弟子の鍛錬
ティルヤが丘の上に通ってくるようになってから、一年の時が過ぎていた。
この一年間、ティルヤはほぼ毎日休むことなく、クラウスとアディメイムのいる丘の上へと通って来ている。
これまでの鍛錬の成果か、基本的な動作はある程度身に付き、それなりの動きが出来るようになっていた。
ティルヤの身のこなしを見れば、自身の住処に戻ってからも、真面目に鍛錬をしているであろうことが窺えた。
クラウスも、この一年間で言葉を身に付け、ティルヤと問題なく会話出来るようになっていた。
その日も、クラウスとアディメイムはティルヤを相手に稽古を付けていた。
今はクラウスとティルヤが打ち合い、アディメイムがその様子を見守っている。
ティルヤが前進しながらクラウス目掛けて木剣を振り下ろす。
クラウスはそれを躱しながらティルヤの側面に移動し、手にした木剣で無防備になった肩に一撃を入れた。
「どうした? もう終わりか?」
地面に
対するティルヤは打たれた肩を押さえ、痛みに顔を
クラウス達はティルヤと手合わせをするときに寸止めなどはしなかった。
骨折等の酷い怪我をしない程度に手加減はしていたが、それでも打ち身や内出血程度の怪我はしているだろう。
戦士になるならば、痛みに耐える忍耐力も必要になる。
手傷を負ったからと言って、敵は見逃してくれたりはしないのだ。
多少の痛みで戦えなくなってしまうようでは話にならない。
ティルヤが歯を食いしばりながら立ち上がる。
それを見たクラウスは笑みを浮かべ、再度声を掛ける。
「まだやれるか?」
クラウスの問いにティルヤは無言で頷き、木剣を構え直した。
最初の頃に比べると随分我慢強くなったものだと思う。
以前は少し打たれるだけで泣き出しそうな顔をしていたが、今はそんなことも無くなった。
ティルヤが立ち上がり、再び木剣を構えたところで、アディメイムが近付いて来て、クラウスの肩を叩いた。
クラウスはそこでアディメイムと交代する。
ティルヤの前に立ったアディメイムは、ゆっくりと手にした木剣を構えた。
クラウスは後ろに下がって二人の様子を見守る。
向かい合って直ぐに、アディメイムが間合いを詰め、手にした木剣を振り下ろした。
ティルヤはそれを防ぎながら、退がって間合いを取ろうとしたが、アディメイムはそれに張り付くように付いて行く。
剣を振るうには近過ぎる間合いで、戸惑いながらもなんとか対応しようとするティルヤの体を、アディメイムは掴んで投げ飛ばした。
地面に放り投げられ、大の字になって倒れたティルヤは、ぽかんと口を開けてアディメイムを見上げていた。
いきなりの事で何をされたのかわからなかったのだろう。
アディメイムはその視線に笑みを返し、ティルヤの手を引いて立ち上がらせる。
立ち上がったティルヤはわずかに俯き、しばらく何かを考えているかのように沈黙していた。
やがて顔を上げ、戸惑ったような声でクラウスとアディメイムに問いかけてくる。
「今のは……投げられたのか?」
「ああ。相手によってはあんな風にがむしゃらに前に出て間合いを潰すような戦い方をする奴もいる。そういう相手と戦う時どうするか、そういった対処も考えておけ」
尋ねるティルヤにクラウスが答えた。
これまでは、ひたすらに基本的な動作を繰り返させ、打ち合いの最中であっても自然にそのような動きが出来るようになることを重視して稽古を付けてきた。
これまでの鍛錬でティルヤの技はかなり上達している。
基本の動作もそれなりに身につき、無意識のうちにそのような動きが出来るようにもなっていた。
まだ粗削りではあるが、この先鍛錬を続けていくことで、その動きもさらに洗練されていくだろう。
ティルヤの同族の亜人たちの戦士としての技量はどの程度の物なのだろうか?
