最期の日、そして全ての始まりの日
ボルンの村での戦いの二日後。
クラウスとローザはバルクホルツの宿の一室でテーブル越しに向かい合っていた。
「じゃあ、聞かせて貰ってもいいかしら?」
「長くなると思うが、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫よ」
「信じられないような話ばかりかもしれないが……」
「今更ね。正直、どんな話が聞けるのか、少しわくわくしてるのよね」
そう言って笑みを浮かべるローザにクラウスは苦笑しながら答える。
「そうか……随分長い間あっちの世界にいたからな。何から話せばいい?」
「最初から全部。出来るだけ詳しく聞きたいわ」
「わかった。クドゥリサル、俺の記憶が間違っていたら教えてくれ」
「おうよ」
そうして、クラウスは語り始めた。
この世界においては一月前。
彼にとっては三百五十年前に始まった出来事を。
その戦場で、クラウスは紅炎騎士団の騎士と一騎打ちをしていた。
振り下ろしたクラウスの剣が、眼前の騎士の兜を強く打ち据える。
騎士はよろめき、膝をついた。
「まだやるか?」
クラウスの問い掛けに、騎士は戦う意思を示すために立ち上がろうとする。
だがその意思に体は付いて来ることが出来ず、そのままよろけて後方にどうと倒れ込んだ。
周りにいた他の騎士たちが倒れた騎士の周りに集まり、本人の意思を無視してその体を抱えて運んで行く。
クラウスは既に一騎打ちで六人の騎士を倒していた。
一騎打ちを挑まれる前には、乱戦の中で同じ騎士団の騎士を十二人倒している。
その場に一人残されたクラウスの前に、別の騎士が進み出てきた。
騎士は兜の面頬を上げてその顔を見せ、クラウスに語り掛けてくる。
「見事だ、戦士クラウス。まだ戦う意思があるならば、次は私の相手をして貰えるとありがたい。私は……」
そう言って名乗りを上げようとする騎士を、クラウスは片手を上げて制した。
「ああ、名乗る必要は無い。紅炎騎士団団長、ベルント……だろ?」
「これは……君ほどの戦士に名を知られていたとは、光栄だよ」
「それはこっちの台詞だ。まさか、あんたみたいな名高い騎士と戦えるとはな」
クラウスは笑みを浮かべ、騎士……ベルントに応えた。
ベルントもまた笑みを浮かべてそれに応え、言葉を続ける。
「一つだけ聞いておきたい。今更ではあるが……降伏するつもりは無いのか?」
「なんだ? やるつもりだったんじゃないのか?」
「君ほどの戦士を死なせるのは惜しいと思っているのだ。もう一度聞く、降伏するつもりは無いか?」
「悪いが無いな。逆にそっちはどうなんだ? 俺を倒すのは諦めて退く気は無いのか?」
そのクラウスの言葉に、ベルントは苦笑を浮かべながら首を振る。
「我らのうちの誰一人として君に勝つことが出来ていないこの状態で、引き下がるわけにはいかない。我らにも面子があるのでね」
「そりゃあ残念だ。せっかくの申し出だが、こっちも退くつもりは無いな」
「そうか……残念だよ」
「あんた程の戦士にそんな風に思って貰えるなんてな。ああ、でも手加減なんてするなよ? 俺は見ての通りボロボロだが、手を抜いたあんたに負ける程弱くは無いと思うぞ?」
「ああ、わかっているとも。流石にそこまで自惚れてはいないさ」
クラウスは笑みを浮かべたまま目の前に立つ騎士を見た。
さすがに今の満身創痍の状態では、勝ち目の薄い相手であるように思える。
だが彼はその状況を楽しんでいた。
この戦いで死ぬかもしれないという恐怖。
そして、生きるか死ぬかのギリギリの状況の中で全力で足掻き、生を勝ち得ることが出来たときの高揚感。
そういったものを彼は求めていた。
彼のその性癖を知った者は皆、揃って同じ感想を口にした。
狂っている……と。
死の恐怖すら楽しむ狂人。
周囲の者たちに、彼はそう呼ばれていた。
だが傭兵を
そして、そういった者たちは当然ながら長生きは出来ない。
生死の狭間に己の身を投じ続けるうちに、やがてはその運も尽き、死に至る。
彼もこれまでは運良く生き残ってこられた。
だが、今回ばかりは相手が悪い気がしている。
目の前に立つ騎士を相手に生き残るには、一体どれ程の幸運が必要だろうか?
