戦士への道
ティルヤが丘の上へと通ってくるようになってから、二年が経とうとしていた。
その日、クラウスは剣を持ったティルヤと対峙していた。
「いいぞ、斬りつけてこい」
その言葉を聞いたティルヤは、戸惑ったような表情を浮かべ、クラウスとアディメイムに交互に視線を送る。
「どうした?」
「その……本当にいいのか?」
「もちろんだ。知ってるだろ? 俺らからすればこの程度は何とも無い。遠慮するな」
クラウスはそう言って笑みを浮かべ、斬りかかってくるように促すが、ティルヤはなおもその表情に
今ティルヤが手にしているのは木剣では無い。
彼は今真剣……クドゥリサルをその手に握っている。
クラウスは、それで自分に斬りつけて来るようにとティルヤに指示を出した。
自身の左腕を前に出し、それを切り落として見せろと、ティルヤには伝えている。
クラウスは斬りつけられたとしても死ぬことは無い。
そのことをティルヤも理解しているが、それでも躊躇いがあるのだろう。
だが戦士になるのであれば、人を斬る……そして殺すという事に慣れる必要がある。
「まあ……まだ迷いがあるのは仕方無いがな。いずれ慣れなきゃいけないんだ。わずかだとしても迷いがあれば実戦では命取りになる。今のうちに少しでも慣れておけ」
クラウスの言葉を聞いたティルヤはしばらく俯いてじっとしていたが、やがて顔を上げ、剣を構えて短く息を吐いた。
次の瞬間、鋭く前方へと踏み込み、剣を振り下ろしてくる。
クラウスはその剣を左の前腕部で受け止めた。
振り下ろされた刃はクラウスの腕のある場所を通り抜け、切り落とされた腕が地に落ちる。
激痛が走るが、すぐにそれも和らぎ、消える。
ティルヤの振るった剣はクラウスの左腕を見事に切り落としていた。
クラウスの腕は一瞬で元通りになっていたが、足元には先程切り落とされた腕が転がっている。
クラウスはその左腕を掴み、そのまま遠くに向かって放り投げた。
するとすぐに大型の
アディメイムとの鍛錬の最中に、腕を切り落とされたりする事は何度もあった。
いつ頃からか、この近くにはそれを狙う肉食の鳥がよくやって来る様になっていた。
「大丈夫なのか?」
不安気な表情を浮かべ尋ねてくるティルヤにクラウスは笑みを返し、先程切り落とされ、すぐに再生した手を何度も握ったり開いたりして見せる。
「見ての通りだ。何も心配しなくていい」
その言葉にティルヤは苦笑を浮かべ、溜息をつく。
その様子を見ながら、クラウスはアディメイムに視線を向ける。
アディメイムは笑みを浮かべ、頷きを返す。
「ティルヤ。まだ狩りをしたことは無いんだよな?」
「ああ、無い」
「じゃあ、今から狩りに行くぞ」
「今から?」
「そうだ」
そうして三人は、いつもの丘から少し離れた場所にある草原に来ていた。
アディメイムがそこで額に角の生えたウサギのような獣を見つけて、それを指差す。
その指差す先を見てクラウスは頷き、その手に持っていた物をティルヤに手渡す。
それは、木の棒の先端を削って尖らせた槍だった。
「あいつを仕留めるぞ」
「あのウサギを?」
「そうだ」
「弓も無しでどうやって? あれは素早い。剣や槍が届く距離まで近付けるとは思えない」
「そうか? 逃げられたとしても、走って追い付けばいい」
「走って? 無理だ」
「試してみたのか?」
「いや、試しては無いけど……本当にこれでやるのか?」
そう言って、ティルヤは自身が手にしている木製の槍に目を向ける。
「そうだ。身体強化して走る練習をしただろ? 上手くやれば仕留められるさ。まあ、別に失敗してもいいからやってみろ」
そう言って、クラウスは笑いながらティルヤの肩を叩く。
ティルヤは手渡された槍をしばらくの間じっと見ていたが、覚悟を決めたのか大きく息を吐き、ウサギに視線を向ける。
一歩踏み出して身体を前に傾け、地面を見ながら、大きく息を吸い込む。
そして、気合を入れるかの様に短く息を吐き出し、飛び出す様に走り出した。
自身に向けて疾走してくるティルヤに気付いたのだろう。
ウサギは弾かれたように飛び跳ね、走り出す。
その逃げる兎をティルヤは追う。
速度は同じくらいか、ウサギのほうが少し早いかといったところだろうか。
数秒程走った後に、諦めたのかティルヤは速度を落とし足を止める。
ウサギに気づかれるのがもう少し遅ければ、追い付くことも出来ていただろう。
「惜しかったな」
戻ってきたティルヤに、クラウスは
当のティルヤはその顔に当惑したような表情を浮かべていた。
「鍛錬して……以前より速く走れるようになったとは思ってた。でも、ここまでとは思ってなかったよ」
「気付かれるのがもうちょっと遅ければ、追い付けそうだったな」
アディメイムも、慰めるかのようにティルヤの肩を叩く。
アディメイムの浮かべている笑みに釣られるように、ティルヤも笑みを浮かべる。
「まだ疲れてないよな? もう一回くらい挑戦してみるか」
そう言って辺りを見回すクラウスの耳に、声が届く。
「近くに鹿がいるな」
それはアディメイムが手にしていたクドゥリサルの声だった。
