亜人の住処
クラウスは月明かりに照らされる草原を一人歩いていた。
昼間であれば、あの亜人たちの足跡を追うことも出来たかもしれない。
だが、月明かりのみを頼りにそれを見つけるのは不可能だった。
方向は間違っていないはずだが、あの亜人たちがずっとこの方角に進み続けたとも限らない。
それでも他に頼りとなるような手がかりも無い。
クラウスはそのまま歩き続けた。
もう深夜と言ってよいだろう時間になってしまっている。
一旦朝になるのを待ってから探したほうが良いだろうか?
あるいはもう諦めて、引き返してしまっても良いのではないか?
彼は歩きながら、そんなことを考え始めていた。
元々無理をして探さなければならないようなものでも無い。
さまよい人が捕らえられているかもしれないという、不確実な懸念に突き動かされて、ここまで来てしまっている。
亜人たちがこの方向に向かっていた……その程度の手掛かりで、彼らの住処が見つかる可能性はどれ程のものだろうか?
そうやって考えているうちに、自身がどれ程愚かなことをしているのかを認識し、苦笑を浮かべる。
深く考えず、衝動のままに動いてしまった事を後悔していた。
せめて朝まで待つべきだったと、今更になって考える。
だが、既にかなりの時間を費やしてしまっている。
せっかくここまで歩いて来たのだから、もう少しだけこのまま進んでみても良いだろうと彼は考え、そのまま歩き続けた。
それからどれ程の時間歩き続けたか。
いいかげんもう諦めて引き返すべきかとクラウスが考え始めた頃、その視線の先にまばらに点在する建造物らしき物が見えてきた。
月明かりに照らされ浮かび上がったそれは、人の手によって作られたとしか思えない。
おそらく、亜人たちの住む集落に行き着いたのだろう。
クラウスは立ち止まり、しばらくそれを呆然と眺めていた。
自身の浅はかな行動を後悔していたところに、それは現れた。
このまま歩いて行っても、もう何も見つかりはしないだろうと、半ば諦めかけていたというのに。
何にせよ、探していたものを見つけることが出来た。
クラウスは意識を切り替え、その集落に近付いて行く。
そして周囲に生えていた木の上に登り、その集落を見渡してみる。
それは彼が想像していた以上に大きかった。
見渡す先には様々な家が並んでいる。
最も多いのは泥で塗り固めたような家だった。
屋根を覆っているのは藁だろうか?
干し草を積み上げただけのように見える住居も数多くあった。
その中で、木造りの家も数は少ないが存在していた。
全ての住居に亜人が住んでいるのだとすれば、どれ程の数になるだろうか?
おそらく二百はゆうに超えているのではないか。
亜人たちは皆寝入っているのか、辺りは静まり返っていた。
そうやってしばらく集落を観察しているうちに、その外れに木でできた檻のようなものがあることに気付く。
檻は空では無く、中に何かが入っていた。
遠目で判別しづらいが、なんらかの生物であることは間違いない。
その大きさと姿形からも、人に近い何かであるように見えた。
クラウスは木から降り、物陰に身を隠しながらそれに近付いて行く。
そしてその近くまでたどり着き、建物の影から再度檻を観察する。
やはりその中にいるのは人間……さまよい人だった。
獣の毛皮らしきものを体に巻き付けただけの男が、そこにうずくまるようにして座っている。
その手には木製の
クラウスの予想は当たっていたようだ。
尽きることの無い資源を複数手に入れる意味は無い。
どれほど消費しようとも、それは決して減ることなど無いのだから。
あの亜人たちがクラウスに襲い掛かってこなかったのは、既にそれを手にしていたからなのだ。
クラウスは周囲に気を配りながら檻に近付いて行き、中の男に声をかけた。
「よう」
そのクラウスの呼びかけに、相手はビクリと身を強張らせる。
余程驚いたのだろう。
男は大きく目を見開き、口を半開きにしてこちらを凝視していた。
その様子にクラウスは笑みを浮かべながら、問いを投げ掛ける。
「お前もさまよい人だよな? 俺の言葉が分かるか?」
「あ……え?」
「どうだ?」
「あ、あ……わかる、わかるよ」
おそらく、こんな場所で同じ人間に出会うとは思っていなかったのだろう。