それでも、彼は引き下がるつもりは無かった。
それは彼のその狂った性癖のゆえでもあったが、それだけが理由というわけでもない。
戦士たちは皆、己の命を懸けて戦場に立っている。
どれ程鍛錬を積み、力と技を磨いていようとも死ぬときは死ぬ。
名高い戦士と戦って死ねるのであれば、それはそれで悪く無い死に方なのだと、クラウスはそう思っている。
今降伏すれば、これ以上命を懸ける必要も無くなるのだろう。
だがこの機会を逃したならば、これ程名高い騎士と真剣勝負をする機会など二度と訪れないに違いない。
もったいないと……クラウスはそう思うのだ。
降伏して命を拾うことよりも、優れた戦士との命を懸けた勝負を彼は望んだ。
おそらくはそれもまた、一般的な思考の持ち主には理解できない判断なのだろう。
「さあ、やろうか」
「ああ……本当に残念だよ」
「もう勝ったつもりでいるのか? 随分と余裕だな?」
クラウスの言葉にベルントが苦笑を浮かべて見せた。
そして兜の面頬を下ろして距離を取り、剣を抜く。
「余裕など無いさ。だが負けるわけにはいかない。全力で相手をさせてもらう」
自身の口の端が吊り上がっていくのがわかる。
全身の毛が逆立つ。
全霊を賭したとしても勝ち目の薄い相手。
だが決して届かぬ程ではない。
そのギリギリの綱渡りとなるような勝負がこれから始まるのだ。
その期待と緊張とで、剣を握る彼の手は震えていた。
剣を構え相対した二人は、お互いの剣が届かぬギリギリの間合いでしばし睨み合う。
その均衡を破り、先に前へ出たのはクラウスだった。
振り上げた剣を斜め上方から、ベルントの兜目掛けて振り下ろす。
その剣を自身の剣で弾いたベルントは、クラウスの胴を打とうと剣を横に薙ぐ。
そうはさせまいと、クラウスはさらに前へ出て間合いを殺す。
わずかでも気を緩めれば、命を落とすことになる。
それはまさにクラウスの求めていた戦いそのものだった。
そうして二人は何度も激しく打ち合った。
それらの技の応酬のみを見れば、クラウスのほうがわずかに優勢であったかもしれない。
だが完全な全身鎧に身を包んでいるベルントに傷を負わせることは出来なかった。
……厳しいな。
さすがは名高い騎士団の頂点に立つ戦士だと、眼前の敵への賞賛を心の中で口にしながら、クラウスは戦いと、生と死の狭間に身を置くことで得られる恐怖と高揚感に浸り、それを楽しむ。
「フフフハハッ!」
その抑えきれなくなった感情が、声となって溢れ出す。
たとえこの場で死ぬのだとしても、それは自らが選んだ道だ。
クラウスは己の信じる戦士としての道を外れるつもりは無かった。
彼らは戦士で、ここは戦場だ。
この場所で彼らはお互いの命を奪い合う。
その意味を十分に理解し、良しとした者のみがこの場に在ることを許される。
死を受け入れる覚悟があるからこそ、彼らはこの場に立っているのだ。
死を恐れていないわけでは無い。
死ねば全てを失う。
あらゆる記憶も、それまでに積み上げてきた経験も、その人生の全てが消え去ることになる。
そして何より、この先に広がる未来もまた失ってしまうのだ。
たった一度の戦いに、その全て……己の人生の全てを懸ける程の価値があるのだろうか?
