・1-35 第50話 「朝:1」

 村人たちは長老の指導の下、翌朝やってくる野盗たちを迎えるための準備を急いで進めていった。


 村の命をつなぐために、作物の種を最低半分は残す。

 その要求は、自らの命に代えて飲ませる。


 長老のこの方針には内心で反対している村人も多かったが、しかし、結局はみなが従った。


 たとえ源九郎がいるのだとしても、野盗たちと戦えば村人に大きな犠牲が出る。

 そんな事態は、できることならば避けた方がいい。


 取れる選択があるのなら、まずはそれを試してからにするべきだ。

 戦うのは、それからでもできる。


 その長老の言葉に、野盗たちにこれ以上従い続けるのをよしとしない人々も黙って長老に協力した。

 野盗たちに反抗するための旗頭となるべき源九郎が眠らされてしまっていては、村人たちだけではどう考えても勝算などないからだった。


 中には、「長老様が死ぬこたぁねぇ。代わりに、おいらが……っ! 」と申し出て来る者もいた。

 しかし長老はそういった申し出はすべて、やんわりと、だが断固として断った。


「この村で一番年長なんは、オラだ。


 世の中のもんはみんな、年寄りから先に死ぬ。

 んだから、オラが死んだとしても、それは自然な順番だっぺ。

それをわざわざ曲げるこたぁ、ねぇ」


 誰だって、命は惜しい。

 だから、長老のその断固とした態度を前にすると、決心が鈍り、皆が引き下がっていった。


 やがて村の中央の広場には、村が存続し続けるために残していた作物の種がぎっしり詰まった麻袋が積まれていた。

 野盗たちは村のすべての種を差し出せと要求してきたが、長老が用意したのは彼の考え通りに、要求の半分だけだ。


 半分とはいっても、元の分母が大きいので結構な量がある。

 統治者たちから強制的に徴収される税金を支払うのに必要な分と、さらに来年植える分の種を収穫から用意しなければならないので、種だけでも相当な数が必要なのだ。


 村人たちが植えている作物は、主に燕麦などだ。

 乾燥して保存し、かゆなどにして食べている。


 だが、その収穫量は限られている。

 1粒の種を植えても、そこから収穫できる穀物はほんの数粒にしかならない。

 もし源九郎がこの村の実りの季節を目の当りにしたら、そのあまりの貧しさに驚くだろう。


 現代の日本で栽培されている主要な穀物である稲は、元々穀物の中では収穫の多い部類であっただけではなく、長年に渡ってくり返されてきた品種改良の結果、稲穂の重さでくきが折れることもあるほどたくさんの実りをもたらすようになったものだ。

 その品種改良が加えられる以前は、1粒の種から得られる収穫は限られている。


 栽培効率が悪いために、多くの収穫を得るためには広大な土地が必要で、かつ、種もたくさん要る。

 だから半分でも、野盗たちが長い間暮らして行けるだけの量があった。


 残りの半分の種は、村人たちが近くにある洞窟どうくつへと運び込んでいった。

 長老に薬を盛られてすっかり眠り込んでしまった源九郎も一緒だ。


 その洞窟どうくつは、村から外れた森の中にある。

 野盗たちもまだ気がついていない、村人たちだけが知っている場所だ。


 もし、村が何者かに襲われ、あるいは自然災害などで大きな被害を受けた時。

 この洞窟どうくつは、そういった時に生き延び、村を再建するための元手を安全に隠しておくために使われている。


 入り口は深い森の中にぽっかりと開いている縦穴で、木々の根っこにまぎれていて簡単には見つからない。

 人が1人通り抜けられるだけの穴から中に降りると横に空間が広がっていて、100人程度が隠れられる奥行きと、必要なモノを蓄えておけるだけの場所がある。


 長い間、村の安全な避難所として使われて来たのだろう。洞窟どうくつの中にはけっこう、人の手が加えられている。

 内部は岩肌がむき出しになっていたが、使いやすいようにその表面は削られ、人間が道具を使って加工を施したらしい痕跡こんせきが残っている。

 中には、テーブルやイスとして使えるように形を整えたものも、物を置いておくための棚として使えるようにされたものもある。


 そこに、村人たちは野盗たちに差し出さない半分の種と、村に残されていた物の中で持ち込める財産をすべて運び込んだ。

 村にとって唯一の家畜となっていた馬のサシャも、馬小屋から連れ出されてやって来ている。

 ただし、入り口が狭くてサシャを中に入れることはできないため、洞窟どうくつの側、森の外からは見えない場所につながれ、鳴き声で見つかることのないようにさるぐつわもかまされていた。


 もちろん、この洞窟どうくつに逃げ込んできたのは、人間もだ。

 村に残っていた長老を除いた人々が次々と狭い入り口をくぐり抜けていき、源九郎も運び込まれて、旅荷物と一緒に洞窟どうくつの奥に積まれた種の麻袋の上に寝かされた。


 長老の交渉が成功するのなら、それでよい。

 だが、もしも失敗に終わったのなら、村人たちはこの場所を最後の拠点として、野盗たちと戦うつもりだった。


 村に残ったのは、ただ1人だけ。

 長老だけだ。


「ああ……、明るくなってきただな」


 長老は、村の中央の広場に積み上げられた種の前で、杖を突いて立ちながら、段々と明るくなり始めた空を見上げていた。


 もう季節は春だったが、朝は寒く、息が白くなるほどだ。

 しかし、長老の周囲には明かりと暖を取るためのたき火があり、凍えずに済んでいる。


 長老はそれから、ゆっくりと村を見渡した。

 自分以外の者がみな避難してしまったから、村はまるで廃村のようで、不気味だ。


 しかし、そこは紛れもなく、長老の村だった。

 長老が生まれ育ち、大人になり、老人になるまで生きてきた場所だ。


「この村を、終わらせるわけにはいかねぇ」


 長老は重々しい口調で、そう呟く。


 やがて道の先から、複数の馬のひづめの音が響いてくる。

 野盗たちが村に戻ってきたのだ。

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