男はうろたえたような様子で、しきりに目を
「捕まってるんだよな? 逃げ出したいなら手伝うが、どうする?」
「え……逃げ、逃げられる? 本当に?」
「まあ、やってみなきゃわからんが……どうする?」
クラウスの問いかけに、男はしばらく呆けた表情で固まっていたが、数秒ほどしてから首を激しく上下させて何度も頷いた。
それを受けてクラウスは、男が捕らえられている檻を確認する。
檻の扉には木製の錠前らしきものが付いていた。
それを少し調べてみたが、普通に開けるのは難しそうだ。
クラウスは鍵開けの技術など持っていない。
壊すしかないだろう。
クラウスは腰の剣を抜いて、その錠前目掛けて振り下ろした。
錠前はそれで破壊できたが、思っていた以上に大きな音が辺りに響きわたっていた。
その音に気付いて目を覚ました者がいるかもしれない。
そう考え、クラウスは周囲を見回し様子を窺う。
だが、亜人たちが起き出してくる様子は無かった。
檻の扉を開くと、男がふらつきながら歩み出てきた。
クラウスは男の付けていた
「走れるか?」
「あ、ああ、大丈夫、だと思う」
男は頷き、その場で何度か軽く足踏みをして見せた。
「じゃあ、いくぞ」
そう言って、クラウスは速足で歩き出す。
男が頼りない足取りで、その後ろを付いてくる。
男の様子に気を配りながら、クラウスはそのまま進み続けた。
走ると言ったが、男が付いてこれるように、その足は早歩き程度に抑えている。
男はどの程度あの場所に捕らえられていたのだろう?
あの狭い檻の中でずっと過ごしていたせいで感覚がおかしくなっているのか、男はふらつきながら必死にクラウスの後をついてきていた。
二人は静まり返った集落の中を移動し、無事そこから抜け出すことが出来た。
そのまま移動し続け、ある程度集落から離れたところでクラウスは進む速さを緩める。
男の体付きや身のこなしを見る限り、運動能力が優れているようには見えなかった。
元の世界では、あまり身体を動かすような仕事はしていなかった様に見える。
この様子では、この世界で自身の身を守るのは難しいだろう。
亜人たちに捕らえられていたせいか、その表情にはどこか怯えたような様子も見えた。
「そういや、まだ名乗ってなかったな。俺はクラウスだ。よろしくな」
「あっ、ああっ、僕は……僕はエメック、その……ありがとう、助けてくれて」
「ああ、いいさ」
感謝の言葉を口にしながら弱々しく笑うエメックに、クラウスも笑みを返す。
そうやって簡単な挨拶を交わした後は、お互いに無言になってしまった。
何か会話をしたほうがいいのだろうと思うが、掛ける言葉が見つからない。
彼に聞いてみたいことは色々とあった。
何故この世界に来たのか。
この世界に来てどれくらいになるのか。
いつからあの亜人たちに捕らえられていたのか。
それらを尋ねてみたいという気持ちもあったが、気軽に聞いて良い物でも無いと思っていた。
亜人たちに捕らえられていた間、どのような扱いを受けていたかは想像できる。
それを思い出させるような事は聞くべきではないだろう。
この世界に来た理由についても同じだった。
死の間際に神を冒涜する言葉を口にしたくなるような何事かが、彼にはあったのだ。
それもまた、思い出したくない記憶である可能性は高い。
皆、怒りや憎しみで我を忘れたような状態でこの世界にやってくると、最初に会った老人も言っていた。
クラウスは一時の感情に任せて、神を罵るような言葉を口にしていた。
そのため、怒りや憎しみといった感情をこの世界でも抱き続けるなどということは無かった。
普通はそうでは無いのだと、老人は言っていた。
この世界に来る者のほとんどは、神を呪いたくなるような感情を持ったまま死に、そのままこの世界に放り込まれているのだ。
そうしてかける言葉も見つからないまま、クラウスは歩き続けた。
その間中ずっと、後ろを付いてくるエメックの様子を気にかけていた。
そのエメックはあの亜人たちの集落が気になるのか、歩きながら何度も歩いてきた方向を振り返っている。
「どうした? 後ろが気になるか?」
「ああ、いや、その……あいつらはきっと、僕を追ってくると思うんだ」
