:第1章 「令和のサムライと村娘、そしてとある村の運命」

・1-1 第16話 「殺陣を極めたおっさん、異世界に行く:1」

 立花 源九郎は、形のない、あやふやだった自分という存在が一瞬の間に実体を持ち、精神、魂だけの存在から、肉体を持った1人の人間となった感覚を覚えていた。

 そして肉体を得るのと同時に、失っていた五感も戻ってくる。


 まず感じたのは、閉じたまぶたを通しても伝わってくる、燦々(さんさん)と輝く太陽から降り注ぐ陽光。

 次に、なでるようにそよそよと吹き抜けていく、柔らかく、暖かな風だ。


 風に乗って、若草の鮮烈さを持った香りがする。

 同時に、風と共に周囲で若草がさわさわと揺れ動き、身体に触れる感覚がする。

 少し意識を集中すると、その若草のいい香りの中に、土のにおいも混じっていることに気がつくことができた。


 源九郎は、草原にいる。

 豊かな森の中に、木材を伐採したためにぽっかりとできた空き地にできた日当たりの良い場所で、源九郎は仰向けに寝転んでいた。


 ゆっくりと、目を開く。

 すると、目の前には雲一つない、宇宙の黒ささえ透けて見えるように透明な青空が広がっていた。


 もしかすると、今までのことはすべて、死にゆく田中 賢二という人間が見た、幻想だったのではないか。

 まぶたを開くまでそんな不安をほんの少しだけだが持っていた源九郎は、これが実際に起こっている現実なのだと理解すると、ガバッ、と勢いよく上体を起こした。


 きょろきょろと、周囲の景色を見回してみる。

 すると、あたりに見えているのは自然物ばかりで、源九郎が賢二として暮らしていた街を思わせるような景色はどこにもない。


 というか、そもそも人の気配すらなかった。


 そこにあるのは、自分以外はみな、自然の草木や、虫や、動物たちだけ。

 美しい模様の羽をひらひらとさせながら蝶々がのんびりと舞っており、空には雀みたいな小鳥が群れで飛んでいき、少し離れた、森と草原の境目になっている辺りでは、数頭の鹿らしい生き物が美味しそうに若草を食んでいる。


 山の中、というほど起伏の激しい地形の中にいるわけではなかったが、源九郎はかつて自分が山籠もりしていた時のことを思い出す。

 あの時も人の気配を感じなかったが、今も、この場にいる人間は自分だけだった。


 周囲の景色が、病院のベッドから見上げるものでも、賢二が刺殺された現場から見えるものでもないことを確認した源九郎は、それから、ゆっくりと自身の両手を顔の高さまで持ち上げる。


 源九郎は、裸ではなく、きちんと服を身に着けていた。

 それは普段は着ることのない衣服だったが、しかし、源九郎には着慣れた感覚のする衣服だった。


 無地の紺色に近い灰色の生地で作られた羽織にはかま

 顔を少しうつむけて見ただけではわからないが、感触から言って、羽織の下には襦袢じゅばんと呼ばれる肌着も身に着けているようだ。

 そして、ふんどしもしっかりと巻かれているようだったし、おそらく、足袋たび草鞋わらじも履いている。


 それは、撮影の際に源九郎が身に着けていたものとまったく同じ衣装だった。

 どうやら神と名乗った白い光の塊は、源九郎を異世界へと転生させる際に、源九郎の望み通り、[サムライ]としての姿を与えてくれた様子だった。


 それから源九郎は、自身の顔の高さにまで持ち上げていた自身の両手を、ゆっくりと握って見せる。


 すると、源九郎の両手は、なんの問題もなく握り拳を作る。

 握っては、開く。

 その動作を何度もくり返し、その動きを徐々に早めて行ったが、何度やっても、源九郎の手はきちんと握って開いてをくり返すことができた。



 左手にあった、麻痺まひ

 田中 賢二という人間から夢を奪い去ったそれは、完全に消滅していた。


「信じ、られねぇ……。

 ほ、本当に……? 」


 源九郎は、自身の手の平を食い入るように凝視しながら、震える声でそう呟いた。


 こんな手の込んだことをして、賢二を驚かそうとする人間など、誰もいないだろう。

 だとすれば、賢二は間違いなく、転生したのだ。


 田中 賢二という中年のおっさんではなく、立花 源九郎という、[サムライ]として。


『賢二……、いえ、源九郎。

 いかがでしょうか? 』


 源九郎が半ば呆然としていると、すぐ近くに、そんな言葉と共に神があらわれる。

 精神だけの世界で感じた時と同じように、その神は、バスケットボールくらいの大きさの白い光の集まりとして賢二の前に姿をあらわしていた。


『源九郎、あなたの要望には、できるかぎり応えさせていただきました。


 田中 賢二……、いえ、立花 源九郎として。

 あなたの肉体をそっくりそのまま、再現させていただきました。


 いかがです? 違和感などは、ありませんよね? 』


 そう問われた源九郎は、半ば呆然としたままだったが立ち上がり、腕をいろんな角度に動かしてみたい、身体を軽くひねってみたり、その場で足踏みをしてみたりする。


 なんの違和感もない。

 源九郎の身体は、まったく狂いなく忠実に、再現されていた。


「ああ……、ああ!


 全然、どこも、おかしなところはねぇ! 」


 呆然としたままだった源九郎の心の中で、どんどん、喜びの感情が膨れ上がっていく。

 そして、限界までふくらんだその感情を、源九郎は爆発させていた。


 ぴょん、と1度ジャンプし、着地するときには両手と両足を大きく広げ、天に顔を向けていく。


 そして源九郎は、まなじりに歓喜の涙を浮かべながら、叫ぶ。


「俺は、生まれ変わったぞーッ!!! 」

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