めぐる季節
クラウスは、丘の近くにある湖のほとりに座り、夜の終わる様子を眺めていた。
森の木々の向こうに広がる空が、うっすらと白み始める。
その光は次第に強くなり、空いっぱいに広がっていく。
やがてそれは目の前に広がる水面まで届き、それをまばゆく輝かせた。
赤や黄色に染まった落ち葉が、湖の周囲の地面を鮮やかに彩っている。
水面にもその色とりどりの葉が浮かび、風に吹かれてゆらゆらと揺れ動いていた。
日々の鍛錬の合間の息抜きに、クラウスは一人、この場所で景色を眺めて過ごすようになっていた。
その景色は見る時間帯によって、様々な顔を見せた。
朝霧の中に浮かび上がる様も、昼の日差しを受けて輝く様も、夜の月明かりに照らされる様も、そのどれもが美しかった。
毎日、夢中になって鍛錬を重ねた。
その鍛錬の合間に周囲の景観を眺めて過ごす。
鍛錬の時間も、その合間に取る休息の時間も、彼にとっては楽しく充実した時間となっていた。
時が過ぎ去るのは早かった。
いつのまにか、木々を覆っていた葉は全てが枯れ落ち、地面を鮮やかに彩っていた落ち葉も、朽ちてくすんだ褐色へと変わっていた。
秋が終わり、冬がやって来ても、クラウスの過ごし方は変わらなかった。
アディメイムと共に、一日の大半を鍛錬に費やす。
そして鍛錬の合間の時間には、湖のほとりで景色を眺めて過ごした。
冬の大気は冷たく、澄み渡っている。
目に映る景色も、心無しか明瞭になっているような気がした。
ついこの間まで聞こえていた、葉のさざめく音や虫の鳴き声なども、もう聞こえてはこない。
葉を散らして剥き出しになった木々の枝を見ていると、どこか物悲しく感じられた。
魔力操作の応用で体温を操っているせいで、寒さに震えたりするような事は無かった。
それでも、刺すような空気の冷たさを自身の肌で感じ取ることはできた。
このような感覚は、冬の間にしか感じることが出来ないものだ。
その冷たさで体が引き締まるような、そんな感覚もまた、彼は楽しんでいた。
冬の景色の中で、彼が最も気に入っているのは夜空だった。
冬の夜空の星々は、澄み切った空気のせいで、これまでよりも一層輝きを増しているように見える。
冬の夜の静寂に包まれながら、クラウスはその星空を眺め、それを楽しんだ。
雪はほとんど降らなかった。
それでも一度だけ、積もるほどに雪が降ったことがあった。
その日は、見渡す限り一面が白一色に染めあげられていた。
木々の枝に積もった雪が日の光を跳ね返している。
それはまるで木々が白く輝く葉を生い茂らせているかのようにも見えた。
その雪も数日後には溶けてしまい、いつもの風景に戻っていた。
消えてしまった雪景色を名残惜しく思う。
だが、そうしてすぐに消えてしまうようなものであるからこそ、より一層、その情景に心を動かされるのだろう。
日々は変わらず過ぎ去って行く。
アディメイムと共に鍛錬し、その合間に景色を眺めて過ごす。
クラウスはそんな日々を心から楽しんでいた。
やがて寒さも和らいでくる。
冬は終わり、春がやってきた。
湖の周囲に生えた木々の枝に、ポツポツと花が咲き始めた。
薄桃色の小さな花が、枝の先にいくつかついている。
数日後には、その花は枝中に広がっていた。
湖の周囲にある木々が皆そうなったせいで、辺り一帯がその花の色で染め上げられている。
それは、クラウスがこれまでに見たことの無い花だった。
湖の周辺が薄桃色に染まった様は、離れた丘の上からも見て取れた。
その花弁はヒラヒラと舞い落ち、地面をも覆い尽くしている。
それを目にしたクラウスは時間も忘れ、その情景に見入っていた。
どれほどの時間そうしていたのか。
その景色の美しさに心を囚われてしまっていたクラウスは、何者かが近付いてくる気配で現実に引き戻された。
その気配の方向に目を向けると、アディメイムがこちらに歩いてきているのが見えた。
ずっと戻らなかったクラウスを探しに来たのかもしれない。
「ああ、すまん。長居しすぎたか?」
そう言って立ち上がったクラウスに向けて、アディメイムは笑みを浮かべ、首を左右に振って見せた。
そして、クラウスの肩に手を置いて再び座らせ、自身もその横に腰を下ろす。
二人はそのまま並んで座り、薄桃色の花が舞い散る様子を眺め続けた。
彼らの住む丘からも、この湖を見渡す事が出来る。
おそらくアディメイムはこの場所と、この花の事を知っていたはずだ。
「いい場所だよな」
そう語りかけるクラウスに、アディメイムは穏やかな笑みを浮かべ、頷いた。
もしかしてこの男も、クラウスがやって来る前は、一人で花を眺めて過ごしたりしていたのだろうか?
