・0-14 第14話 「それは、神と名乗った」

 田中 賢二という人間は、死んだ。

 そのはずだった。


 しかし、賢二はまだ、完全に消滅したわけではなかった。


(あれ……? ここ、どこだ……? )


 自分は、間違いなく死んだはずだ。

 混濁こんだくとした意識の中でそのことを思い出した賢二は、怪訝けげんに思って、周囲を見回そうとする。


 だが、なんの変化も起こらない。

 それも当然、賢二はすでに肉体を失った存在だったからだ。


 そこにあるのは、ただ、永遠に続くかと思われるような無、それだけ。

 その虚無の中で、賢二の意識だけがぽつんと存在している。


(もしかして……、これが、死後の世界って、奴か? )


 賢二は、生きている間は死後の世界があるとは思っていなかった。

 天国とか極楽とか、地獄とか煉獄とか、そういった概念が存在していることは一般常識として知っていたが、それが実際に存在すると考えたことは一度もない。


 その虚無の世界は、しかし、聞いたことのあるどんな[死後の世界]とも違っていた。

 イエス・キリストも、お釈迦しゃか様も、そこにはいない。

 怖い顔をした閻魔大王も、いない。


 あるのはただ、無、それだけ。

 無があるというのはそれだけで矛盾した言葉だったが、賢二にはそれ以外に表現のしようもなかった。


(参ったな……。ずっとこんな場所にいるんじゃ、たまらないぜ)


 賢二は、つまらない気持ちになって、早く天国や極楽、そうでなければ地獄や煉獄でもいいから、とにかくこのなにもない場所からどこかへ移りたいと思った。

 死んでしまったからといって、これからずっとこんな場所にいるのでは、それこそ、地獄の方がマシだとさえ思えるほど、退屈そうだったからだ。


『ここは、あなたが思っているような、死後の世界ではありませんよ』


 その時、唐突に、賢二の混濁こんだくとした意識の中に、白い光が広がった。


 そしてその光は、穏やかな美しい女性の声で、賢二にそう言う。


(えっ? えっと、どちら様で……?

 イエス・キリスト様は?

 お釈迦様は? )


 その唐突にあらわれた自分以外の存在に、賢二は戸惑いながらたずねる。

 すると、その光から発せられているとしか思えない声は、くすり、と小さく笑った。


『イエスとシッダールダなら、下界でバカンス中ですよ。


 わたくしは、そう……、神と呼ばれる存在です』


(ぅえっ!? か、神様!?

 えっと、……いったい、どちらの神様で……? )


 この世界にはいくつもの宗教があったし、賢二が暮らしていた日本にはそれこそ、八百万やおよろずの神が存在していると言われている。

 神と名乗られても、賢二は戸惑うしかなかった。


わたくしは、あなたが生きていた世界の神ではありません。


 あなた方が異世界と呼ぶ世界の神なのです』


(い、異世界、だって……? )


 賢二は、おそらく肉体があればその顔にきょとんとした表情を浮かべていただろう。


 異世界の、神。

 白い光はそう名乗った。


 という、ことは。

 賢二は急速に、現在自分に起こっていることを理解する。


(これって、もしかして……、今、流行ってる異世界転生ってやつ!? )


 殺陣たてを極めて、自分の理想の生き方をする存在になりたい。

 そう願い、その夢のためにわき目もふらずに走り続けてきた賢二だったが、本を読むことくらいある。

 特に何年も前に開設されたWEB小説投稿サイトなどでは、気軽に様々な作者が書いた本を読むことができるから、賢二も時々利用していた。


 そのWEB小説で、昔から流行っているのがいわゆる転生モノという奴だ。

 そして、目の前にあらわれた白い光が、自分は異世界の神だなどと名乗ったのだから、賢二には空想が現実になったのだと思えたのだ。


(はっ、はははっ! こりゃ、おもしれーや! )


 しかし賢二は、次の瞬間には笑ってしまっていた。

 これは、死にゆく自分が最後に見ている、あり得ない空想の類だと思ったからだった。


『これは、あなたの空想などではありませんよ』


 神と名乗った白い光は、そんな賢二の考えを見透かしたように、言う。


わたくしは、異世界の神。


 田中 賢二、わたくしはたまたま、あなたのことを見つけました。

 そして、あなたの死に様を、哀れに思いました。


 信じていた友人に夢を断たれ、今度は命までも奪われた。

 賢二よ、あなたに落ち度がまったくないとは申せませんが、その運命は、わたくしが同情するのに十分なものです。


 ですから……、あなたに、やり直す機会を差し上げましょう』


(俺に、やり直す、チャンスを……? )


 もし、賢二に肉体があったら、賢二はゴクリと喉を鳴らしながら唾を飲み込んでいたことだろう。


 賢二は未だに、自分に起きようとしていることを信じられずにいた。

 なぜなら、異世界に転生することなど物語の中だけのことだと、そんな風にずっと考えてきていたし、実際にそう言ったことがあり得るにしろ、自分にそのチャンスが巡って来るとは思っても見なかったのだ。


 もしも、これが、本当のことなら。

 自分が異世界に転生して、新しい人生を歩むことができるのなら。


 それは、あまりにも魅力的な出来事だった。

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