襲撃
ボルンの村に戻ったクラウスとローザは、その足で村長の家へと向かい、村長に付近の村で凶悪な魔物が見つかったこと、それがいつ村を襲って来てもおかしくないこと、そして何かあった時にすぐに村を捨てて逃げ出すことが出来るように、村人に準備をさせるようにと伝える。
不敗の刃の面々は僅かな休憩を取ったのちに食料等の物資の補給を行い、すぐにホルツドルフの町へ向かって出発した。
クラウスとローザはそのまま村に残り、村長の家に滞在することとなった。
その日の夜、クラウスにあてがわれた部屋にローザが訪ねてきた。
「クラウス、ちょっといい?」
そう言って、ローザは金の指輪をクラウスに手渡す。
「それを身に着けていて欲しいの」
「これは?」
「魔道具よ。嵌めてみてくれる?」
クラウスは言われるがまま、受け取った指輪を指にはめる。
『私の声、聞こえる?』
「これは……念話の魔術か?」
『ええ、そうよ。その指輪に魔力を流せばあなたも同じことが出来るわ』
クラウスはローザの言葉に従い指輪に魔力を流し、心の中でローザに話しかける。
『届いてるか?』
『ええ、大丈夫よ。クドゥリサルとも話せるように設定してあるわ』
『聞こえるか、相棒?』
『おう、聞こえてるぜ。いいもん貰ったじゃねえか?』
『便利でしょ?』
『ああ、確かに。助かるよ、ローザ』
「用事はそれだけよ。じゃあ、また明日ね」
そう言ってローザは部屋から出ていった。
ローザが居なくなった後に、クドゥリサルがクラウスに話しかけてくる。
「相棒、これで俺らも人目を気にせず喋れるな」
「ああ、言われてみればそうだな。ローザはそれも考えてくれたのか?」
「多分そうなんじゃないか?」
「そうか、明日また会ったら礼を言っとくか」
「今言えばいいんじゃねえのか?」
クドゥリサルに言われ、クラウスは確かにその通りだと頷いた。
ついさっき、まさに離れていても会話の出来る道具を貰ったのではないか。
クラウスは指輪に魔力を流して、念話の術を起動する。
『ローザ、聞こえるか?』
『何? 聞こえてるわ、どうしたの?』
念話で返事をしたローザの声からは少し笑っているような気配が感じられた。
『さっき貰った指輪なんだが、俺が人目を気にせずにクドゥリサルと話せるようにって事も考えてくれてたのか?』
『ええ、そうね。その為でもあるわ』
『そうか、ありがとう』
『どういたしまして。それだけ?』
『ああ、それだけだ』
『そう。新しいおもちゃを手に入れた子供みたいな理由で術を使ったのかと思ったけど、違ったのね?』
『ああ、さすがにそんな理由で話しかけたりはしないよ』
新しい道具を使って見たくてしょうがなくてローザに話しかけたと思われた……という事か。
ローザの顔は見えないが、きっと笑いながら話しているのだろう。
彼女の言葉を聞いて、クラウスも笑ってしまっていた。
『じゃあ、おやすみなさい』
『ああ、おやすみ』
そうして笑顔で挨拶の言葉を口にして、その通話を打ち切った。
それから二日が経った。
その夜、クラウスはあてがわれた部屋のベッドに横になって、先程取った夕食のことを考えていた。
出された食事は村長の妻の手料理だが、クラウスにはホルツドルフの街で食べた物と同じくらい美味に感じられた。
彼がその感想を正直に口にしていたところ、村長とその妻は随分と喜んでいた。
また、その食事は小さな村で出される物にしては随分と豪勢に見えたのだが、それはローザが宿代として十分すぎるほどの謝礼を払っているからなのだそうだ。
それについてローザにも礼を言ったところ、必要経費だからと何でも無い事のように答えられた。
クラウスは一人でそんなどうでも良い事を考えていたが、ベッドの横に立てかけてあったクドゥリサルが突然声を上げたことによって、その思考は中断された。
「相棒、相当な数の魔物がこの村に近付いて来てるぞ!」
「魔物?」
「そうだ。村の連中を今すぐ避難させろ!」
クラウスは跳ね起き、窓から外へと走り出た。
そのまま村の中心にある教会まで走って行って、その鐘楼の上へと飛び上がり、乱雑に鐘を打ち鳴らす。
「方角はどっちだ?」
「北だ。この間入った森のほうから来てるな」
クラウスは先日ローザに渡されていた指輪に魔力を込め、念話の術を発動させた。