しばらく、アディメイムと共に二人で景色を眺めたのちに、クラウスは立ち上がった。
「すまんな、付き合わせちまって」
もういいのか? とアディメイムが地面に文字を書いて尋ねてくる。
「ああ、もう大丈夫だ。また見に来ればいいしな」
そのクラウスの言葉にアディメイムは頷きを返し、立ち上がった。
そして二人で丘の上に戻り、またいつものように剣の鍛錬に時間を費やした。
その薄桃色に染まった景色も、十日もすると消えてしまった。
その花弁は全て地に落ち、木々の枝には緑色の葉が生い茂っている。
花弁が咲き乱れ、ひらひらと舞い散る様は、冬に見た雪景色と同じ、わずかな期間しか見ることのできない貴重なものであった事を知った。
残念ではあったが、二度と見られなくなった訳でも無い。
あの花はまた来年も咲くはずだ。
それを楽しみにしていよう。
なおも日々は過ぎてゆく。
クラウスは毎日毎夜鍛錬を重ね、その合間に景色を眺めて過ごした。
変わらぬ日々。
景色を眺める時には一人であることが多かったが、アディメイムが一緒の時もあった。
二人で並んで座り、ただ静かに景色を眺めて過ごす。
アディメイムが無理をして自分に付き合っているのではないかと思い、それを尋ねてみた事があったが、彼は笑みを浮かべ、無理などしていないと否定した。
アディメイムも以前は一人で周囲の景色を眺めて過ごしたりすることが多かったらしい。
やがて春も終わり、夏がやってきた。
照りつける日差しの強さに目を細めながら、クラウスは夏の風景を楽しんだ。
木々の葉や地面に生えた草が、降り注ぐ日差しに照らされ鮮やかな緑色に輝いている。
青く澄み渡った空の上に、そびえ立つように縦に連なった雲が見えた。
周囲の木々からは、騒々しい虫の鳴き声が聞こえてくる。
世界に存在する何もかもが、生命力に溢れ、活気に満ちているように感じられた。
季節はさらに
この場所でアディメイムに出会って、一年が経とうとしている。
一年たってもなお、一日のほとんどを鍛錬に費やし、その合間に景色を眺めて過ごす、その生活は変わらなかった。
そうして時を経ていくうちに、クラウスは身に着けていた衣服を捨て、アディメイムと同じように、獣の毛皮をその身に纏うようになっていた。
この世界に来たときに身に着けていた衣服は、もうボロ布のようになってしまっていたからだ。
彼らの過ごす丘の近くで、たまに亜人の姿を見かけることがあった。
以前にクラウスがこの近くで見かけた、コボルドのような亜人だ。
おそらく近くに亜人達の集落か何かがあるのだろう。
彼らは二人の姿を見かけると、すぐに逃げ出して行った。
クラウスが初めて彼らを目にした時も、こちらを恐れているかの様に走り去って行ったのを思い出す。
彼らは知っているのだろう。
この丘に住む銀髪金眼のさまよい人の恐ろしさを。
恐らく、彼らは以前にアディメイムに挑み、手痛い代償を払った事があるに違いない。
獣が姿を見せる事もあった。
獣たちは二人の姿を見たからと言って、亜人達のように逃げ出したりはしなかった。
二人に襲い掛かってきた獣たちは皆、自身のその行為の代償を、その命で支払う事となった。
この一年間、クラウスは変わらぬ毎日を過ごしていたが、その日々は彼にとって楽しく充実したものであった。
強くなりたかった。
アディメイムに認められるような戦士になりたかった。
それを目標に、夢中になって鍛錬を続けた。
最強の戦士に導いて貰っているおかげだろうか?
