・1-34 第49話 「朝が来るまでに」

 令和のサムライ、立花 源九郎。

 異世界に転生し、意気揚々と旅を始めたその男は、今、一服盛られて、深い眠りについている。


 盛られたのは、猟師たちがクマなどの危険な野生動物や、大型で通常の狩猟方法では狩ることが困難な獲物を捕らえるために使う薬だった。

 そしてその薬は、人間にも効果があることが知られている。


 もし源九郎が、そういう薬がある、と知っていれば、においをかいだ時にすぐに気がついていただろう。

 ワインの香りに隠れてはいたが、その薬には独特の臭気があるし、味にも変化が生じるからだ。


 しかし、源九郎は気づかなかった。

 そういう薬があるということをそもそも知らなかったし、一服盛られるなど、そんなことが起こるとは想像もしていなかったせいだ。


「長老さま……。

 おさむれーさまを、どうするんだべか? 」


 寝入ってしまった源九郎を心配そうに見つめていたフィーナが、恐る恐る、長老にたずねる。


 彼女は、長老が持って来いと言った酒に、薬が盛られていることを知っていた。

 なぜなら人間が飲むための酒は野盗たちが持って行ってしまったためにこの村には1滴も残っておらず、あるものと言えば、猟師が狩猟のために用意していた薬入りだけだったからだ。


 フィーナは源九郎に、その酒を飲めば眠ってしまうと教えることをしなかった。

 薬の効果は本当に眠らせるだけで身体に害がないことは知っていたし、まさか、長老が源九郎を野盗たちに売り渡すようなことはないだろうと思っていたからだ。


 それでも、いざ、源九郎が眠ってしまうと、不安になってくる。

 起きている時はあれだけ強く、頼りがいがあったのに、彼は今、ぐー、ごー、と、本当に酩酊めいていして寝落ちしてしまった時のようにいびきをたてながら、よだれを垂らしてだらしなく、隙だらけに眠ってしまっているからだ。


「心配すんな、フィーナ。

 このお人は、おめぇを助けてくださった恩人だし、なにより、聖人様みてぇに、優しいお人だ。


 ちょっと、お人好しすぎんのが、心配なところだけんどな」


 フィーナのことを振り返った長老は、彼女を安心させるために微笑んで見せる。


「明日、オラが野盗どもと話しをつける間、旅のお人には森の中の洞窟どうくつにでもいてもらうべ。


 そして、交渉がうまくいっとったら、お目覚めになった後に無事に旅立ってもらえばええ。

 薬を盛っちまったおびと、おめぇんことを助けてくださったお礼に、洞窟どうくつに隠してある村の最後の財産も、持てるだけ持って行ってもらえ。

 大したもんは、残ってねぇがな……、その分、旅の邪魔にはなんねぇだろう。


 もし、交渉が不成立だったら、そん時は……、あらためて村のことを頼んでみてくれや。

 こんなことしといて頼めたことじゃねぇだろうが、なぁに、このお人なら、分かってくださるだろうでよ」


 長老の言葉に、フィーナはこくん、とうなずく。


 少し言い方は悪いが、源九郎はなにも疑わずに薬の入った酒を飲み干してしまうほどのお人好しなのだ。

 目覚めた時、交渉が不成立に終わり、村が生き延びるためには野盗たちと戦うしかないとなった時には、きっと力を貸してくれるだろう。


(けんど……、長老さまは……)


 しかし、その時に長老は、おそらくもういない。

 交渉が大成功に終われば野盗たちは作物の種の半分を奪っていくだけで長老は無事で済むかもしれなかったが、その可能性は低いだろう。

 部下でさえあっさりと首をねてしまう、冷酷な頭領なのだ。


 うまくいっても長老は殺されてしまうだろうし、失敗すればもちろん、命はない。


「なぁに、心配すんな、フィーナ。

 村のことは、オラがなんとかしてやっからよ」


 心配そうなフィーナを元気づけるように、長老は笑って見せる。

 そしてイスから立ち上がり、杖を突きながらフィーナのところへ行くと、手をのばし、優しくフィーナの頭の上に手を置いた。


 フィーナは大人しく頭をなでられる。

 逃げ出すことも、避けることもなく、むしろ自分から長老の手の感触を追い求めるかのように、少し背伸びをしながら。


「フィーナ。おめぇは、他の村の集と、子供らと一緒に、旅のお人と洞窟どうくつに隠れていてくんろ」


 長老はフィーナをなでてやる手を止めずに、優しい声で言う。


「オラは、種の半分さ持って、それで勘弁してくれって、野盗どもと話してみるだよ。

 オラの首1つで村を守れるんなら、本望だべ。


 大丈夫だ、フィーナ。

 おめぇのことは、他の村の者にしっかり頼んでおくべ。


 なんなら、もし旅のお人がそれでもええって言うんなら、旅のお人について行ってもかまわねぇだ。

 この人ならおめぇのこと大切にしてくれるだろうし、もしかしたら、この村よりもええところを見つけられるかもしんねぇ」


「長老さまっ、変なこと、言わねぇでくんろ!

 おらは、この村の子だべっ」


 長老の言葉に、フィーナは少しだけ怒って言う。


「ははっ、わかっとるだよ、フィーナ。

 おめぇはオラたちの……、オラの、大事な子だべ」


 長老は少しだけ笑うと頭をなでていた手を放し、そして、フィーナがなにかを言う前にきびすを返した。


「朝まで、そんなに時間はねぇ。


 今のうちに村のもんたちに言って、明日の準備をしとかねぇとな。

 持てるもんは根こそぎ持って、洞窟どうくつに隠れてもらわにゃ」


 そしてそう言うと、長老は杖を突きながら家を出て行ってしまう。


 後には、テーブルの上に突っ伏して眠っている源九郎と、ぽつんと立ったままのフィーナが残される。


「……そうだべ。

 おらは、この村の子なんだべ」


 その、自分以外には誰も声を聞く者のいない空間で、ぎゅっ、と強く両手の拳を握りしめたフィーナは、小さな声でそう言って、なにかを決意したようにうなずいていた。

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