第二章 さまよい人

狭間の世界

 クラウスの視線の先で老人は胡坐あぐらをかいて座っていた。

 その顔には楽し気な笑みを浮かべている。

 その老人は、先程この場所のことを狭間の世界と呼び、クラウスをさまよい人と呼んでいた。


「狭間の世界って言ったか……どういう事だ?」

「言った通りだ。ここは死の間際に神を冒涜した愚か者が落とされる場所。おぬしも心当たりがあるのだろう?」


 その老人の言葉には、もちろん心当たりがあった。

 あの奇妙な吟遊詩人のような恰好をした男に言われた、後悔することになるというのはこのことなのだろう。


「いくつか、おぬしに伝えておかねばならんことがある」


 そう言って、老人はしわがれてはいるが良く通る声で語り始めた。


「この世界ではおぬしはほぼ不死身だ。脳を破壊せん限りおぬしは死なん。手足を切り落とされようとも、すぐに生えてくるだろう。たとえ首を切り落とされたとしても同じだ。死にたければ、頭を……その脳を砕く以外に方法は無い。それを忘れぬようにしておくことだ」


 老人のその言葉に、クラウスは眉をしかめる。


「不死身? 何の話をしてるんだ?」

「まあ、突然こんな話をしてもわけがわからぬか。そうだな……おぬしの持っておる武器で己の身に傷をつけてみよ。指の先をほんの少し傷付けてみる程度でよいぞ」

「それをやったらどうなるんだ?」

「まあ、やってみればわかる」


 そう言われたクラウスは訝しみながらも腰に差していた短剣を抜き、自身の手の指に傷を付けてみる。

 その傷からあふれ出た血を拭ったところ、既にその傷は消えてしまっていた。


「わかったかね? そんな小さな傷だけでは無い。先程も言ったように、たとえ手足を切り落としたとしても、すぐに生えてくるだろう。忘れるな。おぬしはもう、死にたいと思っても簡単には死ねんという事を。自分で自分の脳を破壊するのは簡単では無い。一度で脳を破壊できなければ、すぐに再生してしまうのでな。それを忘れぬようにしておくことだ」


 老人の言葉を未だ信じきれていないクラウスは今一度短剣を手にして、今度は自身の手のひらをざっくりと深く傷付ける。

 痛みを感じたのは一瞬だった。

 その痛みに顔をしかめながら流れ出た血を拭うと、先程と同じように傷は完全に消えていた。

 たとえ手足を切り落としてもまた生えてくると老人は言っていたが、流石にそれを試してみる気にはなれなかった。

 だが、老人の言っている事は真実であるようだ。


「ああそれから、元々この地に住まう者どもに気を付けよ。それらは皆おぬしを見つけ次第襲い掛かって来るだろうからな」

「その相手も不死身なのか?」

「いいや。不死の肉体を持つのはおぬしら、さまよい人だけだ」

「それは……こっちは不死身だが相手は普通に死ぬって事だよな? 一体何に気を付けるってんだ?」


 こちらは頭を潰されない限り死なないのであれば、争いになったとしてもそうそう敗れることは無いだろう。

 それにもかかわらず襲ってくるような者がいるというのだろうか?


「不死の身であれば問題など無いと思っておるのか?」

「あんたの話を聞く限りでは、そう思えるけどな」


 そのクラウスの言葉を聞いた老人は、憐れむような表情をその顔に浮かべる。


「この世界に住まう者ども……野を駆ける獣や亜人たちは、おぬしらさまよい人と呼ばれる者どもが不死であることを知っておる。たとえ手足を切り落としたとしても、すぐにまた生えてくることも知っておる。腹をき、内臓を取り出したとしても、全身の皮を剝ぎ取ったとしても、全て元に戻ることを知っておる。それがどういうことかわかるかね?  この世界に生きる者たちにとって、おぬしらの体は資源なのだ。獣どもにとって、それは決して尽きることの無い食料となる。さらに知恵のある亜人共にとっては、その肉だけでは無く骨や内臓、皮さえも様々な道具を作るための材料となるだろう」