日々を重ねる毎に、自身が強くなっていくのが実感出来た。
そのような日々を、クラウスは心から楽しんでいた。
尊敬に値する戦士と共に過ごす日々を、戦士としてより高みに登る為の鍛錬に明け暮れる日々を、彼は楽しんでいた。
毎日同じ事の繰り返しだったが、それに飽きたりすることは無かった。
鍛錬も、その合間の息抜きもまた、クラウスにとっては楽しいものだった。
クラウスも以前より相当に強くなったつもりでいるが、未だアディメイムには遠く及ばない。
ただ、彼に認めて貰いたかった。
毎日、昼も夜も無くアディメイムと剣で打ち合った。
少しずつではあるが、アディメイムに近付けてはいる。
だが、それでもまだ相当に差がある。
クラウスは、相変わらず恐れを抱いていた。
それでも、目の前に存在する目標を追いかけるのは楽しかった。
ただひたすらに鍛錬し、アディメイムに挑み続ける。
日々を重ねる毎に、徐々に徐々に、彼から一本を取れる確率も上がっていた。
充実した日々が過ぎ去るのは早かった。
冬には澄み渡った空気と、鮮やかに瞬く星空、そしてたまに見ることのできる雪景色を楽しんだ。
春には新しく草花が芽吹き、薄桃色の花が咲き乱れる姿を見て楽しんだ。
夏には生命力に満ち溢れた草木や、どこまでも青く澄み渡った空を眺め、それを楽しんだ。
秋には草木が赤や茶色に染まり、そして冬にはまた枯れ落ちる。
アディメイムに出会ってから、それを十度繰り返した。
十年……長い年月の筈だが、あっという間に過ぎ去ってしまったような気がする。
二人は相変わらず、一日のほとんどの時間を鍛錬に費やしていた。
アディメイムと剣で打ち合い、魔力を制御する鍛錬を行う。
十年間毎日それを続けていたが、それに飽きたり退屈したりすることは無かった。
クラウスは今も尚、一人の戦士としてアディメイムに認められたいと思っている。
毎日、彼の強さをその身をもって体験している。
彼に追いつきたいという意欲が薄れることは無かった。
強い欲求に突き動かされて、日々の鍛錬に没頭していた。
そして、クラウスはそれを楽しんでいる。
毎日、少しずつであっても成長できることを喜んでいた
だが、アディメイムにとってはどうなのか。
気になり、彼に尋ねてみた事があった。
遥かに実力の劣るクラウスの相手をするのは退屈なのではないかと。
それを聞いた彼は笑った。
その表情は楽し気で、お前は一体何を言っているのかとでも言いたげに見えた。
「自分を卑下しすぎだろ? 我が君を相手に一本取れるような奴は、むこうの世界でもほとんどいなかったんだ」
主の言葉を代弁するように、クドゥリサルが言う。
アディメイムもまた、そのクドゥリサルの言葉を肯定するかのように笑みを浮かべ、頷いていた。
アディメイムは、自分もクラウスとの勝負を楽しんでいるのだと、筆談でそう伝えてくる。
クラウスと出会うまで彼はずっと一人で、剣の鍛錬をする相手なども居なかった。
クドゥリサルの言う様に、たまにとはいえ彼から一本取れる程の相手は元の世界でもそうはいなかったのだそうだ。
だからクラウスの存在をありがたく思っているのだと、彼はそう語った。
そして、クラウスと手合わせするときは、いつも全力を出しているのだと、彼は言う。
アディメイムにとってクラウスは手を抜いて勝てるほど簡単な相手では無いのだと。
自分に気を使ってそう言ってくれているだけなのかもしれない。
だとしても、アディメイムにそう言って貰えるのはうれしかった。
それ以降、クラウスはアディメイムとの技量の差について、口に出すのはやめた。
アディメイムに近付けるように必死で考え、鍛錬を重ねた。
彼は戦士として、クラウスのずっと先を行っている。
その彼に勝つために思考錯誤し、そして助言を求めた。
彼は快くそれに答え、様々なことを教えてくれた。
過ぎゆく日々の中で、クラウスの剣の技は磨かれていった。
アディメイムとの勝負でも、十五回に一回程度は一本を取れるようになっていた。
未だアディメイムには遠く及ばない。
それでも出会ったばかりの頃と比べたら、ずっとましにはなっている。
当時は三十回に一回勝てるかどうかだったのだ。
それを思えば随分と成長したのではないかと思える。
さらに時は過ぎ、この世界に来てから十一度目の夏を迎えていた。
クラウスはいつもの湖のほとりで、星の瞬く夜空を眺めていた。
そうしているうちに、空が白み始める。
闇に覆われていた空が夜明けの光に包まれ、徐々に青色に染まっていった。
やがて空を覆った光は、湖と周囲の地面を明るく照らし出す。
太陽が昇りきったのを見届けてから、クラウスは立ち上がる。
そして、丘の上で彼を待っているであろう、アディメイムの元へと歩き始めた。
今日もまた、いつもと変わらない一日が始まる。
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