長老の傷口に当てようとしたが、しかしその行動は途中で遮られた。


「旅の……、お人ォ……!


 源九郎、様ぁっ! 」


 長老が、まるで最後の力を振り絞るようなかすれた声を発しながら、その手で、瀕死の重傷者とは思えないほどの強い力で、服を脱ごうとしていた源九郎の手をつかんだからだった。

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