おそらく、同年代で彼に敵う者はいないのではないか。
下手をすれば、大人相手であっても十分に渡り合えるのではないかとも思える。
そろそろ、様々な戦い方や技を教えても良いだろうと、昨晩アディメイムと相談して決めたのだ。
その後もアディメイムは、ひたすらに間合いを詰めてティルヤを攻撃した。
まだそのような間合いに慣れていないティルヤは、何も出来ずに打たれ、投げられ続けていた。
しばらくして、アディメイムがクラウスに視線を送ってくる。
クラウスはそれに頷きを返したのちに、ティルヤに向かって声を掛ける。
「ティルヤ、少し休むか?」
「いや、まだやれる」
その答えにクラウスとアディメイムは顔を見合わせ笑い合う。
ティルヤは熱心な教え子だった。
本人の望み通り、その後も休まず鍛錬を続けた。
やがてティルヤの疲れが蓄積し、集中力が続かなくなって来たのを見て、ようやくその日の鍛錬を切り上げる。
そののちに、クドゥリサルにティルヤの体を見てもらう。
武術の鍛錬をしている以上、怪我は付き物だ。
ティルヤが怪我をしたときは、クドゥリサルが魔術で治していた。
クドゥリサル曰く、治癒魔法は苦手なのだそうだが、訓練中の軽い怪我程度であれば問題無く治せるらしい。
最初の頃は痛みに慣れさせるために、軽い怪我は治療しないまま家に帰していた。
その頃は打たれた痛みだけでなく、筋肉痛も酷いことになっていたらしい。
痛みに対する忍耐力も鍛えられた今は、訓練に影響が出ないよう、怪我はその日の内に治療をしていた。
治癒の魔術はわずかではあるが体力も回復する事ができるらしい。
鍛錬後のティルヤはいつもフラフラで、歩いて帰る事すら苦労しそうな状態になっていたが、魔術による治療後は足取りもしっかりとしたものに戻っていた。
それから数日の後。
クラウス、アディメイム、ティルヤの三人は、地面に置かれたクドゥリサルを囲むように座っている。
その日はティルヤに魔力を制御する方法を教えようという話になっていた。
全員が胡座をかいて背を伸ばし、手のひらを上に向けて膝の上に乗せている。
クドゥリサルが、ティルヤに魔力についての説明をした。
ティルヤは魔力の存在を知らず、それがどういう物かも理解していない。
目に見えない物を意識し、さらにそれを操るというのは簡単な事では無い。
クドゥリサルの言葉を聞きながら、ティルヤはうんうんと頷いてはいたが、どこまで理解出来ているのかわからない。
クラウスが元いた世界では、魔力は当然存在するものとして扱われ、それに疑問を持つ者などいなかった。
だが、ティルヤにとってはまるで未知の概念であるそれを受け入れるのは、簡単な事では無いだろう。
それでも、最初に魔力を操る感覚を体験することが出来れば、そこから先は難しく無いはずだ。
自分の身で実際に体感することこそが、何にも勝る学習となる。
その最初の壁を打破するまでは、相応の時間が必要だろう。
「ティルヤ。俺らの言う事を信じるか?」
そのクラウスの言葉を聞いたティルヤは、不思議そうな表情を浮かべる。
「勿論信じている。なんでそんなことを聞くんだ?」
迷い無く応えるティルヤの様子に、クラウスはわずかに驚きながら言葉を続ける。
「魔力のことだけどな。それはお前の中にも間違い無く存在する。だから、お前も必ず感じ取る事が出来るはずだ」
「わかった。やってみる」
そう言って頷くティルヤを見て、クラウスは苦笑を浮かべる。
クラウスの言葉を聞いたティルヤは、何故わざわざそんな分かりきったことを言うのかとでも言うような表情を浮かべていた。
それだけティルヤはクラウスたちのことを信頼しているのだろう。
今日初めてその存在を教えられたというのに、ティルヤは既に魔力の存在を疑っていない。
目に見えない魔力を感じ取るのは簡単では無い筈だが、この様子ではあっさりその感覚を掴んでしまうかもしれない。
「じゃあ頼むよ、先生」
「おうよ」
クラウスの言葉に、クドゥリサルが応える。
三人は各々自身の内面に意識を向けて、魔力を制御する鍛錬を開始する。
すぐ横で、クドゥリサルがティルヤに色々と助言を与えているのが聞こえてくる。
何か手助けが出来れば良いのだが、クラウスに出来ることは何も無かった。
本職の魔術師がついて教えているのだ。
クラウスが出しゃばっても邪魔にしかならないため、自身の鍛錬に意識を向ける。
クラウスはその後も、ティルヤに助言するクドゥリサルの声を聞きながら、自身の魔力を操る鍛錬を続けていた。
「おお?」
突然、クドゥリサルが驚いたような声を上げた。