『ローザ、聞こえるか?』
『ええ、聞こえるわ。何があったの?』
『北の方角から魔物の群れが近づいて来てる』
『魔物の群れ? 前に出会った眷属では無くて?』
『ああ、あれとは別物らしい。相当な数がこっちに向かってる』
『そう。村長には私から話すわ。北からってことは村を出てそのままホルツドルフの街に向かえば大丈夫?』
『ああ、大丈夫だ』
そうしてクラウスが村長宅に戻った時には、既にローザが話を終え、村人たちは避難を始めていた。
取り残される者が無いように、村長が避難する村人たちを確認していく。
やがて避難する村人の列は途切れ、後に続く者は居なくなった。
「これで全部?」
「いえ、まだ避難していない家族がいます」
「何かあったのかもしれないわ。確認したほうがいいわね。家はどこ?」
「こっちです」
村長が小走りで駆けていくのに二人はついていく。
「カーヤ! カーヤ!」
進む先から誰かを呼ぶような声が聞こえてくる。
さらにそのまま進むと、夫婦らしき男女が家の周りで声を上げながら歩き回っていた。
村長がそれに近づいていき、女に声を掛けた。
「ウーテ、何をしている!?」
「うちの子が! カーヤの姿が何処にも無いんです!」
その母親らしき女が悲痛な声でそう訴える。
子供の姿が見つからず避難できないでいるようだ。
「クドゥリサル、探せるか?」
「ああ、もう見つけた」
「もう? 流石だな」
「おう、俺を誰だと思ってやがる」
そのクドゥリサルの言葉に、クラウスは笑みを浮かべる。
「ローザ、子供は俺が連れて行く。先に避難してくれ」
「……わかったわ。行きましょう。子供は彼に任せて、私たちは先に避難するわ」
ローザは余計な質問はせず、ただ頷きを返し、村人たちに避難を
村長と母親が不安げな表情を向けてくるが、ローザが彼らを急き立て、連れていく。
「じゃあ、お願いね、クラウス」
「どうか、どうか娘をお願いいたします!」
「ああ、大丈夫だ。すぐに連れていく」
懇願する母親に笑みを返し、クラウスは一人別方向へと歩き始める。
「どこだ?」
「右手のほうだ。急げ相棒、じきに魔物どもが来る」
「避難させる時間はありそうか?」
「微妙だな。このままだと先に避難してる連中も追い付かれる可能性があるぞ」
「そうか、どこかで相手をしないと駄目かもな」
クドゥリサルの言葉に従い進んでいくと、古い納屋の影に幼い子供が蹲っているのを見つけた。
その子供はクラウスの足音に気付き、驚いたようにビクリと体を震わせ、こちらに顔を向けた。
「よう。カーヤ……だよな?」
近付きながら尋ねるクラウスに、子供……カーヤはコクリと頷きを返す。
「お前の母親が探してたぞ? ここに居たら化け物に捕まっちまう。一緒に避難しよう」
クラウスの言葉を聞いて立ち上がったカーヤは、胸のあたりに何かを抱いていた。
よく見ると、それは小さなリスだった。
「なんだ、それは?」
「ともだち!」
そう言ってカーヤはそのリスを庇う様に抱きしめる。
それを見て、クラウスは笑みを浮かべて見せた。
「そうか。じゃあ、そいつも一緒に連れて行こう」
それを聞いたカーヤは自身の服の中にリスを滑りこませる。
そして上から落ちてくる何かを受け止めようとするかのように、その両手をクラウスに向かって、大きく広げて差し出す。
クラウスは彼女が何をしているのか、すぐにはわからなかった。
「……ああ、抱き上げろってことか?」
カーヤは答えず、黙って手を差し出したままの姿勢でじっとしていた。
それはまるで、いつまで待たせるのかと訴えているようにも見える。
クラウスは苦笑を浮かべながら彼女を抱き上げた。
「相棒、わかってると思うが……」
「ああ、思ったより早かったな」
振り返った視線の先に、魔物たちが近付いてくるのが見えた。
今ここで倒しておかなければ、先に避難した者達にも被害が出るかもしれない。
クラウスは抱き上げたカーヤを、目の前の納屋の陰まで連れて行き、そこで下ろす。
「ここでじっとしていろ。いいな?」
クラウスはカーヤにそう言い聞かせ、魔物の相手をするために立ち上がった。
だがすぐにその足にカーヤがしがみついてくる。
そして足を掴んだままじっとクラウスを見上げてきた。