そう言ってエメックは不安に満ちた表情を浮かべる。
それに対して、クラウスは彼を安心させるように笑みを浮かべて見せた。
「ああ、その時は俺が奴らを足止めするから、お前は一人で走って逃げろ」
「えっ? 君が? それは……いいのかい? それで」
「ああ、元々戦士だったんでな。戦うのには慣れてる。任せておけ」
そう言って笑うクラウスを、エメックは信じられないといった表情で見つめる。
「君はその……怖くはないのかい? 亜人たちに捕まったらどんな目に遭うかは知ってるんだろう?」
「ああ、怖いといえば怖いが、どうだろうな? 元の世界にいたときから、死ぬかもしれないって恐怖を感じるような状況を楽しんでたんでな。自分からそういう場所に望んで飛び込んで行ってたんだ。周囲の連中には、狂ってるって言われてたがな」
そう言ってクラウスは苦笑を浮かべて見せた。
エメックはそれを聞いて驚き、あっけにとられたような表情を浮かべている。
きっと彼はクラウスとは違う、まともな神経の持ち主なのだろう。
ふと気づけば、いつの間にか足を止めてしまっていた。
エメックの言う通り、亜人たちが追ってくる可能性がある。
今のうちに出来るだけあの集落から距離を取っておきたかった。
「休むのはもう少し後でいいか? 今のうちに奴らの集落から出来るだけ離れたい」
「あ、ああっ、ごめん」
クラウスの言葉を聞いたエメックは、慌てたように再び歩き出す。
亜人の集落はもう見えなくなっていた。
追手の姿も今のところは見当たらない。
だからと言って、まだ安心出来るほど集落から離れてはいない。
亜人たちが、疲れを知らず眠る必要も無いクラウスたちに追いつくのは困難だろうが、それでもまだ安心するのは早い。
亜人たちは無限に採取出来る資源を失ったのだ。
きっと死に物狂いで取り戻しにくるに違いない。
亜人たちを警戒するのは勿論だったが、それ以外の存在にも気を付けなければならない。
この世界に住むあらゆる生物が、クラウスたちを狙っている。
今まで自分一人を守っていれば良かったが、これからはエメックも一緒に守らなければならない。
より警戒が必要になるだろう。
クラウスは一旦足を止め、エメックに語りかける。
「エメック、何か生き物を見つけたら教えてくれ。亜人たちは勿論だが、それ以外の獣なんかもな」
「あ、ああ。わかったよ」
そうしてクラウスが再び歩き出そうとした時に、ぼそりとつぶやくようなエメックの声が聞こえた。
「どうして……」
「ん? なんだ?」
クラウスは再び足を止め、振り返ってエメックを見た。
エメックは遠慮するような様子を見せながら口を開く。
「……どうして、僕を助けてくれたんだい?」
クラウスはそれに笑みを浮かべながら答える。
「まあ、なんとなくだよ」
その適当な答えに納得していないのだろう。
エメックはさらなる答えを待つように、クラウスを見ていた。
その様子にクラウスは苦笑を浮かべ、言葉を続ける。
「歩いてる途中であの集落を見つけた。人の手で作られた物を見るのは久しぶりだったんだ。気になって様子を見に行ったら、お前が檻の中にいた。同じ世界から来た人間だ。そのまま放っておく気にはなれなかったんだよ」
完全に嘘というわけでも無い、そんな曖昧な答えをクラウスは返す。
最初から誰かが捕まっているのなら助けようと思って、あの場所に足を運んだのだということを、あまり話したくはなかった。
何故そう思っていたのかを尋ねられたなら、最初に出会ったさまよい人……自身の手で殺した女の話もしなければならなくなるかもしれないからだ。
「そうか……ありがとう、本当に」
そう申し訳なさそうに感謝の言葉を口にするエメックに、クラウスは曖昧な笑みを浮かべて応えた。
エメックはずっと何かに怯えているような、おどおどした様子を見せていた。
亜人に捕らえられ、過酷な環境で過ごすことを強いられていたせいだろうか。
相当に精神が参ってしまっているように見える。
「そういや、お前はこれからどうするんだ? 何か目的はあったりするのか?」
「目的? いや、無いよ」
「そうか。俺は日の登る方角に向かって歩いて行くつもりなんだが、一緒に来るか?」
「日の登る方角に? 何かあるのかい?」