その問いに、肯定の答えを返す事のできる者……そういった者こそが真の戦士であるのだと、クラウスはそう信じていた。
それは何度目の打ち合いであったか。
クラウスの振り下ろした剣がベルントの兜を打った。
ベルントはその一撃を受けることを恐れず前に出て間合いを殺していたため、それは致命的な一撃とはならなかった。
ベルントは同時に、自身の剣を前方に向けて突き出している。
その剣の切っ先はクラウスの胸を貫いていた。
深く食い込んだその刃は背中まで達している。
これまでの激しい戦闘の中でクラウスの身に着けた胸甲にはわずかな亀裂が入っていた。
その亀裂をベルントの剣は正確に捉え、切っ先でそれをこじ開けたのだ。
見事な一撃だと、クラウスはただ感嘆していた。
そして、自分は死ぬのだと理解した。
とうとう運も尽きたのだ。
遂にこの時が来たかと……彼はただそう思った。
もはや勝敗は決している。
だがそれでも、クラウスは足掻き続けようとした。
それが戦士としてあるべき姿なのだと、彼はそう思っている。
最期の瞬間まで全力を尽くして戦う事こそが、自身を倒した相手、優れた戦士に対する礼儀なのだと。
クラウスは胸を貫かれたまま剣を振り上げ、振り下ろそうとしたが出来なかった。
頭上に剣を掲げた状態で力尽きたその体は、ゆっくり後方へと倒れていく。
優れた戦士と戦い、敗れて死ぬ。
悪く無い終わり方だと、そう思った。
命の尽きゆく中、彼の心にあった最も強い感情は、自身を打ち倒した戦士に対する敬意であった。
クラウスは最期の瞬間まで、その顔に満足げな笑みを浮かべていた。
戦いに敗れ死んだはずのクラウスは、いつの間にか見たことも無い空間に立っていた。
そこには海と青空だけがあった。
それがどこまでも果てしなく続いている。
彼はその海の水の上に立っていた。
足を動かすと、それに合わせて水上に波紋が広がる。
だが、それで彼の足が水の中へと沈んでいったりすることは無かった。
そして、いつからそこにいたのか、一人の男が彼の前に立っていた。
男は全身薄緑色の衣服に身を包み、その上から同じ色のケープを羽織っている。
頭には服と同じ薄緑色の旅人帽を被っており、それには一体何の鳥の羽なのか、大きな七色に輝く羽飾りがついていた。
もしその手に楽器を持っていたなら、吟遊詩人なのではないかと思ってしまうような姿だ。
輝くような金色の髪に、暗い海のような紺色の瞳。
その男の容貌は、まるで優れた芸術家の手になる彫像のようで、非の打ち所がないほどに美しかった。
どこかの神殿で、目の前の男によく似た神像を見たことがあった気がする。
「戦士クラウス」
男がクラウスの名を呼んだ。
その男の喉が発する空気の振動は、耳だけでなく体全体を通して響いてきているかのように感じられた。
それは優れた奏者が奏でる楽器の音色のような、深く美しい声だった
男はその美しい声で言葉を紡ぎ、クラウスに語りかけてくる。
「君の戦い振りを見ていたよ。実に見事だった。その戦い振りを見た神々が君を神の軍勢の戦士として迎えたいと言っている。君には神の軍勢の一員となる栄誉が与えられた。神の戦士となって、君にその力を振るって貰いたいのだ」
「……悪いが何の話かわからない」
何の前触れも無く、わけの分からない事について語り始めた男を、クラウスは胡散臭げな表情で見た。
男の言う戦い振りというのは先程までのベルントとの戦いの事なのだろう。
そのクラウスの戦い振りを神々が見て気に入ったと言っているのだろうか?
何にしても、唐突にそんな話をされて理解できるはずが無い。
「そうか。ならば説明しよう。私は死を迎えた優れた戦士達を神の軍勢の一員として招いている。選ばれた戦士は、神の栄光の元で、神のために戦う栄誉を与えられるのだ。君もまた、その優れた戦い振りを認められ、誉れある戦士の一人として選ばれたのだよ」
クラウスが神々の目に留まり、神の戦士として選ばれた。
そして、これからは神のために戦えと言っているのだろうか?