クラウスが再度辺りを見回すと、額に短い二本の角を生やした鹿を見つけることが出来た。
「あれはどうだ? やれるか?」
問いかけるクラウスにティルヤは頷きを返し、その鹿に向かって歩いて行った。
ある程度近付いたところで、ティルヤは姿勢を低くして、身を隠しながらゆっくりと距離を縮めていく。
かなり近くまで近付いたところで、ティルヤの気配に気づいたのか、鹿が耳を立て、ビクリとその身を硬直させる。
その瞬間、ティルヤは走り出した。
鹿はそれを見て走り出すが、ティルヤとの距離は徐々に縮まっていく。
そしてティルヤは十秒ほどで槍が届くまでに距離を縮め、その手に持った槍を鹿目掛けて突き出した。
その槍は逃げる鹿の左の大腿部に突き刺さった。
鹿は痛みのせいか、一度大きく飛び跳ねたのちに、左足を引き摺りながら、なおも逃げようとする。
だが怪我をした状態では逃げ切れるはずもない。
ティルヤは再度槍を繰り出し、今度は右の大腿部に槍を突き入れた。
両方の後ろ足が動かなくなった鹿はその場に倒れ、それでも逃げようともがき続ける。
だが足は動かず、そのままよたよたとよろめき、やがて倒れてしまう。
ティルヤは倒れてもがく鹿に近付いていって、鹿の顔をじっと見つめていた。
クラウスとアディメイムがその場にやってくるまで、そのまま何もせず佇んでいた。
じっとしたまま動かないティルヤに、クラウスは後ろから声を掛ける。
「あまり苦しませるな。止めを刺してやれ」
その言葉に、ティルヤははっとしたように顔を上げた。
アディメイムがティルヤに剣を手渡す。
ティルヤは大きく息を吐き、それから剣を振り上げ、その鹿の首を刎ねた。
そしてまた、動かなくなった鹿の遺体をじっと見つめる。
クラウスはティルヤの肩に手を置き、呼びかける
「大丈夫か?」
ティルヤは顔を上げ、呟くように話し始めた。
「死ぬ時の事を考えた。戦いに敗れたら、俺もこんな風に死ぬのかって……この鹿は足が動かなくなっても、最後まで生きようとしていた。俺は……」
そこまで言って、ティルヤは再び自身の手で切り落とした鹿の首に視線を向ける。
その様子を見ていたクラウスは、小さく息を吐き出し、それからティルヤに語りかける。
「ティルヤ、もしお前が抱いていた理想と違うようなら、やめるって手もあるぞ?」
「やめる?」
「ああ。俺たちは、お前が戦士になるために必要だと思うことをやらせてる。だがそれが……俺たちが思い描く戦士と、お前の求めるそれとがかけ離れてるんであれば、ここでやめてもいい」
ティルヤは一瞬驚いたような表情を浮かべ、それからすぐに首を振る。
「大丈夫だ。二人が必要だと思うことを、俺に教えて欲しい」
「そうか。だがやめたくなったらいつでも言え。無理はしなくていい」
「わかった。多分そんな事にはならないと思うけど」
そう言ってティルヤは力無く笑い、大きく息を吐いた。
そして鹿の死体を指差す。
「これは、貰ってもいいか?」
「ああ、もちろんだ。お前が仕留めたんだからな」
ティルヤは鹿の後ろ足を掴んでその肩に担ぎ上げる。
「どこか怪我をしてたりしないよな? もしあるならクドゥリサルに治してもらえ」
「大丈夫だ。怪我は無い」
「そうか。じゃあ、今日はもう終わりにしよう」
ティルヤは鹿を担いで自身の住処へと帰って行った。
クラウスとアディメイムはそれを見送る。
それからも、日々は変わらず過ぎて行った。
ティルヤが丘の上にやってくるようになって、五年が経った。
ティルヤは変わらず毎日丘の上にやって来て、剣の技や魔力制御の鍛錬をして、たまに狩りに出る。
初めて獲物を仕留めた日以降、定期的にティルヤには狩りをさせた。
何度も繰り返すうちに、ティルヤは相手が危険な肉食獣であっても問題無く倒せるようになっていた。
ティルヤは出会った頃に比べれば、かなり成長し身体も大きくなっている。
亜人たちは十五歳で立派な大人になったとみなされるのだそうだ。
ティルヤも今年で十五歳になるらしい。
ティルヤ以外の亜人たちがどの程度の強さなのかわからないが、おそらくティルヤと戦って勝てるような者は居ないはずだ。
戦士としての技量は勿論の事、身体強化の術も身に付けている彼には、純粋な力比べでも敵う者はいないだろう。
小さく貧弱な子供だった彼は、大きく強く成長していた。
身長もクラウス達とほとんど変わらないくらいにまで伸びている。
力もついて、体つきも逞しくなった。
この先、どこ迄強くなって行くのだろうか?
その成長振りを見るのも、クラウスにとっての楽しみの一つとなっていた。
そうして、なおも日々は過ぎて行った。
アディメイムと共に鍛錬を行い、その合間に景色を眺めて過ごす。
そして午後にはティルヤを指導をする。
変わり映えの無い日々。
だがそれはクラウスにとって、充実した日々であった。
そして、ティルヤが丘の上にやってくるようになって、七度目の春がやってきた。
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