「元の世界に戻れるんだそうだ。この世界で最初に会った爺さんがそう言ってた」
「戻れる? 本当に!?」
「ああ。ずっと歩き続けるとデカい山が見えてくるらしい。そこから元の世界に戻れるって爺さんは言ってたんだが……もしかして爺さんに会ってなかったりするのか?」
「いや、会ったよ。同じ人かどうかはわからないけど。でも、聞いてない……もし聞いていたとしても、僕一人ではそこまで行けないだろうけど」
「で、どうする? 特に目的も無いなら一緒に行くか?」
問われたエメックは、顔を上げてクラウスを見る。
そしてすぐに哀しげな表情を浮かべ、溜息をついた。
「……僕は、君の足手まといにしかならないと思うんだ」
「別にいい」
そのクラウスの言葉を聞いたエメックの顔に、様々な表情が浮かぶ。
そうやってしばらくの間、何事かを考え、悩んだあげく、エメックは弱々しく声を上げた。
「君さえ良ければ、僕も一緒に連れて行って欲しい」
「ああ、じゃあ決まりだな」
「でも、本当にいいのかい? 僕はきっと君の足を引っ張る」
エメックは困惑の表情をその顔に浮かべながら、尚も尋ねてくる。
クラウスが何故足手まといにしかならないであろうエメックを連れて行こうとしているのか、理解できないようだ。
「さっきも言ったろ? 気にするな。俺は気にしてないぜ?」
「いや、それは……無理だ。気にするよ」
「そうか? 何度も言うが、俺は気にしてない。それで十分じゃないか?」
そう言って笑みを浮かべるクラウスに対して、エメックも笑みを返す。
「……わかったよ。ありがとう」
そうして二人は共に日の昇る方角に向けて歩き始めた。
エメックはあまり自分の事を話そうとはしなかった。
やはり、思い出したく無い様な出来事を経て、この世界にやって来たのだろう。
それを無理に聞き出す気は、クラウスには無い。
話すことが無かったため、自分の話でもしようかと思ったが、聞かれてもいないのにそんな話をするのもどうかと思いやめておくことにした。
元いた世界で、人の話を聞かずに自分の話ばかりしているような者を大勢見てきたが、そう言った連中はたいていの場合、周囲から煙たがられていた。
そんな連中の真似をしたいわけでも無い。
たまに足を止め休憩を取った。
疲れることの無い二人には本来休憩など必要無いのだが、エメックの様子を見ていると休ませた方が良い様に思えたからだ。
そうして二人は歩き続け、亜人の住処を離れてから五日が経った。
その間に二人が何者かに襲われたりすることは無かった。
さすがにもう、あの集落の亜人たちが追い付いてくることは無いのではないかと思える。
亜人たちには食事も睡眠も必要な筈だ。
それらを必要としない二人に追いつくのは難しいだろう。
それでもクラウスは周囲への警戒を怠ったりはしなかった。
五日目の夜が明けて、太陽が昇りきったしばらく後のこと。
輝く朝日の眩しさに、目を
そうして脅威となる何者かがいないかを確認する。
安全であることを確認し、またすぐに歩き出すつもりであった。
だが彼は足を止めたまま動かなかった。
その視線の先には、土煙を上げながらこちらに向かって走って来る集団が見えていた。
まだかなり距離がある。
遠目で確認しづらかったが、それが獣の群れであることはわかった。
そしてその獣たちの背には、あの亜人たちが騎乗していた。
「大したものだ」
口から出たのは、正直な感想だった。
疲れることも無く、睡眠も必要無いさまよい人相手に、よく追い付いてきたものだと、そう思う。
クラウスらも途中何度か休んだが、それでも追い付くには相当な強行軍が必要だったのではないか。
そこまでしてエメックを取り返したいと、あの亜人たちは思っているのだろう。
当然かもしれない。
さまよい人は、彼らにとってそれだけ価値のある存在なのだ。
立ち止まったままのクラウスの様子を見て、エメックも何事かと背後を振り返った。
それから彼は小さな悲鳴を上げ、そのまま硬直したように動かなくなる。
クラウスはその迫りくる集団を凝視したまま、大きく息を吐いた。
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