・1-41 第56話 「焼け落ちる村:1」

 その森は、源九郎がこれまで立ち入ったことのない場所であり、少し分け入るとどちらに向かえばいいのかわからなくなってしまうほどに深いものだった。

 しかし、源九郎は迷わずに駆け続けることができた。


 燃え盛る炎から立ち上る、煙の臭い。

 それが村の方からただよって来る物が焼け焦げる不快で不穏な臭いが、源九郎に進むべき方角を教えてくれる。


 やがて、森が途切れた。

 源九郎は、村人たちが少ない人手をかき集めて必死に耕していた畑に出る。


 この畑に、作物を実らせるために。

 自分たち自身の力で、この地に息づいていくために。

 長老はたった1人で野盗たちと対峙し、そしておそらくは今、燃え盛る炎の中にいる。


 視界が開けたおかげと、距離が近くなったおかげで、村の様子がはっきりと見て取れた。

 すでに多くの家屋で屋根にまで火が回り始め、炎はより一層激しさを増し、土壁でさえその熱によってボロボロにして焼き崩してしまうほど強くなっている。


「長老さん!

 長老さーんッ! 」


 源九郎は、村に向かって必死に走りながら、声を張りあげる。

 もし長老が無事ならこの声に気づいて応えてくれるはずだった。


 しかし、返事は返ってこない。


(まさか、長老さん、野盗どもに……! )


 源九郎の中で、不吉な予感がふくらんで来る。

 交渉が決裂し、村を野盗が焼き払ったのなら、長老が斬られていてもおかしくはなかった。


 もう、村は間近なところにある。

 燃え盛る炎のゴウゴウという音、家屋がガラガラと焼け崩れる音が村のあちこちから聞こえ、恐怖心を呼び覚ます。


 源九郎は村の中央広場へと続く道を前にして、一瞬、立ち止まった。


 野盗たちはすでに村を後にした様子だったが、長老が村から脱出した気配はなかった。

 だからおそらくは、長老はこの炎の中で息絶えてしまっているか、身動きのできない状態にあるのだろう。


 このまま助けに行くことができるのか。

 源九郎は思わず躊躇ちゅうちょしてしまっていた。

 それだけ炎の勢いは強く、さして広くもない村の通りを、耐火服を着ているわけでもないのに進んで行ってしまっては、前後左右から炎にあぶられて源九郎も焼け死んでしまうかもしれなかった。


 長老は、もう死んでいるのに違いない。

 だから、今さら助けに向かったことでもう遅い。

 そんな思いが、心の中をよぎる。


「行くぞ!

 行くぞ行くぞ行くぞ、俺は、行くぞッ! 」


 だが源九郎は自分に気合を入れるようにそう叫ぶと、両手で頬をバシンとはたき、燃え盛る村の中に駆けこんだ。


 自分の目で、長老の安否を確認するまでは引き下がれない。

 そう決意した源九郎は、炎の中を駆けていく。


村に入った途端、左右からすさまじい熱気が襲って来る。

 吹き出してくる汗はすぐさま蒸発していき、服は最強にしたドライヤーを間近に浴びているように思えるほど熱くなり、渦巻くような煙と熱で呼吸もうまくできない。

 肌がむき出しの場所はオーブントースターの中ってきっとこんな感じなんだろうなと思えるほどで、髪がチリチリと焦げるような感覚があった。


 その中を、源九郎は駆け抜ける。

 服のそでで口元を覆い、なるべく息をしないようにしながら、村の中央の広場に向かって駆けていく。


 やがて源九郎は、地面に倒れ伏した長老の姿を見つけていた。


「うわっアチチッ!


 長老さんっ! 」


 ちょうど近くで建物が焼け落ちたことに怯みながらも、源九郎は勇気を振り絞って長老に駆けよった。


 長老は、うつぶせに倒れ伏している。

 まだその顔は見えなかったが、しかし、源九郎は長老がおそらくは瀕死の状態にあるだろうことを瞬時に理解していた。


 なぜなら、倒れている長老の周囲には血だまりがあり、彼から流れ出た血で、かすれた筆で引いたような1本線が地面に描かれていたからだ。


 血で作られた、おそらくは負傷した長老が気力を振り絞っていずったことによってできた跡は、村の中心になっている広場から10メートルほども続いている。

 おそらく長老は広場の辺りで野盗たちに斬られ、ここまで這いずって来たのに違いなかった。


「長老さん、しっかり!

 しっかりしてください! 」


 源九郎は灼熱の中にいるのに背筋がすっと寒くなったような嫌な感覚を覚えながら、しゃがみこんで長老の身体に手を添えた。


 まだ、暖かい。

 周囲で燃え盛る炎のせいかもしれなかったが、源九郎は希望を持つことにした。


「長老さん、長老さん!

 どこをやられたんですか!? 立てますかっ!?

 早く、逃げないといけないんです! 」


 長老はまだ生きている。

 源九郎はその可能性に賭け、耳元で声を張りあげた。


 しかし、長老は反応しない。

 意識を失っているようだ。


 源九郎は口元を服のそでで覆いながら、素早く周囲を確認する。

 炎の勢いは増すばかりで、このままでは源九郎も焼け死ぬことは確実だと思えた。


 逃げ出さなければ、自分も死ぬ。

 すでに1度命を失ったことのある源九郎だったが、焼死という死因は、想像するだけでも恐ろしいものだった。


 熱によって、肌の上からこんがりと、段々と自分の身体に火が通って行くのを感じながら息絶えるか。

 それとも、熱気を吸い込んだことで灰を焼かれ、呼吸困難になって死ぬか。


 いずれにしろ、体験したくない死に方だ。


 源九郎は、今すぐこの場から逃げ出した衝動に駆られた。

 だが、すぐに長老のことを見おろすと、なにかを決意したように唇を引き結ぶ。


 そして源九郎は、長老を担ぎ上げると、村の外に向かって全速力で駆け出していた。

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