何が起こったのか、クラウスはすぐに理解した。
目を開くと、アディメイムもまた自身の鍛錬を中断し、ティルヤの様子を見ていた。
「いけたのか?」
「ああ。まあ、少し魔力を動かした程度だけどな」
ティルヤが魔力の流れを感じ取り、それを意識して操ったようだ。
本人はまだ目を閉じ、鍛錬に集中したままだった。
自身が何をしたのか、まだ気付いていないようだ。
「大したもんだ。俺なんかよりずっと才能がある」
「うかうかしてると、すぐ追い越されるかも知れないぜ?」
「その時は教えを請わなきゃな」
そんな会話をしながら三人で笑いあっていると、ティルヤがそれに気づいたのか、目を開いてクラウスとアディメイムを見た。
「ティルヤ。魔力を操ってた事に気付いてたか?」
「いや、良くわからないがそうなのか?」
尋ねるティルヤにクドゥリサルが答える。
「わずかな動きだったから自分では感じ取れなかったのかもしれないが、間違い無くお前は魔力を操ってた。」
「そうか」
そう言われても実感が湧いていないのか、ティルヤは自身の感覚を確かめるかのように拳を握ったり開いたりしている。
クラウスはそれを見て、笑いながら言葉を掛ける
「本当に大したもんだ。お前からすれば存在すら怪しいような物だろうに。初めてでいきなりここまで出来るとは思って無かったよ」
そのクラウスの言葉に、ティルヤはわずかに戸惑いの色を見せた。
「存在が怪しいなんて思ってない。アディメイムとクラウスはそれを操れるんだろう? 二人がそんな嘘をつく筈がない」
その言葉を聞いて、クラウスはアディメイムと目を見合わせ苦笑する。
ティルヤはクラウスとアディメイムの言う事を本当に盲目的に信じているようだ。
この先、いい加減な事は言えなくなってしまった。
「まだ続けるぞ。何度も繰り返して、感覚を覚えなきゃな」
クドゥリサルのその言葉で、三人は魔力制御の鍛錬を再開する。
その日、ティルヤは何度か魔力を操ることが出来たが、その感覚を覚える事までは出来なかったようだ。
それからは数日に一度くらいの頻度で、魔力操作の鍛錬を行った。
ティルヤが魔力操作の技術を身に付けるのは早かった。
基本の動作と同様、自身の住処に戻ってからも鍛錬を続けているのだろう。
三ヶ月も経つ頃には、意識して魔力を制御出来る程度にはなっていた。
その頃から魔力で肉体を頑強にする方法を教え始める。
最初は魔力の消耗も激しく、すぐに魔力を使い果たして動けなくなってしまっていた。
だが鍛錬を繰り返すうちに、その持続時間も徐々に長くなっていった。
強化した状態を一分程度は維持出来るようになった頃、今度は筋力を強化する方法を教え始めた。
最初は強化した状態で重い石を持ち上げる等の単純な動作のみをやらせた。
それが問題なく出来るようになってからは、肉体を強化した状態で走る練習をさせた。
最初は軽く走らせてみたが、ティルヤは強化された自身の力を制御できず、何度も転んでいた。
それからは毎日鍛錬の最初に、筋力を強化した状態で走らせた。
何とか転ばぬように走ることが出来るようになるまでには時間が必要だった。
強化した状態は数分しかもたない。
その数分間の練習で、力の制御を身につけるための練習をしなければならなかったからだ。
ようやく転ばずに走れるようになった頃には、既に半年ほどが経過していた。
それ以降は強化した状態で剣の鍛錬を行うようにさせた。
魔力を使い果たしてしまったら、そのまま無強化の状態で鍛錬を続けさせる。
筋力を強化した状態での立ち合いに慣れるのにも時間がかかった。
間合いを詰めようと前方へと踏み込んだつもりが、跳びすぎて体当たりをしに行ってしまったり、自身で振った剣の勢いに体が持っていかれて体勢を崩したり等、自身の力をうまく制御できずに四苦八苦していた。
そんなことを続けているうちに、魔力が尽きるまでの時間が少しずつ長くなっていった。
日々の積み重ねによりティルヤの魔力量が増えただけではなく、魔力操作の技量も上がっているのだろう。
そうして一年も経つ頃には、肉体を強化したまま動ける時間が十分程度にまで伸びていた。
筋力を強化した状態での立ち合いについても、まだまだ未熟ではあったが、力に振り回されたりしない程度にはなっていた。
クラウスとアディメイムの間では、そろそろティルヤに実戦を経験させたほうが良いだろうということで意見が一致していた。
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