追手

 あの亜人たち……オークの集団が獣に騎乗してこちらに向かって駆けてきている様子を、クラウスはじっと見ていた。

 その走る勢いの激しさが、彼らの巻き起こす土煙でよくわかる。


「走れ、エメック」


 クラウスは迫りくる亜人の集団から目を離さないまま、自身の横に立つエメックに逃げるように促す。

 だが彼は動こうとしなかった。

 クラウスがエメックを見ると、彼は恐怖ゆえか顔を引き攣らせ、その場に立ちすくんでしまっていた。


「行け! エメック!」


 強い調子で再度声をかけると、エメックは一瞬驚きの表情を浮かべた後に、弾かれたようにきびすを返して走り出した。


 それを見届けたクラウスは、近づいて来る亜人の集団に向かって走り出す。


 彼我の距離がみるみる狭まっていく。

 クラウスは走りながら亜人たちの様子を再度確認する。

 獣の背に乗った亜人たちは皆、その手に槍を持ち、腰には剣か棍棒のいずれかを吊るしていた。 

 彼らが騎乗する獣は、狼に似ている。

 この世界で最初に出会った獣も狼に似ていたが、それとは違って角は無く、体毛は黒い。

 あの集落では見かけなかったが、一体どこから連れて来たのだろうか。

 数は十五騎。

 あの数を相手にするには、うまく立ち回り攪乱しながら戦わなければならないだろう。


 クラウスは亜人たちに向かって真っ直ぐ走っていく。

 それに対する亜人たちもまた、速度を緩めるような様子は無かった。

 このままいけば真正面からぶつかることになるだろう。


 距離はどんどんと縮まり、あと数秒で激突するという距離まで近付く。

 クラウスは相手との距離を測り、歩幅を調整する。

 集団の先頭にいる亜人が、近づくクラウスを串刺しにしようと槍を構えるのが見えた。


 クラウスは剣を振り上げ、急減速するかのように足を出し、地面を強く踏み込む。

 そして、その頭を狙って突き出された亜人の槍の穂を首を捻って躱しながら、魔術で強化した筋力をもって、眼前に迫った騎獣の頭めがけて手にした剣を叩きつける。


 その一撃で頭を砕かれた獣が前のめりになって地面に突っ込む。

 上に乗っていた亜人は、突進の勢いのままに前方へと投げ出され、クラウス目掛けて飛んで来た。

 それを屈んで躱し、今度は右方向に跳躍しながら、剣を水平に薙ぎ払う。

 その斬撃は、丁度その場所に走り込んできた別の亜人の喉を切り裂いていた。

 亜人は騎乗していた獣の上から転げ落ち、そこでしばらくもがき苦しんだ後に動かなくなる。

 その主を失った獣が飛びかかって来たが、クラウスはその獣の開いた口内に剣を突き入れた。

 その剣を素早く引き抜き、クラウスは走り出す。

 最初の獣から転げ落ちた亜人はまだ生きているだろうが、それはその場に放置して行く。

 動きの鈍い亜人よりも、足の速い獣に乗った者達を倒すのを優先するためだ。


 亜人たちがクラウスを無視してエメックを追うようであれば面倒なことになると考えていたが、そうはならなかった。

 彼らは一旦足を止め、クラウスを囲むように広がっていく。


 その包囲網が完成する前に、クラウスは動く。

 周囲を取り囲まれるまで待っているつもりは無い。

 その包囲の一番端に位置していた亜人目掛けて走り寄る。

 標的にされた亜人はわずかに慌てたような様子を見せたが、すぐに槍を構えて対応しようと身構えた。


 クラウスは速度を緩めないまま、その亜人に近付いていく。

 あと数歩で剣が届くという距離まで近付いたところで走る歩幅を調整する。

 そして、亜人の乗る獣に対して一旦攻撃するふりをして騙しフェイントを入れる。

 それに獣は引っかかり、距離を取ろうと後ろに跳んだ。

 クラウスはその着地の瞬間を狙い澄まして、さらに間合いを詰め、獣の頭目掛けて剣を振り下ろす。

 獣はその動きに対応できずに斬撃を喰らい、頭を砕かれていた。

 騎乗している亜人も、その獣の急激な動きの変化に対応できずに体勢を崩し、振り落とされそうになってしまっている。

 クラウスはそのまま剣を返し、その亜人の首をね飛ばす。


 これで二人倒した。

 クラウスは倒れた亜人の槍を拾い、それを手にしたまま次の標的に目を向ける。

 相変らず、亜人たちはクラウスを包囲しようと動いていた。

 複数を同時に相手取らなくても済む様に、そして亜人たちに取り囲まれないように、集団の端に位置する者を優先して狙っていく。


 クラウスは手にした槍を、目標として定めた亜人に向かって投げつける。

