・1-33 第48話 「酒」

 長老から酒を勧められたものの、源九郎は一瞬、それを手に取ることを躊躇ちゅうちょする。

 いくら量が少ないからとはいえ、自分だけ酒を飲む、というのは気が引けたからだ。


「えっと……、それじゃぁ……」


 だが、源九郎はすぐに気を取り直して、コップを手に取っていた。

 勧められた以上、それを断るのも申し訳が立たないと思ったからだ。


 自家製のワインからしているのは、いい匂いだけではなかった。

 うまく形容することができないが、雑味というか、不快さを感じさせるようなものも、かすかに混ざっている。


 しかし、あまり気になるほどのものでもなかった。

 これは村人が山ブドウの実を集めて来て作ったものであり、源九郎が飲んだことがあるような、専門の知識を持った人々が専用の設備のあるワイナリーや工場で作った酒ではないからだ。


 不純物も含んでいるだろうし、その製造過程や保存方法も、ワインにとって適したものではなかったのかもしれない。

 だとすれば、多少かぎなれない臭いが混ざっていても、不思議ではない。


「いただきます」


 源九郎はそう言うと、コップを口元に運び、ぐいっ、と一気に飲み干す。

 味は少し変ではあったが、確かにアルコールの成分を感じるもので、十分に飲めるものだった。


「さ、もう一杯、飲んでくろ」


 とんっ、とテーブルの上にコップを置くと、すかさず長老は2杯目を注ぐ。

 それで酒はお終いで、長老が容器を逆さにして振っても、1滴も出て来なくなった。


「そんな、俺だけいただくんじゃ……」


「さぁ、さぁ、オラのことは気にせんで飲んでくだせぇ。

 オラはこの年だで、酒はもう、飲まんのですよ」


 さすがに自分だけで全部飲んでしまうのはどうなのか、と源九郎は遠慮したが、長老はやや強引に勧めて来る。

 仕方なく、源九郎は2杯目の酒も飲み干すこととなった。


「旅のお人。

 ほんに、アンタはいいお人だで。


 少し、心配になっちまうくらいだ」


 酒を飲み干し、コップをテーブルの上に戻した源九郎に、長老はしみじみと実感したような口調でそう言った。


「そうです、俺は、正義の味方……、そうなりたいんです」


 アルコールが入ったからか、源九郎はやや饒舌じょうぜつになって言う。


「だから、長老さん。

 遠慮なんかしないで、俺に頼ってください!


 確かに、俺1人であの野盗どもを全員倒しちまうのは、難しいだろうって思いますよ。

 相手にはあの騎士崩れの頭領もいますし、弓だってある。


 だけど、そんなのは関係ないんだ!

 俺は、アンタたち村の人を、放っておくなんてできねぇんだ! 」


 すでに、お互いに頭ではなぜ自分たちの意見が対立しているかは理解できている。

 だから後は、気持ちの問題だ。

 なにも知らない他人ではなく、自分たちの問題を解決するためになんの隔たりも作らずに協力できる、そういう信頼関係を築けるかどうかだ。


 源九郎は、酔いに任せて自身の本音をぶちまける。


 しかし、すぐに異変に気がつくこととなった。


「ア……、あれ……」


 源九郎は言葉を続けようとして、自身の視界がグルグルと回っていることに気がついていた。

 まるで、深酒をして酩酊めいていしてしまった時のような感覚だ。


(そんな……、たったの、2杯で? )


 源九郎は回る視界の中で、歪んで見えるコップへ意識を向ける。


 ワインは、日本酒よりは小さいものの、ビールなどの倍近い、10パーセント以上のアルコール度数を持つ酒だった。

 それなのに香りがよくて飲みやすいものだから、考えずにガバガバ飲んでいると、すぐに深く酔っぱらってしまう。


 だが、源九郎が飲んだのは、たったの2杯だけ。

 それも小さなコップで、日本酒で言えば1合、180ミリリットルもない程度だ。

 ビールの350ミリリットル缶を1本あけたのよりも少し多いくらいのアルコールを摂取した計算になる。


 普段の源九郎なら、ほろ酔い、少し気分がいい程度の酔い具合になるはずだ。


 それなのに源九郎は、酩酊めいていしてしまっていた。

 目が回るだけではなく、身体の三半規管もバカになってしまってイスにまっすぐ座っていることもできなくなり、思わずテーブルの上に突っ伏してしまうほどだった。


「……すまねぇだ、旅のお人」


 そんな源九郎に、長老は静かに言う。

 突然、酩酊めいていしてしまってテーブルに倒れこんだ源九郎の姿を見ても、まったく動揺したり驚いたりしていない様子だった。


 まるで、こうなることを知っていたかのように。


「あんたのお気持ちは、本当に、嬉しかっただ。

 だけんど、やっぱりアンタを頼るわけにはいかねぇだよ」


 源九郎はもう、意識を保っているのでもやっとだった。

 必死にまぶたを開き、途切れそうになる思考をつなぎとめている。


 そんな源九郎に、長老は申し訳なさそうに言う。


わりぃけんど、旅のお人、アンタには少し眠っていてもらうだ。

 大丈夫、明日の昼前、オラたちが野盗どもと話しつけるまでには、すっきり、気分良く目が覚めるだよ。


 フィーナの恩人であるあんたを、野盗どもに売り渡すようなことはしねぇだ。

 でもな、アンタがいると、村の一部のもんが、血気にはやるかもしんねぇんだ。


 オラはな、旅のお人。

 アンタにも、村のもんにも、誰1人、傷ついて欲しくねぇんだ。


 野盗どもと戦うにしろ、それは、明日、話し合ってみてからでいいべ。

 そんでもし、話し合いがうまくいけば、死ぬんはオラ1人で済む。


 んだから、旅のお人……、すまねぇだ。本当に」


 源九郎も村人も、誰1人として傷つけたくない。

 だから源九郎にはひとまず眠ってもらって、血気にはやる村人が拠り所として担ぎ上げることを防ぎたい。


 長老はそういう思惑で、一服盛ったのだ。


 源九郎は、自分の愚かしさを呪った。

 もし村に酒があったのなら、源九郎を歓迎するための宴の席に出てこないはずがなかったのに、今さら酒が出てきたことの不自然さをまずは疑うべきだったのだ。


 そして、長老が「誰も失いたくない」と言う言葉の中に、長老自身が含まれていないことにも、間違っていると言いたかった。

 長老を頼りにしている村人たちや、まだ1人立ちできないフィーナを残していくという選択は、するべきではないのだ。


 だが、源九郎はなにも言えなかった。

 ワインに盛られた薬の力は強く、源九郎を容赦なく、深い眠りの底へと引きずり込んでしまったからだ。

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