まさか振りほどくわけにもいかず、クラウスはクドゥリサルに助けを求めるように話しかける。
「おい……どうすればいい?」
「ああ? どうって言われてもな……抱えたまま戦うとか?」
「抱えたまま? 戦えると思うか?」
「まあ、お前ならやれるだろうよ」
そのクドゥリサルの答えに、クラウスは苦笑を浮かべながら再びカーヤを抱き上げた。
「怖くは無いのか?」
カーヤはコクリと頷き、クラウスの目をじっと見つめる。
その様子を見る限り、本当に怖がってはいないように見える。
「俺がいいと言うまで目を閉じていろ。出来るか?」
カーヤは頷き、目を力いっぱい
その様子を見て、クラウスは楽し気に目を細めて笑う。
「ああ、いい子だ。そのまま目を閉じててくれ」
そんなことをしているうちに、クラウスの周囲には魔物たちが集まって来ていた。
それは狼や鹿などの森の獣たちをいびつに変形させたような姿をしていた。
さらにその体は奇妙な影のような物で覆われ、姿が判別しづらくなっている。
それらを前にして、クラウスは剣を抜き放つ。
彼は左手で子供を抱えた状態で、右手に剣を握っている。
傍から見れば、随分と滑稽な姿に見えるのではないだろうか。
クラウスを取り囲んだ魔物たちは、警戒しているのかジリジリと様子を窺いながら近付いて来た。
最初にクラウスに襲い掛かって来たのは獅子によく似た姿をした魔物だった。
魔物は跳躍し、巨大な牙で食らいつこうとしてきたが、クラウスはそれを僅かな動きで躱し、剣を振る。
魔物は跳躍したそのままの勢いで地面に衝突して転がり、そのまま動かなくなる。
地に横たわるその体は、両断され二つに分かたれていた。
その最初の一匹が飛び掛かってきたのを合図にしたかのように、次々と他の魔物たちも襲い掛かって来る。
ひっきりなしに飛び掛かってくる魔物の攻撃を、カーヤへの負担を考慮しながら最小限の動きで躱しながら斬り倒していく。
やがて激しかった魔物たちの攻撃もやむ。
クラウスの周囲には、もはや動いている魔物の姿はほとんど無い。
その足元には数十もの魔物の屍が転がっていた。
この魔物達にも恐怖という感情があるのだろうか?
残ったわずかな数の魔物たちは、まるで怖気づいているかのように唸り声を上げ、襲い掛かってこようとはしなかった。
クラウスはその魔物の一体に向けて間合いを詰め、斬りつけた。
魔物はそれに反応すら出来ず、両断されて地に倒れる。
そのまま同じようにして残った魔物を斬り倒していく。
やがてその場にいた全ての魔物を斬り倒したクラウスは、南の方角……村人たちが避難した方角に視線を向けた。
この様子では避難中の村人が魔物に追いつかれている可能性もある。
もしそうなったとしてもローザが対処するだろうが、それでも早めに合流したほうが良いだろう。
クラウスは剣を鞘に納め、その方角に向かって走り出そうとした。
だが、すぐに腕に抱いたカーヤの様子がおかしいことに気づき、足を止める。
「フフフッ」
「どうした?」
突然笑いだしたクラウスに、クドゥリサルが疑問の声を投げかける。
「……どうやら退屈だったらしい。眠っちまったよ」
「ハァッ? この状況で眠ったのかよ? 大したチビじゃねえか!」
「まったくだ」
笑みを浮かべながら、クラウスはその場を離れ、ローザたちと合流する為に走り始めた。
途中で何度か魔物に遭遇したが、その全てを斬り倒しながら移動を続ける。
走っている間もカーヤはずっと穏やかな寝息を立てていた。
クラウスは魔術で身体を強化して走っていたが、それでも全力で走っているわけでは無い。
もっと速く走ることも出来たが、カーヤに出来るだけ負担を与えないように気を使いながら走っていた。
そろそろ村人たちの姿が見えてくるのではないかという頃に、カーヤが目を覚ました。
その目で辺りを見回し、そしてすぐに慌てたように目を力いっぱい閉じる。
クラウスが良いというまでは目を閉じていろと言われていたことを思い出したのだろう。
その様子を見て、クラウスは笑みを漏らす。
「もう大丈夫だ。目を開けてもいいぞ」
その言葉でカーヤは再び目を開けた。
そうしてしばらくパチパチと瞬きを繰り返す。
「退屈だったか?」
問われたカーヤは、キョトンとした表情でクラウスを見つめたのちに口を開いた。
「ねむかった」