 亜人は身体をひねってそれを躱したが、体勢を崩して獣の背に何とかしがみつき転落を免れていた。

 クラウスはその隙を見逃さず、手にした剣で切りつける。

 体勢を崩していた亜人はそれに対応することが出来ないまま、肩から斜めに切り裂かれ、獣の背から転がり落ちて動かなくなる。

 残った獣はクラウスに対して威嚇するような様子を見せたが、クラウスが剣を振り上げ間合いを詰めると、そのまま背を向けて逃げ出してしまった。

 クラウスはそれを追わず、他の亜人たちに目を向ける。


 三人の亜人が、ほぼ同時にクラウス目掛けて走り寄って来ていた。

 一対一では分が悪いと言う事に気づいたようだ。

 彼らはクラウスを包囲しようとするのを止め、複数人で固まった状態で近付いてくる。


 それを確認したクラウスは短く息を吐く。

 たとえ複数人で固まっていたとしても、仕掛ける方向に気を付けてさえいれば、それらを同時に相手にせずに済む。

 ただ一体のみを相手取り戦う。

 そして、その一体が他の亜人に対して盾となるような位置取りを心がける。

 クラウスは、その集団の中の標的とした一体に近付き、剣を振り下ろす。


 亜人はそれを槍の柄で防ごうとしたが、魔力によって強化されたクラウスの斬撃は、その亜人を槍もろとも切り裂いていた。

 騎乗していた主を失った獣が噛みついてくるのを、左腕で受け止める。

 腕に牙が食い込み激痛が走るが、クラウスはそれを意に介さず獣の喉を手にした剣で貫き通した。

 他の二人の亜人は、未だその亜人と獣の身体が邪魔で手が出せずにいる。

 左腕の獣を振り払ったクラウスは、即座に他の二人の背後に回り込むように動いた。


 常に自身が有利となる位置をとれるよう、意識して動き続ける。

 一体ずつ速やかに、他の亜人が救援に来る猶予を与えないように、時間を掛けず対処しなければならない。


 次の標的となった亜人はクラウスを迎え撃とうと動く。

 だが、獣を操るのに慣れていないのだろう、もたついているうちにクラウスは剣の届く距離まで近づいていた。

 そして、その亜人の横を通り過ぎながら剣を水平に振り抜き、亜人の首を半ばまで切り裂いた。

 亜人は血の泡を噴き出しながら、獣の背から転げ落ちる。

 クラウスはそのまま間髪入れず、主を失った獣を目掛けて剣を振った。

 獣はそれを躱そうと後ろに跳ぶが躱しきれず、クラウスの振るった剣にその喉を切り裂かれる。

 傷は浅く、致命傷にはならないだろう。

 だが主を失い、傷を負った獣はそのまま走り去って行く。


 残った一人は、その場で動かずじっとしていた。

 仲間の二人の亜人はクラウスの手で、あっという間に倒されてしまっている。

 それを目の当たりにして恐れを抱き、戦うべきかどうか迷っているのかもしれない。

 その迷いをクラウスは見逃さなかった。


 そのまま放っておけば逃げ出したかもしれない。

 だが、それを待っている間に他の亜人達が集まってきてしまうだろう。


 クラウスは素早く間合いを詰め、亜人目掛けて剣を振り下ろした。

 亜人は反射的に槍の柄でそれを防ごうと動いたが、そんな迷いのある動きでクラウスの斬撃を防ぐことは出来ず、頭を割られて騎乗していた獣から転げ落ちる。


 クラウスは残った獣に対しても攻撃を加えようとしたが、獣は素早く後方に飛んでそれを躱す。

 クラウスはそれを追って前に出る。

 時間はかけられない。

 他の亜人たちが集まって来る前に倒さなければならない。


 だがその獣は恐れをなしたのか、背中を向けて逃げ出していた。

 それを追うことはせず、クラウスは残った亜人たちに目を向ける。


 既に六人を倒した。

 まだ獣に騎乗した者が八人と、騎乗する獣を失った一人が残っている。


 亜人たちはじっとしたまま動かなかった。

 クラウスの力量と、殺された仲間を見てまだ戦うべきかどうか迷っているのだろう。

 動揺しているのならちょうどいい。

 そこから立ち直る前に数を減らすべきだろう。

 そう考え、クラウスが走り出そうとした時だった。


 一人の亜人が吠え声を上げた。

 それは集団の先頭に立って向かってきた一人……クラウスと最初にぶつかり、騎乗していた獣を失った亜人であった。

 他の者と比べて一際体格の良いその亜人は、どうやらこの集団のリーダーであるようだ。


 その亜人が再び大声で何かを叫んだ。

 それは亜人らの使用している言葉なのだろうか?