目の前の男はそれを栄誉な事なのだと、得意げな表情で訴えてくる。
だがクラウスは、どうにもそれに違和感を覚えていた。
「それは戦場で、神が先頭に立って俺たちを率いて戦うって事なのか?」
「いや、神々が戦いに参加することは無い。君たちの戦い振りを見てはいるがね」
男のその言葉を聞いてクラウスは眉を寄せる。
そのクラウスの様子を見た男が、わずかに驚いたような表情を浮かべた。
「ふむ、神の軍勢に加わることが出来るというのに、君は余り乗り気では無いように見えるね?」
「その神は安全な場所にずっといて、その戦士たちが死んでいくのを見物してるって事だろ? そんな、ただの遊戯の駒になるために命を懸けろって言うのか?」
「ああ、そうでは無い。戦士たちが戦場で倒れたとしても、戦士の館に戻されて復活するだけで決して死ぬことは無い。君たちは死を恐れず戦うことが出来るんだよ」
「……余計に意味が分からん。それが誉れだと?」
目の前の男が当然のような顔で話している内容を、クラウスは理解できなかった。
彼はこれまで戦場で命を懸けて戦ってきた。
彼だけではない。
戦士たちは皆、己の命、つまりは自身の存在そのものを懸けて戦う。
命を懸ける覚悟も持たないくせに、戦士気取りで戦場に立つ連中。
クラウスはそういった者達を何度も見てきた。
死を目の前にすると泣き叫び、必死で命乞いを始めたりするような奴らだ。
そういった連中を、彼は軽蔑し見下していた。
不死の存在というのはそう言った連中と同じではないのか。
自分が死なないとわかっているなら、戦場に立つのに何の覚悟も必要とはしないだろう。
目の前の男はそれを神の戦士と呼んでいる。
だがクラウスの基準ではそんな者は戦士でも何でもない。
おそらくクラウスと目の前の男では、戦士という言葉の持つ意味が違うのだろう。
クラウスは神の戦士として選ばれるにふさわしいと、目の前の男は言っている。
その言葉に不快感と苛立ちを覚えていた。
何故か、彼がこれまで過ごしてきた戦士としての人生を冒涜されたような気がしていた。
その苛立ちの感情のままに、クラウスは男に対して言葉を返す。
「その神とやらに伝えてくれ。クソくらえってな。お前らは命を懸ける覚悟も持たないまま戦場に立つような勘違い野郎を戦士と呼んでいるのか? そんな連中と一緒にされるのはまっぴらだ。しかも自分は戦場に顔を出すことすらしない、臆病者の遊戯の駒になって戦えだと? お断りだ。お前らのクソみたいな遊びに俺を巻き込むな」
クラウスの吐く言葉を耳にした相手の顔付きが厳しいものに変わる。
「……今の言葉を取り消したまえ。今ならまだ間に合う」
「今の言葉? どれのことだ?」
「君は神を冒涜する言葉を口にした。取り消さねば、後悔することになるよ?」
「後悔だ? 知ったことか。戦場に立つ度胸も無いようなクソ野郎共の戦争ごっこの駒になるつもりは無いんだ」
「……そうか」
男はあきらめたように溜息をつき、言葉を続ける。
「これは古い掟。神々がこの地を去った今となってはもはや意味の無い掟だが、
男は一度目を伏せ、そして憐れんでいるかのような表情でクラウスを見た。
「……残念だよ。こんなことになるのなら、君に声を掛けたりするべきでは無かったな」
その男の言葉と共に、周囲の世界が光を失っていく。
そしてクラウスの意識もまた、闇の中へと飲み込まれていった。
意識を取り戻したクラウスの視線の先には、雲一つ無い青い空が広がっていた。
「ここは……?」
体を起こした彼の目に入ってきたのは見知らぬ景色だった。
どうやら草原の上に横たわっていたらしい。
その草原はずっと先まで続いているように見える。
一体どこまで続いているのかも分からない。
はるか遠くに森があるのはわかった。
そのさらに向こうには幾つもの山がそびえたっているのがうっすらと見える。
「目覚めたかね?」
突然声を掛けられ、驚きながら声のした方向に視線を向ける。
そこには薄汚れた
自分に何が起こったのかわからず、クラウスはもう一度辺りを見回したあとに、再び老人に視線を戻す。
老人はその顔に愉快げな笑みを浮かべていた。
「あんた……ここがどこかわかるか?」
「ここかね? ここは狭間の世界。死の間際に神を冒涜した愚か者が投げ落とされる場所だ」
「狭間の世界?」
理解が追い付いていないクラウスの様子を見て、老人はその顔に浮かべていた笑みをより深くする。
そして楽し気な口調でクラウスに語りかけてきた。
「ようこそ狭間の世界へ、新たなるさまよい人よ!」
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