「まあ、夜だからな。友達は大丈夫か?」
クラウスに聞かれて、カーヤは自分の服の中を確認してから、満面の笑みを浮かべて見せた。
「だいじょうぶ!」
その笑顔につられるように、クラウスも笑みを深くする。
クラウスはそのまま走り続けた。
程なくして、避難する村人たちの姿が見えて来る。
その最後尾を歩いているのはローザだった。
気配に気づいたのだろう。
ローザが足を止め、振り向いた。
クラウスは速度を徐々に緩めていき、ローザの前で足を止める。
「おかえりなさい。無事なのよね……まあ、聞くまでもないか」
「ああ、この子の親はどの辺にいるかわかるか?」
「あそこよ」
そう言って、ローザが少し先を歩く家族を指差す。
そこには先程見た夫婦が歩いていた。
クラウスは母親の少し後ろまで歩いて行って、抱いていたカーヤを下ろす。
「ホラ、後ろから行って驚かしてやれ」
カーヤは二ッと口の端を上げて笑い、パタパタと母親の元へと走っていった。
「ありゃ、将来大物になるんじゃねえか?」
「かもな」
クドゥリサルが楽し気な声で投げかけた言葉に、クラウスも笑みを浮かべて答える。
そうして、走っていったカーヤが母親の足にしがみつくところを見届け、クラウスは踵を返す。
その背中越しに、母親が驚きと歓喜の声を上げるのが聞こえてきた。
彼はそのままローザのいる場所へと戻って行こうとしたが、すぐに後ろから呼び止められた。
「剣士様!」
振り返ると、カーヤの母親、確かウーテという名だったか……が立っていた。
彼女はその場で片膝をつき、クラウスの手を握る。
「娘を救ってくださって本当に……本当にありがとうございました。なんと言って感謝すればよいか……」
「これも仕事だ。相応の報酬も貰ってる。気にしなくていい」
「いいえ、このご恩は決して忘れません。どうか、お名前を教えては頂けませんか?」
「ああ……クラウスだ」
「クラウス様、本当にありがとうございました」
ウーテはそう言って涙を流しながら、頭を垂れる。
その後ろからパタパタと走ってきたカーヤが、母親の足にしがみつきクラウスに笑顔を向けてくる。
それをウーテが抱き上げた。
「カーヤ、もう一度きちんとお礼を言いなさい」
「ありがとう!」
「どういたしまして」
元気の良い声に、クラウスも笑みを浮かべてそれに答える。
「バイバイ!」
「ああ、バイバイ」
笑顔で手を振るカーヤに、クラウスも笑顔で手を振り返し、ローザの元へと戻って行く。
ローザはその様子をずっと見ていたのだろう。
その顔に楽し気な笑みを浮かべていた。
「元気な子ね。あまり怖がったりもしてなかったみたいだけど、途中で魔物に遭遇したりはしなかった?」
「ああ、したな。俺から離れようとしないから、抱いたまま戦う羽目になったよ」
「抱いたままってあの子を? それで怖がらなかったの?」
「怖がるどころか、戦ってる最中は眠ってたよ」
「寝てた?」
それを聞いたローザは笑い出す。
「凄いわね、大したものだわ。でも……」
ローザは母親に抱かれているカーヤに視線を向けた。
「子供は勘が鋭いって言うわ。もしかしたら、わかってたのかもね」
「何がだ?」
「あなたと一緒にいれば、何も怖がる事なんて無いって事がよ」
「さすがにそれは無いだろ?」
「どうかしら?」
そう言って楽し気に笑うローザに、クラウスも笑みを返す。
「ああ、ここで立ち止まっていては置いていかれてしまうわね」
気付いたようにそういって歩き出そうとするローザを、クラウスは呼び止める。
「ローザ。もう一度村に戻ろうと思うんだが、いいか?」
「村に?」
「ああ。あの数の魔物をそのままにしとくのはまずい気がするんでな」
「それはそうだけど……一人で大丈夫?」
「ああ、問題無い」
「そう……私も後で行くわ。もうじき援軍が到着するはずだから、それが来たら村人の護衛も任せられる。それから向かうことになってしまうけど」
「わかった。また後でな」
「ええ、気を付けてね。無理はしなくていいわ。危ないようであれば私たちが到着するまで待っていて」
「ああ、わかった」
そうしてクラウスはその場を後にし、一人で村へと戻っていった。
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