 理解は出来なかったが何か意味を持った言葉であるように思えた。


 その声を聞いた他の亜人たちが動きを止めていた。

 彼らは何事か逡巡しゅんじゅんしているようだったが、すぐにクラウスに背を向けて逃げ出し始めた。


 追うべきかと考える。

 自分一人であれば何度襲われようと問題は無かったが、エメックがいる。

 彼のことを考えるなら、二度と追って来たりしないように、この場で殲滅したほうが良いのではないか?

 そう考え、クラウスは亜人たちを追おうとする。

 だが先程大声で何かを言っていた亜人が、走り去る他の亜人たちとの間に立ちはだかるように立っていた。


 その亜人が何をしようとしているのか、クラウスは理解した。

 彼は逃げる亜人達を追うのを諦め、その残った一人と対峙する。

 ここまでの戦いを見ていたのなら、亜人の側に勝ち目がほとんど無いことはわかっている筈だ。

 それでもこの亜人は、クラウスの前に立ちはだかっている。


「……お前は残るんだな」


 その言葉に応えるかのように、亜人が大音声だいおんじょうで吠えた。

 クラウスはそれを見て笑みを浮かべる。

 この亜人は自分以外の仲間を逃がすために、ここで死ぬ覚悟を決めたのだろう。


 何故吠えているのか?

 おそらくは、死を前にして恐怖に尻込みする自身を奮い立たせる為に。


「俺はクラウスってんだ」


 クラウスは通じるはずのない言葉で名乗りを上げる。

 目の前に立つ亜人は、自身を犠牲にして仲間を救うためにこの場に残った。

 たとえ伝わらずとも、同じ戦士として、その亜人の覚悟に敬意を示したかった。


「さあ、やろうか」


 目の前の亜人に語り掛けながら剣を構え、戦いに集中しようと大きく息を吐く。


 それを見た亜人が吠え声を上げながら、勢いよく突進してくる。

 そして、手にした剣をクラウス目掛けて振り下ろしてきた。

 クラウスはそれを後ろに下がって躱す。

 亜人の力は相当に強いようだが、その攻撃は大振りで読みやすかった。

 足さばきもつたなく、クラウスが後ろに下がれば、それについてくることも出来ない。

 下がるクラウスを無理に追おうとした亜人は、前のめりとなった上半身の動きに下半身が付いて来ず、そのまま体勢を崩す。


 クラウスはそれを見逃さず、瞬時に間合いを詰めて亜人の懐に潜り込み、魔術で強化した筋力で、その顎に掌打を叩きこんだ。

 それをまともに食らった亜人の身体は、一瞬硬直してからぐらりと揺れ、そのままどうと地面に倒れ込む。


 魔術で強化した一撃だ。

 顎の骨が砕けたりはしているかもしれない。

 だが命まで落とすことはないだろう。


 そう、クラウスは手加減をしたのだ。

 相手は戦士としての覚悟を持って挑んできた。

 こちらの世界でそのようなものを見せられた事を、彼は嬉しく思っていた。

 殺さずに済むなら、そうしたいと思ったのだ。

 幸い、相手はクラウスが手加減しても勝てる程度の力量であった。


 クラウスは剣を収めながら、倒れて意識を失っている亜人を見下ろす。

 手加減され、生かされた事を屈辱だと思うような者もいる。

 覚悟を持っている者ほど、そうであることが多かった

 この亜人は、手加減されたことに怒りを覚えるようなたちだろうか?


 だとしても、敗者の生殺与奪の権利は勝者にゆだねられる。

 甘んじて受け入れてもらうしかないだろう。


 そういえば、元居た世界で最後に戦った相手であるベルントが、クラウスに向かって似たようなことを言っていた気がする。


 この亜人の戦士としての技量は大したものでは無かった。

 だがその意識は、戦士として敬意を払うに値するものであった。 


「ああ、そうだ。エメック……」


 顔を上げ、エメックが走っていった方角に目を向ける。

 戦いに夢中になり過ぎていたようだ。

 自分が何のためにこの亜人たちと戦っていたのかを忘れてしまっていた。

 彼をあまり長く一人にしておくべきではないだろう。


 エメックが逃げて行った時の彼の様子をクラウスは思い浮かべる。

 彼は明らかに怯え、取り乱していた。

 恐怖に駆られて、あまり遠くまで走って行ってしまっていなければよいが。


 そんな懸念を抱きながら、クラウスはエメックを追って走り始めた。

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