 そこまで話した老人は一息つき、そしてまた語り始めた。


「おぬしらは不死身だが、苦痛を感じなくなるわけでは無い。獣や亜人共に捕まれば、生きたまま皮を剥がれ、その肉をむさぼられ、内臓を引き摺りだされる……そんな終わりの無い苦しみを受け続けることになるだろう。おぬしらは年老いて死ぬことも無い。その苦しみから逃れることは出来ん。死にたいと思ったとしても、それすらも簡単では無い。そのようになりたくないのであれば、くれぐれも気を付けることだ」

「……ふざけやがって」


 クラウスは顔をしかめながら、吐き捨てるように呟いた。

 語り終えた老人が、今度は興味深げな表情を浮かべてクラウスを見る。


「しかし、おぬしは戦場で死んだのか? 戦士など、最も死に近い生業なりわいだろうに神を敬ってこなかったとは……だが、武器を持ったままこの世界に来ることが出来たのは幸運といっても良いのだろうな」


 そういって一人頷く老人にクラウスは問いを投げ掛ける。


「で? 俺は一体何のためにこんな場所に連れてこられた? 俺にここで何をさせようってんだ?」


 そのクラウスの問いを聞いた老人は驚いたように、その細い目をわずかに見開く。


「何? 知らんよ、そんなことは」

「……神を冒涜した罰とかでここに連れてこられたんだろう? 懺悔のために何かしろとかも無いのか?」

「ああ、それなら……未来永劫、この地をさまようことがその罰だ。それ以外は何もない。何か目的が無ければ生きられんというなら自分で探せ」

「……そうかよ」


 呆れたように溜息をつくクラウスを見る老人の表情に、わずかに感心したような様子が見えた。


「ふむ……随分と落ち着いておるのだな。ここに来る者達は、怒りや憎しみといった感情に我を忘れているような者がほとんどなのだが」

「俺は自分の死んだ状況に不満があったわけじゃ無い。俺は満足してたんだ。死んだ後にわけのわからん事を言われて、それに文句を言ったらここに放り込まれたのさ」

「それは珍しいのう。そうか……もしおぬしが元の世界に戻りたいと思っておるのなら、日の昇る方角に向かって歩き続けるといい」


 そう言って老人が空の一点を指さす。

 クラウスはその老人の言葉に驚き、その指の示す先に目を向けた。


「元の世界に戻れるのか?」

「さて、どうだろうか?」

「おい、じいさん……」


 とぼけたような返事を返す老人に、クラウスはわずかな苛立ちを感じながら、視線を向ける。

 老人は愉快気な笑みを浮かべ、その視線を受け止めた。


「戻れぬことは無いがな。容易たやすくは無い。まあ、おぬし次第だ。進み続ければいずれ天を突くほどの山にたどり着く。そこから元の世界に戻ることも出来る」


 その老人の言葉を聞いたクラウスは立ち上がった。

 容易くは無いというのは、そこにたどり着くのが困難なのか、あるいはたどり着いた後に何らかの障害が待ち構えているのか。

 どちらにしても、行ってみればわかるだろう。


「そうか。別に元の世界に帰りたいわけでも無いが……どのみちやることも無いんだ。あんたの言うとおり、その山を目指してみるよ」

「まあ、せいぜい頑張ってみるがいい」


 死の間際に神を冒涜したせいで、こんな場所に放り込まれたのだと、老人は言っていた。

 あの吟遊詩人のような出で立ちをしていた男のことを思い出す。

 おそらくあの男も神か、あるいはそれに近い何かだったのだろう。


「……上等だ、クソ野郎」


 呟きながら、先程老人が指さした方角に目を向ける。

 元の世界に帰れるというその場所まで、一体どれほどの距離があるのかもわからない。

 山があると言っていたが、今はその影すら見当たらない。

 だが歩き続ければ、いつかはたどり着くだろう。

 老人の言葉が正しいのであれば、クラウスには無限の時間がある。


「じゃあな、じいさん」

「うむ。わしの言ったことを忘れぬようにな」


 念を押す老人に、クラウスは頷きを返して立ち上がる。

 そして老人の指差していた方角に向けて歩き始めた。

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